戦場での再会
翌日の朝、正体不明の機甲兵の事件の事で教室どころか、学校全体が大騒ぎだった。
謎の機甲兵、敵を追って行った三人――九条と大禅師、一応俺。ついでに言えば生徒を放って逃げ出した教官の今後。聞こえてくるのは昨日の一件に係わることばかりだ。
「ねえねえ、あの機甲兵って結局何者だったわけ?」
「あの後、一体どうなったの?」
「そういえば、寺田君来てないね。やっぱり怪我とか酷いのかな」
質問攻めに合う九条と大禅師を眺めながら、俺は、寺田と、それに敵のパイロットのことについて考えていた。
あの爆発……防衛軍の兵士は何も言っていなかったが、怪我ですむはずがない。クラスメイトである寺田は死んだのだ。敵のパイロットに殺された。そして、俺は敵のパイロットを殺したのだ。
この場合、俺は一体どうなのだろう。人殺しの悪人か、それとも窮地に陥った九条と大禅師を救い、寺田の仇を撃った正義の味方か。昨日は色々とありすぎたせいで深く考える余裕はなかったが、こうすることがないと余計なことばかり考えてしまうからいけない。今日だけは普段は退屈なだけの授業が待ち遠しくて仕方がなかった。
「ねえ、東城君もあの場にいたんでしょ。ということは九条さんと大禅師君の活躍を見たんでしょ! いいなー、どんな感じだったの?」
突然、クラスの女子が話しかけてきた。九条と大禅師が何も教えてくれないので、二人の話を聞きに俺のところに来たってところだろう。
「悪いね、防衛軍から昨日の事は他言無用にと言われているんだ」
「えー、残念だな」
俺から何も聞き出せないと分かると、すぐに九条と大禅師を囲む人だかりへと戻っていった。予想通りのことではあるが、二人が注目を集めてくれるおかげで俺が皆の興味の対象外になっているのは幸いだった。
同時に、絶対に事実を知られる訳にはいかないと思った。敵機を堕としたのがあの二人だったなら、例えそれを知られても、同情されるか羨望の眼差しで見られるかのどちらかだろう。現に今も英雄であるかのように持ち上げられている。しかし、普段目立たないようにしている俺が敵のパイロットを殺したことが知られたりしたら、気味悪がられ、人殺しと陰口を言われるに決まっている。
――ピンポンパンポン。この音は校内放送を知らせるチャイムだ。すぐに学校中のいたるところにある放送機から声が流れてくる。
「えー、本日は臨時の全校集会を行います。全生徒は速やかに体育館に集合してください。また、以下の生徒は速やかに校長室まで来てください。一年生、九条凛、大禅師宗、東城護。繰り返します。本日は臨時の……」
俺たち三人が呼び出されるということは、間違いなく昨日の一件に関することだろう。全校集会もそれに関することに違いない。まさか、昨日会ったことの全貌を話すような馬鹿な真似はしないと思うが……
「ほら、東城、さっさと行くぞ」
声をかけてきたのは大禅師だ。九条もその後ろに立っている。
「ああ、そうだな」
俺たち三人は、体育館へと向かう人の流れに逆らいながら校長室へと向かった。
「君たち、急に呼び出してすまないね」
校長は俺たちを優しい笑顔で迎えてくれた。この学校は軍関係の施設ということもあり、なにかと厳しい先生が多いのだが、校長は非常に温和で寛大なことで知られていた。壇上にあがる姿などは何度も見たことがあるが、間近でその顔を見て、噂通りの人だと思った。
「呼出したのは昨日の件についてでしょうか?」
そう尋ねたのは九条だ。
「あー、昨日の事については防衛軍の方で調査しているみたいだからね。私からは特に聞くことはないよ。まあ関連性がないという訳ではないが……ああ、立ってないで座って、座って」
「じゃあ遠慮なく」
来客用のソファに、まず大禅師が座ると、続けて俺と九条が座った。校長も仕事用の机から、俺たちの向かい側のソファへと移動した。
