襲撃
俺は歴史の授業中、特に何をするでもなくぼうっとしていると、左隣に座る男子生徒の机から消しゴムが転がり落ちるのを見た。
周囲の様子を窺うと、生徒たちは誰もが歴史教師が黒板に書き綴っている年表を書き写すのに一所懸命だ。全員の視線が黒板に注がれている。
それをしっかりと感じとった俺は左腕を素早く下に伸ばし、その消しゴムを拾うと持ち主の机に向けて軽くほうり投げた。宙に舞った消しゴムはほとんど音をたてずに机の上に落ちる。
一連の俺の行動に気付いたものはいない。成功だ。
俺の名前は東城護。防衛軍士官養成学校に通っている。士官養成学校といっても、軍人としての心得を知る為に歴史教育に力を入れているのと、わずかばかりの時間を使って軍のおさがり兵器を使った軽い実践演習を行っているのを除けば、あとは普通の高等学校となんら変わりがない。それと全寮制というのは普通の高等学校にはない珍しい点かもしれない。
そもそも防衛軍なんてものは名ばかりの組織で、この国が出来てからただの一度として軍が出動するような戦争なんて起きたことはない。やることといえば災害時の救助活動なんかが主になっているのが実情だ。
ならば何故、防衛軍なんてものがあるのかと疑問に思うのは当然の事だ。建前としてはいつか来るであろうと予測されている宇宙からの侵略に備えるということになっている。この国の成り立ちを考えれば、建前としては成り立っていると言えるだろう。
それに、例え防衛軍という組織の全てが建前で出来ていたとしても、俺は構わない。というのは、国を守るという行為自体には俺はあまり興味を抱いていないからだ。
俺がこの学校に入った理由はただ一つ。幼いころの約束を果たす為、この組織にいれば、いずれは彼女と再会する機会もあるかもしれないと思ったからだ。心配なのは彼女が俺との約束を覚えているかどうかだが、これこそ信じるより他にない。
――おっと、教師が文字を書く手を止めて此方に振りむいたようだ。
俺は机の上に転がっていた鉛筆を手に取ると、開かれたままの状態で置いておいたノートに歴史年表を書き写すふりをし始める。自分の行動が馬鹿々々しいことだと自覚しつつも、そうしなければ教師の叱責が飛んでくるのだから仕方がないと割り切って考える。
「こらっ、そこのお前! 何をぼうっとしている! やる気がないなら帰れ!」
ほら、言わんこっちゃない。
サボっているのを気付かれた生徒が叱責を飛ばされたのを見てそう思った。他の授業ならともかく、ここでは軍人の心得として重要とされている歴史の授業で内職なんてしたら怒られるに決まっているのに。しかも一番前の席で堂々と。ばれないと思う方がおかしい。
内職が悪いこととはこれっぽっちも思いやしないが、目立つことをすれば碌なことにならないと分からないなんて馬鹿な奴だとは思う。そう、行為の善悪関係なしに目立つことをすれば碌なことにならないのだ。
午後の授業は機甲兵を使った初めての本格的な実践演習だ。機甲兵を動かすための演習場は校外にあり、かなりの距離を移動しなければならないので、普段は長すぎるくらいに感じる昼休みも実質的な時間はほとんどない。
食堂で注文した日替わり定食をほとんど味わわずに口へと運ぶと、急いで演習場へと向かった。
俺が演習場に到着した時にはまだ人は少なかったが、集合時間の五分前には全員の生徒が集まって列を作っていた。殆んど普通の高等学校と変わらないとはいえ、仮にも軍学校なので時間と規則には非常にうるさい。夏休みが明けて間もない時期ということもあって、多少の遅刻者は出ると思っていたがいらぬ心配だったようだ。集団責任とか訳の分からないことを言いだす教員、あるいは教官も少なからずいるからな。
ちなみにこの演習場は機甲兵を使う訓練の為の専用施設だ。過去に防衛軍が訓練に使っていた施設で、巨大な競技場のような形状――大きさはその比じゃないが――をしている。また、訓練の様子を観察できる観客席のようなところと、機甲兵を動かすグラウンドを仕切る壁は極厚の強化ガラスで出来ており、訓練中に壊れるようなことはまずありえない。
ああ、それと機甲兵というのは簡単に説明すれば人型の戦闘機械だ。反重力装置によって、どのような形状の物体でも浮遊が可能になったことで従来の戦闘機から人型の物へと進化したらしい。といっても単純な速度に関しては戦闘機に劣るので全てにおいて進化しているとは言えないだろうが、その行えるパターンの多様性は戦闘機には決して真似できない機甲兵の長所である。