「えーと、来週末に皇居の敷地内にあるホールで式典が開かれるのは知っているよね。皇族が一堂に揃う場で、皇帝陛下が国民にむけてメッセージを送る毎年恒例の行事だからね。昨日の一件を受けて、防衛軍の方に警備を強化するように命令がいったんだ。それで昨日、実際に敵機とやりあった君たちにも警備に加わるようにこちらにも要請がきたってわけだ」
「ちょっと待ってください」
そこまで聞いて、俺は耐えきれなくなって言った。
「確かに、昨日は色々とありましたよ。だからといって僕たちが警備に駆り出されるのはおかしいでしょう。防衛軍だってプライドがあるでしょうし、見習いといってもいい俺たち士官学校生に要請するなんてことがあるはずがない」
「君の言うことはもっともだ」
校長は頷いた。そして、今までのおっとりした口調とは打って変わり、きっぱりとした口調でこう続けた。
「そう、これは非常におかしな話だ。今まで防衛軍がこのような要請をしてきたことなど無い。故に、私はこう考えている。千歳皇女殿下がなんらかの予知をなされたのではないかと」
千歳皇女……彼女は夢による未来予知の能力を持っている。かつての皇族は皆、なんらかの形による予知能力を持っていたらしいが、今ではその能力を出現させるものは殆んどいなくなっている。実際、俺の爺さんよりもずっと前の代から現在に至るまで、一人として能力を持った皇族はいなかった。
その千歳皇女の予知能力も、かつての皇族たち程の正確さを持ってはいないが、それでも、誰にも知ることができないはずの未来を知る力はこの国にただいな恩恵をもたらしている。
例えば、地震や火山などの自然災害だ。数年前、ある火山の噴火を千歳皇女が予知したことによって多くの命が救われたこともある。あの火山は地質学上ではしばらくの間は噴火の恐れはないと言われていたものだった。
そんな千歳皇女が来週末にある式典に関して、なんらかの予知をしたとしたならば、ありとあらゆる事態に備える為に、普段なら考えられないような対策をする可能性も十分に考えられる。
「でも、仮に千歳皇女殿下がなんらかの予知をしたとして、私たちに一体なにをしろと言うのでしょうか?」
「そうだ。確かに俺はそこいらの防衛軍兵士よりもよっぽど優秀だが、態々俺たちにやらせなければならないことなんて、そうそうあるとも思えないが」
そう千歳が訪ね、大禅師も同意する。俺は何も言わなかったが、考えたことはこの二人と同じだ。
「いや、特に何かをするようには言われていない」
「はあ」
何を言っているのだろうか分からなかった。することがないって、それこそ俺たちがその場にいく意味なんてないじゃないか。九条や大禅師も同じことを思ったようで、その証に三人同時に間の抜けた声を出してしまった。
「いや、すまない。することがないという訳じゃないんだ。ただ、どんな状況にでも対応できるように、君たち三人には独自の判断で自由に行動して貰いたいとのことだ」
ああ、そういうことか。千歳皇女の予知はかなり不安定だから、何かが起こることが分かっても、何が起こるかまでは分からなくても不思議ではない。その為に、何が起こってもすばやく対応できるように、俺たちのような者も警備にいれておこうということか。
「でも、いいんでしょうか。独自の判断で自由になんて……逆に足を引っ張ったりしそうで怖いです」
自信のなさそうな声で九条が言う。いつでも自信満々な大禅師と違って、撃墜されてしまった事で自身をなくしているのかもしれない。
「まあ、そんな不安に思うことはない。自由にやれと言われるのは信頼されている証だよ。なんといっても君たちは、この国で唯一の実戦経験者だからね。防衛軍の兵士たちは毎日訓練を行っているが、実戦経験は零だ。その点においては、君たちの方が彼らを上回っている。それに千歳皇女の予知があったとしても、信頼おけぬ相手を自分の下で好き勝手させたりはしないよ。もっと自信を持ちなさい。ははは、そういう意味では、大禅師君は心配いらないね」