――どうやら教官が来たらしい。それに気付いた生徒たちは談笑をやめ、気をつけの姿勢で待機する。
「よし、全員揃っているようだな。それではこれより戦闘演習を始める」
空気の振動を肌で感じ取れるくらいの大声で教官が叫ぶ。
「今回の演習は機甲兵を使った二人一組で行う模擬戦闘だ。二人組はこちらで適当に決めておいたので心配する必要はない。模擬戦は順番に行うが、自分の番が呼ばれるまでは誰が仲間なのか分からないので楽しみにしておくといい。機体は最もポピュラーな機体であるブシドーを使う。巨大な二本の刀が特徴な機体だが、今回の模擬戦では安全上の理由から使用することを禁ずる。武器はペイント弾を使用し、肩部の盾を除く上半身に命中させられた時点で撃墜扱いとする。詳しいことはこれより配布するプリントで確認すること。それでも分からない場合は質問を許可する」
プリントに書かれていることを、ざっと見てみたが説明以上に大切なことは書かれていないようだ。まあ当然と言えば当然か。
「……どうやら質問はないようだな。では今から呼ぶものは準備の為に移動だ。…………の八名、俺についてこい。各模擬戦が終わるごとにモニターで次の生徒を呼び出すから他の物の戦闘もよそ見せずにしっかりと見ておくように。以上」
八名というのは滞りなく演習を行う生徒を入れ替えるためだろう。呼ばれた八名の中に俺の名前はなかった。ということは今も残っている九十二人の中の誰かが俺のペアになる。俺として、はあまり注目されない目立たない相手がペアになることを祈るのみだ。
組む相手を演習の直前に決めるというのはこれまでも幾度かあったし珍しいことでもないが、機甲兵を使った本格的な模擬戦闘をするのは今回が初めてだ。俺自身は別に緊張してはいないが、他の誰もが自分のペアになるのが誰なのか考えながら辺りを見回さずにはいられないようで、周囲をきょろきょろ見ているものが大勢いる。
不意に、そんな中の一人と目があった。九条凛だ。
九条なら誰がペアになっても上手くやるだろうが、九条と組む奴は大変だなと思う。
というのは、九条は容姿端麗だからだ。士官学校という所は元々女子生徒が少なく、一般的に可愛い容姿をしていなかったとしても男からちやほやされるものなのだ。しかし、九条の場合はそうではない。普通の高等学校にいたとしても、あの整った顔立ちに加え、真っ直ぐに前だけを見つける輝く瞳に、肩にあたるぐらいのやや茶色に近い髪だけでも、間違いなく男子生徒たちの視線を集めることだろう。
それに、九条は見た目がいいだけではなく成績も優秀だ。筆記は学年トップ、実技の方はトップとまではいかないが、これも好成績を収めている。
尤も、これは一般的な意見であって、俺個人の九条に対するイメージはこれとはかなり異なる……だが、それはどうでもいい話だろう。
もし、そんな奴とペアを組むことになったら……想像するだけで身震いする。自分では何も目立つことをしていないはずなのに、九条のペアというだけで注目されてしまう。一般的男子生徒ならばそんな九条とペアを組めることは最高に嬉しいと感じるのかもしれないが、そんな理不尽なこと、俺はごめんだね。
「お、試合が始まるみたいだぞ」
誰かが発したその声で、生徒たちの視線がモニターへと集まる。無人の偵察カメラが捉える映像が表示される無数のモニターには、組ごとに塗装の違う四機のブシドーが、二機ずつのペアに分かれて宙に浮かんだ状態で背中を向け合う姿が映されていた。
なるほど。背中を向け合っている状態から戦闘を始めるのは先制攻撃をしにくくするためだろう。機甲兵は戦闘機よりも細かい動作を得意としているが、すばやいターンが苦手なのは変わっていない。地面に足がついていれば、足を使っての反転が可能だが、宙に浮いた状態ではそれも出来ない。
この四人はどのように戦うのか。余程おかしなことをしない限りは、彼らの戦い方は大いに参考にされることだろう。そう考えると最初のペアというのも無駄に注目を浴びることになるな。最初のペアでなくてよかったと今になって思う。
「三、二、一……開始!」
そんなことを考えている内にも時間は過ぎていく。試合が始まったようだ。