それを聞いて大禅師は大袈裟に笑う。別に演技をしている訳ではなく、これが素だから恐ろしい。
「まあ、詳しいことはまた後で知らせよう。そろそろ集会も終わる頃だろうし、授業に遅れぬよう教室に戻りなさい」
そう言われて、俺たちは席を立ち、部屋を後にしようとする。
「あ、東城君。あとちょっとだけいいかな」
「なんでしょう?」
俺は九条と大禅師の二人に先に言ってくれと手振りで合図をしてから返事をし、校長の話を聞くために部屋に留まる。
「君はこの話を聞いた時、一瞬ではあるが、嬉しそうな顔をしていたね。君をさおうされたものが何なのかは分からないが、一つのことだけに気を取られぬよう気をつけなさい」
その口調はあくまで穏やかだったが、まるで自分の全てを見透かされたような気がして、気持ちが悪かった。
「一応、頭には留めておきましょう」
愛想のかけらもない口調で返事をしたが、校長はそれを気にする様子もない。これ以上話はないようだったので、俺は校長室を後にした
校長が言った通り、俺はこの話を聞いた時、嬉しかった。
式典内での警戒任務。それも原則自由行動ときたものだ。あの式典、いや、どんな行事でもそうなのだが、聴衆と皇族とは完全に席が隔てられており、皇帝を務める本家の人間に近づくことが許されるのは、同じ皇族か、それを護衛する近衛兵だけだ。そして、近衛兵になることができるのは、選ばれたエリート、それも名家の生まれに限られる。俺は名家の出ではないので、どんなに努力しても近衛兵になることはできない。
これはチャンスだ。後日、詳しい話を聞くまでは断定できないが、千歳皇女の予知によって俺たちが召集されたとしたら、緊急事態においては皇帝を含む、本家の皇族の安全確保が任務に含まれていても不思議ではない。近衛兵だけで十分だと考えているならば、そもそも俺たちを招集したりはしないはずだ。
それに、大禅師の家は代々軍人の家系で、その中には近衛兵として選ばれた者もいる。彼が俺たちの仲間に含まれていることは、俺の予想が事実である可能性を引き挙げてくれているように思えた。
やっと子供の頃の約束が果たせるかもしれない。彼女は約束を覚えていてくれているだろうか。
女性であるが故、皇位継承権を持たないうえに、予知能力を持って生れてしまった彼女。そんな彼女がどんな人生を送るかは容易に想像できる。
あの時はなんとも思わなかったが、今ならはっきりと分かる。幼い頃に見た彼女の生活は、彼女があの家の中でどんな扱いを受けているか容易に想像させるものだった。安全を確保する為の異常な束縛。お人形のお姫様。未来を予知する道具。
本来ならば何事も起こらない方がいい。毎日変わらず平和な毎日を送るのが誰にとっても幸せだろう。
しかし俺は、今回ばかりは何かが起こることを願わずにはいられなかった。毎年行われる式典には皇族が一堂に集結する。当然、その中には彼女もいる。しかし、その顔は全く笑っていない。出会ったばかりの彼女と同じ顔をしている。
この平和な世界は、彼女にはちっとも優しくできていない。せめてこの世界を、彼女が自然に笑うことのできる世界にしたい。それは決して不可能なことじゃない。子供の頃の俺は一時ではあるが、それをやってみせたじゃないか。
いっそのこと、来週末の式典で本当に何かが起こって彼女を除く皇族がみんな死んでしまえばいいのに。そうすれば彼女は何物にも縛られずに暮らすことができるのに。そんなこの国の人間として絶対に考えてはいけないことを、俺は思わずにはいられなかった。
そして、何事もなく時は流れて、ついに式典は始まった。
会場ホールの周りにはブシドーを中心とした防衛軍の機甲兵部隊が配備され、この間のような謎の機甲兵の出現に備えている。会場内の聴衆たちの中には私服をきた警備兵が紛れており、不審な人物はいないかチェックしている。皇族を警備する近衛兵も例年の倍はいるだろう。
俺たちはというと、施設内にあるモニタールームにいた。ここでは各所に配置された監視カメラの映像を全てチェックすることができる。
「なんだか退屈な仕事だな。護もそう思うだろう。あーあ、なんか眠くなってきちまった」
欠伸をしながら大禅師がそう言った。
「そんなこと言わないでシャキッとしてよ。何が起こるのか分からないんだからしっかり見ておかないと。東城君からも何か言ってやってよ!」
やる気の欠片もない大禅師に対し、九条が文句を言う。
二人はさっきからこの調子だ。大禅師の言うことも分からんでもないが、九条の言うことはもっともだ。どちらの言い分も理解できてしまうため、どちらか一方の味方をする気にもなれず、板挟み状態が続いている。駄目だ。いつまでもこんな状態、耐えられない。
「俺はちょっと外の様子を見てくるよ。監視モニターにも死角はあるからな。何かあったら連絡してくれ。俺の方でも、何か気付いたことがあったら連絡するからさ」
「ちょっと待てよ、護。そいつはずるいぜ。俺も行く」
「いや、流石にこの数のモニターは九条一人じゃチェックしきれないだろう。少ししたら戻るから、その時に交代な」
そう言うと、俺は逃げるようにモニタールームの外に出た。大禅師が舌打ちをする音が聞こえたが聞こえないふりをする。
大禅師には悪いが、どうもモニター越しに何かを見ると言うのは落ち着かない。隠れている相手というものは、眼で見るのではなく感じるものだと俺は思っている。
「せっかくだし、彼女の姿を一目みておくか」
いつも通り、感情がないような無表情でただ座っているだけだろうとは思ったが、聴衆席から遠く眺めるしかできなかった今までとは違い、今回は間近で彼女を見ることができるかもしれない。
そう思い、皇族が列席するバルコニーに続く階段に行ってみたが、そこには二人の近衛兵がいた。彼らは俺を見るなり言った。
「なんだ、貴様は」
その目付きは、聴衆の為に言った防衛軍基地の人間たちとは全く違っていた。流石は選ばれたエリートといったところか。完全にプロの眼をしている。
「防衛軍の要請で来た士官学校の東城護です。今は何か異常がないか見回りの最中でして……」
「バルコニーには異常はない。見回りなら別の場所に行きたまえ」
そうつっけんどんに言われたので、仕方がなく俺は引き返す。
彼女を間近で見ることは諦め、いつも通り遠目に彼女を見ることする。俺は聴衆席の方へと移動し、皇族たちがいるバルコニーを見上げた。
そこには皇族たちが並んで座っている。バルコニーの中央に位置する立派な椅子に腰かけているのは、この国の統治者である皇帝武蔵だ。その両脇にはその息子である大和第一皇子と白馬第二皇子の席があるが、白馬皇子は独立宇宙軍に関する重大な用件があるとのことで欠席している。このような式典の際には、白馬皇子はなにかと理由をつけて欠席している。特に珍しいことでもない。その白馬皇子の席の隣に座っているのが千歳皇女だ。
バルコニーの下にあるテラスにも皇族たちが並んでいるが、彼らは本来名字を持たない皇族の中でも名字を持っている、言うなれば皇族の端くれといった存在であり、皇族としての権力などを有している訳ではない。
「ん? なんだか変だな」
いつもは表情を変えずにただ座っているだけの彼女が、何かを探しているかの如く、辺りをキョロキョロと見回している。一体、何をしているのだろう。彼女の様子をじっと見ていると、ふいに彼女と目が合った気がした。