ブシドー全機はまず同時に直進した。距離をとってから反転すると、一転して相手との距離を詰めていく。上半身に命中させなければならないことを考え、出来る限り高度を上げることも忘れない。
作戦としてはなにも問題はなかったが、お互いのチームがほぼ同じことを考えた為に、完全に向かい合うような形になってしまった。
勝負は一瞬だった。正面から向かってくる相手に対し、焦ってペイント弾を慌てて連射したのだ。全機が回避行動をとるのも忘れ、ペイント弾を乱射しているのはまるで子供の喧嘩のようだった。
これには周囲の生徒も苦笑いしているようだった。勝ち負けも評価の一要因ではあるが、何よりも戦闘の中でみせた技術や戦略が評価の要となる。こんな戦い方では勝ったチームも良い評価を貰えないだろう。そして何より、評価以前の問題として情けなくてカッコ悪い。
戦闘があっという間に終わってしまったので、モニターには準備を行う為に新たに四名の生徒の名前が表示される。
そこには俺の名前があった。他に表示された名前は、大禅師宗に寺田進、それに九条凛。――大禅師宗に九条凛。成績優秀な二人の名前を見て、わっと周囲にどよめきが起こる。
……最悪だ。寺田進という生徒はあまり記憶に残っていない。あまり注目を浴びるタイプではないのだろう。公平性という観点から考えれば、九条と大禅師が組む可能性は限りなく零に近い。ということは俺のペアは九条か大禅師ということになる。
目立つことが確定しただけでも嫌だというのに、それに加えて俺はこの二人の事が正直苦手なので憂鬱加減も二倍になる。
いつも自信に充ち溢れていて自分よりも優秀な奴なんていないと信じ切っているような大禅師とは価値観がまるで合わないだろう。一生かけても分かりあえない自信がある。
九条は何故か俺と話すときだけはしどろもどろになるというか、言っていることの意味がよく分からないことがある。九条とは幼稚園から小中と同じ学校だったが、いつからだったか忘れてしまったがだいぶ昔からそうだった。他の誰かと話している時はそんなことないというのに……そんな心当たりはないが、もしかしたら嫌われているのかもしれん。
いつまでも自分の不運を嘆いていても仕方がない。俺は立ち上がると、集合場所の機甲兵がある格納庫へと向かう。
時間は必ずやってくるが、同時に必ず過ぎ去っていくものでもある。この戦闘こそ注目されるだろうが、これといって目立つようなことをしなければ、俺の事なんか、すぐに記憶の片隅にでも追いやられることだろう。
格納庫につくと早速出撃準備のために機体の状態を確認する。ここでは今行われている模擬戦の様子を見ることが出来ないので黙々と作業を行う。といっても整備班がすでにチェックを終えているので、俺たちがするのは最終確認程度だ。
そのチェックもすぐに終わり、暇を持て余していると九条が話しかけてきた。
「まも……と、東城君。機体のチェックは終わった? 終わっているなら、その……ちょっと話さない? ほら、お互い色々と知っていた方がやりやすいでしょ」
「チェックは終わっているけど、話すって何をさ」
要領を得ない言葉に、返事も自然とぶっきら棒なものになる。
「ほら、あれよ、あれ。どういう風に戦うのか打ち合わせておいた方が連携も上手くいくだろうし」
「まあ、そりゃそうだろうね。何か提案でもあるのかい?」
「えーと、東城君は何かいい考えある?」
「いや、成績優秀な九条さんの方が、俺なんかよりも色々と思いつくでしょ」
何故、わざわざ俺にアイデアを出させようとするのか理解できなかった。九条だったら頭の中に作戦がすでに出来上がっているに決まっているのに。本当によく分からない奴だ。
「東城君の方が頭はいいと思うんだけどな……」
「え、何か言ったか?」
「ううん、なんでもない」
九条は手のひらをパタパタと振って否定する。確かに何か言ったように思えたのだが、本人が言っていないというのを無理に追及する必要もないだろう。
「その、作戦なんだけど、上半身に命中させなきゃいけないっていう条件を考えると、無理してでも相手よりも高い位置に陣取った方が有利だと思うの。走する為に、わざと機体のバランスを崩して背中の推進エンジンをロケットエンジンみたいに使って急上昇しようかなって。相手も同じことを考えるだろうし、反重力システムだけじゃ相手と同じ位置までしか上昇できないからね。かなりの負荷Gがかかると思うけど……と、東城君は大丈夫?」
作戦について説明している時の九条は成績優秀で皆の憧れる九条凛そのものだった。しかし、最後に俺の名前を読んだ時だけ、どもっていたし、やっぱり嫌われているんだろうか。そりゃ嫌いな奴の名前なんて呼びたくはないだろうけど。
「ああ、難しい操作もないしそれでいいんじゃないかな。負荷Gにしても耐えられない程じゃないだろう」
作戦については反対する理由もないので素直に賛成しておく。九条はやや照れたような表情をしたが、どんな相手からでも褒められれば嬉しいということだろうか。
「前の組が終わったぞ。お前ら、出撃だ。優秀な生徒同士、高レベルの戦闘を期待しとるぞ」
どうやら前の組も早々に終わったらしい。上半身にという条件はあるものの、ペイント弾を一発命中させるだけで撃墜したことになるのだからそんなものなのかもしれない。
そんなことを考えつつ、先ほどの教官の激励に「はい」と答える三人を尻目に見ながら、俺自身は何も答えずに出撃した。本来なら返事をしなければ教官から怒声を浴びせられる所だが、俺の思った通り、先ほどの激励は九条と大禅師に向けられたもののようで何も言われなかった。寺田とかいう男はそれに気付かなかったのか、あるいは反射的に返事をしたのか分からないが、たぶん前者なのだろうと思った。
最初の試合と同じように、背中を向き合わせて宙に浮かび試合開始の合図を待つ。
「じゃあ打ち合わせ通りにね」
「ああ」
通信で九条が話しかけてきたが、俺は特に何かを言う訳でもなく短くそれに答える。
ちなみに今回の演習ではペア同士の通信回線は開きっ放しにすることになっている。リアルタイムで指示をし合って連携を高めるためらしいが、回避時などにうっかり「うおっ」とか変な声をあげてしまうと、相手に丸聞こえなので恥ずかしい思いをすることになる……と俺は思っている。九条ならそんな風には思わないだろうが、まあ気持ちの問題というやつだ。そんな声を出さないように出来る限り気をつけることにする。
ピピピ、ピピピ……九条からではない通信が送られてくる。間違いなく教官からだろう。教官からの通信は優先レベルが高く設定されているのでオートで接続され、教官の声がコックピットの中に響く。
「よし、ではこれより模擬戦闘演習を開始する。準備が出来ているのは此方でも確認しているが、心の準備も出来ているな……では、三、二、一、開始!」
その合図と同時に、俺と九条は打ち合わせ通りに機体を傾け、反重力システムに推進エンジンの推力を加えて、反重力システムだけでは不可能な加速度的な上昇を行う。大禅師たちは戦闘技術では負けるはずがないと思ったのだろう、最初の試合と同じような特にこれといった特徴のないオーソドックスな戦法できた。とりあえずこれで相手よりも有利な条件で戦おうという此方の思惑は成功したことになる。
機甲兵に搭載されている反重力システムは、かかっている力のスカラー値を絶対値の範囲内で移動力に変換するシステムだ。移動力というのがミソで力そのものがかかる訳ではないので、あくまで等速的に移動することしかできない。下降ならば元々の重力で加速的に下降できるが、上昇に関しては限界地を絶対に超えられない。上昇すればするほどかかる重力値は低くなるので移動力も落ちるが、それはほんの僅かな値だ。誤差の範疇と言っても構わないだろう。つまり、反重力システムでは既に自分よりも上の高度にいる相手を追い越すことは出来ないのだ。
「流石は九条が考えた作戦だな。これならあの大禅師が相手でもなんと戦えそうだ」
「そ、そんな褒めないでよ、恥ずかしいでしょ。それに油断は禁物よ。相手はあの大禅師宗なんだから」
油断は禁物と言っている九条もどことなく浮かれているように感じられる声だった。自分の考えた作戦で、実技……実践に関しては並ぶものがいないと言われている大禅師に対して優位な状況を作り出したのだから。
しかし、九条の言う通り油断は禁物だ。あの大禅師が相手である以上はこれで互角になったと思った方がいいだろう。今の状況でも、目立ちたくないと思いながら戦っている俺が間違っても勝っていい相手ではない。まあ大禅師の相手は九条に任せるとするさ。