……そんな訳ないか。俺は視線を彼女から外し、不審者がいないか辺りを見回す。大勢の人でひしめき合っているが、怪しい人間は見当たらない。
「やれやれ、本当に何か起こるのかよ」
校長との会談の後で聞いたことだが、今回の一件は確かに千歳皇女による予知があったとのことだ。彼女の予知は未来のイメージ。彼女がそれを見なければ現実に起こるであろう事実。しかし、彼女の予知によってここの警備が強化された以上、彼女の夢が現実になるかどうかは既に分からなくなっているのだ。
今回の件は式典がこうして行われている以上、自然災害などではなく人によって起こされる事件なのだろう。そうでなければ、この式典そのものが中止になっていたはずだ。
「ふぅ」
よけいな事を考えすぎてもよくない。一度、頭の中をすっきりさせるために、深呼吸をする。落ち着いた後、なんとなく上を見上げてみると、太陽の中に小さな影が見えた。
「あれはなんだ、黒点か? ……いや違う!」
確かに見えたはずの影は一瞬にして消え、今度は別の影が太陽の中を横切る。黒点だったなら、その影は動くことはない。影が動くということは、あれが飛行物体であることを示している。
まさか、あの謎の機甲兵か! いや、決めつけはできない。防衛隊のパトロール部隊ということ考えられる。
「とにかく、九条たちに知らせよう」
俺は連絡用の携帯端末を取り出すと九条にコールをかけた。
「こちら九条。何かあったの、東城君?」
「太陽の中を影が横切った。かなり上空だが複数の飛行物体がいるようだ。あれが機甲兵だとしたら、防衛軍のものか、そうでなければ先日のような謎の機甲兵ということになる。防衛軍内に上空を巡回している部隊はあるのか問い合わせてみてくれ」
「了解したわ。何か分かったら連絡する。上空の様子はモニターじゃ分からないから、東城君はそのまま状況を観察して」
その言葉を聞いて、九条の横にいるであろう大禅師が待っていましたと言わんばかりに声を張り上げて言った。
「よし! じゃあ俺も外に行ってくる」
「大禅師君はいいの! じゃあ東城君、切るね」
通信機越しのやり取りでも、大禅師の顔が喜びの表情から悲しみの表情へと速攻で切り替わったのが容易に想像できる。それからすぐに、ガチャンと音をたてて通信が切れる。
それからしばらく上を見上げて様子を見ていたが、何も見つけられなかったので、もしかすると先ほどの影は自分の気のせいかもしれないとだんだん感じ始めた。あれが防衛軍の機体なら心配することは何もないし、そうでなくても九条たちが先ほどのことを防衛軍に問い合わせてくれたなら、防衛軍が上空への警戒を始めていることだろう。
大禅師の奴もモニター室に籠りっぱなしじゃイライラして仕方がないだろうし、一度モニター室に戻って大禅師と交代しようと思って、室内に戻ると、何かを叫ぶ女の子の声と、それをなだめる男の声が聞こえてきた。
「だから困ります。はやくテラスに戻って頂かないと」
「だから、下にまも君がいたんだってば! まも君ってば、あれから全然会いに来てくれないんだもん。だからね、私の方から会いに行くの。そう約束したんだもの!」
「困ったな……いつもはおとなしい方なのに」
あの声! それにまも君という呼び名! 俺は駆け足で声の聞こえてくる方向へと向かう。あそこの角を曲がった先から声は聞こえてくる。
角を曲がると声の主の姿が目に飛び込んできた。着物に似た形の服を着ている彼女は、黒くて艶のある長い髪をポニーテールにしている。見た目はあの頃とは大きく変わっているけど、あの瞳の色は変わっていない。じっと見つめると、そこに俺の姿が映っていることが分かるほどに黒い瞳。間違いない、彼女だ。
「…………」
話したいことはたくさんあるはずなのに、何も浮かんでこない。俺はただじっと彼女のことを見つめることしかできなかった。
「あ、まも君! さっき目と目が合ったのに会いに来てくれないんだもん。だから私の方から会いに行こうと思ったの。でもやっぱり会いにきてくれたんだ! 私ね、夢で見たの。まも君がもうすぐ私に会いに来てくれる夢!」
「ま、まも君? 何を仰っているのですか、皇女殿下?」
近衛兵は彼女が何を言っているのか分からない様子で首を傾げていたが、俺には彼女の言っていることが分かる。やはり、彼女は子供の頃にした約束を覚えていてくれたのだ。
「千歳……」
彼女の名前を呼び、ゆっくりと近づいていく。もう一歩で手と手が触れ合えるぐらいの距離まで近づいたその時、けたたましい爆音が会場全体を包んだ。
「なんだ、なんだ!」
「とにかくバルコニーに出よう。あそこなら会場全体を見渡せる。さあ、千歳皇女殿下、此方へ」
近衛兵が千歳の手を引っ張るが、彼女はその場を動こうとはしない。
「嫌! まも君と一緒にいるの!」
「ああ、もうっ! 我儘を聞いている場合じゃないのに……」
近衛兵は動こうとしない千歳に対して思わず悪態をつく。
「……仕方がない。おい、そこの警備兵! すぐに戻るから、それまで皇女殿下を見ていてくれ」
そう言うと二人の近衛兵は階段を駆け上がりバルコニーに戻った。俺と千歳の二人だけがこの場に取り残される。
「まも君……やっとまた会えたね」
「ああ、千歳」
俺と千歳が数年ぶりに言葉を交わしたその時、俺の携帯端末の呼出し音が鳴った。ポケットにいれていたそれをすばやく取り出し、通話ボタンを押す。
「こちら九条、今どこにいるの!」
「バルコニーに続く階段の下だ。それと千歳皇女も一緒にいる」
「えぇ、なんで皇女殿下と一緒にいるの! いえ、それはまあいいわ。さっきの爆発音聞いたわね。機甲兵が攻めてきたわ。先日、私たちを襲ったのと同じ型よ。防衛軍のブシドーが交戦しているけど、会場は逃げようとする聴衆たちで大混乱しているわ。はやく彼らを誘導してあげないと……」
再び爆音が響いた。音の発信源は俺たちの近くのようで、自分の耳で聞いた後に通信機から同じ音が聞こえてくる。
爆発音とほぼ同時に、爆発音を放ち破壊されたブシドーを貫通してきたであろうビームが俺と千歳のすぐ傍に降ってきた。そのビームはテラスへと続く階段を破壊する。
「……九条、今の敵機の攻撃でバルコニーに続く階段が破壊された。俺は千歳皇女を連れてこの場を脱出する。九条は千歳皇女をこちらで保護したことを防衛軍に伝えてくれ」
「ちょっと、一人で行くつもり? 私たちも一緒に行くわ。防衛軍に頼まれたことを伝えたらすぐにそっちに向かうわ」
「……分かった。正門は人で避難する人でぎゅうぎゅう詰めだろう。逃げるなら裏口からだ。そこで合流しよう」
「了解」
通信が切れると同時に俺は千歳の手を引っぱる。
「千歳、緊急事態だ。話したいことは山ほどあるけど、とにかく今は逃げよう。走れるかい?」
千歳はこくりと小さく頷く。
裏口に続く道はこことモニター室のちょうど間ほどの位置にある。上手くすれば、途中で九条たちと合流できるはずだ。
必死に走っている間にも、機体が爆発する音は何度も聞こえてくる。おそらくは此方の劣勢だろう。先日、敵機とやり合った時にも感じたが、俺たちの機体と奴らの機体とでは性能が段違いだ。まともにやりあったら、とても勝てるとは思えない。
「あ、東城君!」
「九条、それに大禅師も!」
裏口に続く通路にたどり着くと、九条と大禅師がこちらに走ってくるのが見えた。向こうも俺に気付いて声をかけてくる。
「こりゃあ、一体全体どうなっていやがるんだ」
そう言ったのは大禅師だ。
「俺にも分からない。ただ千歳皇女殿下がここにいる以上、今は逃げるしかないだろう」
「そうね。でも逃げるって一体どこに?」
「どこって、そりゃ……」
すぐに適切な場所が思い浮かばず、言葉に詰まってしまうと、聞いたことのない女の子の声が聞こえてきた。
「裏山にある古代遺跡がいいでしょうね」
声の聞こえてきたのは裏口のある方向からだ。すぐにそちらを見ると、俺たちよりも幾らか幼いと思われる女の子がそこに立っていた。彼女が纏っている雰囲気は、その見た目からは想像できないほど大人びている。
「あー、麗華ちゃんだ!」
「相変わらず、貴方は皇族としての身の振る舞いというものができていないのね。私がどれほど欲しても手に入らないものを貴方は生まれつき持っているというのに……だから私は貴方のこと嫌いなのよ。まあいいわ。私の考えが正しければ、今回ばかりは貴方がいた方が好都合だし」
「君は? 千歳と知り合いのようだけど、君も皇族なのかい?」
どうやら千歳と知り合いのようだが、皇族としてバルコニーにいたとしたら、階段が破壊されている以上、この場にいるはずがない。バルコニーがある位置は飛び降りるには高すぎる。
「私の名前は雅麗華。一応、皇族だけど名字があることから分かる通り、かろうじてというところね。まあ、そんなことはどうでもいいわ。とにかく早く逃げましょう。私についてきて」
そう言うと彼女はさっさと走り出してしまった。逃げる場所のあてもないので、俺たち四人も彼女を追いかける。
「なあ、俺たちが向かっている裏山にある古代遺跡ってなんだ。俺はそんなもの聞いたことがないが」
そう彼女に尋ねたのは大禅師だ。確かに、この会場ホールがある皇居の敷地内には小さな山があったとは思うが、そこに遺跡があるなんて話は聞いたことがない。
「そうね。あそこはもうずっと閉鎖されていて誰も入ったことがないもの。いいえ、入ることができなかったというのが正しいわね」
「おいおい、入れないって……それじゃ逃げ込めないじゃないか」
「まあ最後まで聞きなさい。その遺跡の扉にはこう書かれているわ。皇族によってのみこの扉は開かれる。でも今の皇帝も含めて、今の皇族にはその扉を開くことが出来ない。でもね、昔の記録ではあの遺跡は確かに人が出入りしていたのよ。だから私はこう思っているの。予知能力を持った千歳なら、あの扉を開くことができるって」
「ちょっと待って。皇族の中に、貴方と同じことを考えた人がいたなら、千歳皇女が生まれた時点で扉が開くか試しているはずでしょう? 今も閉鎖されたままなら千歳皇女にも開けないんじゃないの?」
「……」
そう九条が彼女に尋ねたが、麗華は九条の質問には答える気がないようだ。仕方がないので俺が代わりに答える。
「九条、皇帝武蔵は予知能力を持っている千歳を失うことを恐れている。扉の先に何があるのか分からないうえに、出来るかどうかも分からないんだ。そんなことの為に外に出すとは思えないね」
「あら、あなたはそれなりに利口なようね」
自分の事を馬鹿にされたことが分からないような九条ではない。むっとした顔で麗華を見たが、彼女の言っていること自体は正しいので、反論することはできず、きっと睨むだけだ。
「何にしろ、今回のことの首謀者が誰かは分からないけれども、防衛軍よりも優れた機甲兵を沢山所有していることからかなりの規模の組織であることは確かでしょうね。皇族が集まる式典を狙ったことから、狙いは皇族たちであることは明らか。貴方たちはともかく、私や千歳は奴らに捕まる訳にはいかないの。裏山の遺跡に逃げ込めなかったら、そもそも逃げ切るのは難しいでしょうね」
確かに彼女の言う通り、あの式典で行動を起こした以上、狙いは皇族だろう。千歳を守る為にもなんとか逃げ切らなければならない。
「とにかく急ごう。皇族が狙いだとしたら、奴らだって千歳がいないことにはすぐに気付くだろう」
千歳がいないことに気付いたなら、すぐに辺りの捜索を始めることだろう。時間はあまりない。俺たちは全力で裏山を目指して走った。