ある程度まで上昇したところで旋回し、大禅師たちがいる方向へと向かう。演習場を出ることは出来ないので、直線運動でいつまでも相手から逃げ続けることはできない。もっとも大禅師ならそんな戦法はプライドが許さないだろうが。相手も上昇しながら横に旋回するのをレーダーで確認し、そちらを目指す。
こちらが相手の横っ腹を捉えるような形になったが、相手も流石にそれは条件が悪すぎると踏んだようで、方向転換して此方へと向かってきた。
すれ違うのは一瞬。その瞬間に備えて気持ちを集中させる。
レーダーではまだ距離があると思っていたその時、弾丸らしきものが連続して横切った。すれ違う瞬間はどう足掻いても下から上半身を狙うことはできない。距離のある内にと攻撃してきたようだ。お互いが向かい合いながら距離を詰めていっているので、相対的に弾の速度は速くなる。
「撃ってきたみたいね。回避行動を……」
「いや、距離があるせいか相手の狙いは滅茶苦茶だ。下手に避けたら逆に当たるかもしれない。肩の盾で防いだ方がいい」
「そ、そうね。そうしましょう」
ブシドーの腰をひねらせて肩を前に突き出す。肩に装備された盾ならいくら当てられても撃墜扱いにはならない。距離を詰めるごとに相手の狙いも正確になっていき、何発か盾に命中して破裂音と共に、わずかな衝撃をこちらの機体に与えたが、マガジン内の弾を使いきったのか敵の射撃が止んだ。あれだけ撃ってきたのだから弾切れもするだろう。弾を補充するには腰につけられた予備のマガジンと弾の切れたマガジンを交換しなければならない。接触まであまり時間がない。それをしている余裕は相手にはないだろう。
そしてすれ違う直前、こちらが相手に攻撃しようと銃を構えると、相手の片方がこちらが撃つ前に攻撃してきた。狙いが異常なまでに正確だ。おそらく大禅師だろう。弾切れだと思わせることでこちらの油断を誘ったらしい。
俺と九条はその攻撃をギリギリで回避し反撃する。九条は回避しながらもしっかりと攻撃し、それは一機には命中したが、もう一機は急降下しながらそれを回避した。下降速度が速い。おそらくは此方が攻撃する前から下降し始めていたのだろう。回避した機体は直前に攻撃してきた機体と同じだった。流石は天才大禅師というべきなのだろうか。
しかし、これで一対二。高度もこちらが上回っているし、かなり有利な条件だ。
「よし、一機撃墜。この調子でもう一機も……」
九条がそう言ったその時、一閃の光が頭上から降ってきた。その光は俺たちが今いる訓練所と観客席を隔てる強化ガラス壁をいとも簡単に貫いた。
「うわ、なんだ、お前は!」
寺田機は、撃墜直前に弾を補充したマシンガンで、謎の乱入者を狂ったように攻撃した。しかし、マシンガンといっても弾はペイント弾だ。当然、乱入者の機体には傷一つ着かない。
そして乱入者は寺田機の方を向くと、強化ガラスを貫いた光を寺田機に向けて撃った。その光に頭から全身を貫かれた寺田機は大きな音を立てて爆発する。
俺は突然の事態に困惑する。訓練中に見たこともない機甲兵が突然現れて攻撃をしてきた。こんなことがあるものなのか。
ピピピ、ピピピ……コックピット内に通信が来たことを知らせるアラームが鳴り響く。今度はオートで接続されずに、通信を許可するかどうかの選択肢が出ている。このタイミング、教官からでないとすれば大禅師からだろう。俺は迷うことなく許可のボタンにタッチする。九条も同じことをしたのだろう。自動的に三人の間でのリアルタイム通信モードに移行した。
「おい、今のはなんだ」
「俺にも分からん、九条は何か分かるか?」
「私にもさっぱり……いえ、上よ! レーダーには映っていないけれど機甲兵がいる!」
レーダーに映らないのはおそらく俺たちが乗っているのが訓練機だからだろう。訓練中に関係のないものがレーダーに映ったりすると誤射などの事故に繋がりかねない。
「機甲兵が光学兵器を使ったというのか、信じられん!」
光学兵器というのは元々、宇宙空間で使う小惑星などを砕いて資源を採掘するための装置で、大禅師の言うように、光学兵器を搭載した機甲兵なんて存在しないはずだ。
「信じられなくても現に存在しているんだから文句を言っても仕方がない」
ピピピ、ピピピ……再びアラームが鳴り、オートで接続される。
「緊急事態だ。お前ら、すぐにこの場から離脱しろ。すでに軍本部に救援要請は出した。すぐに増援が来る」
緊急事態……救援要請……その言葉は謎の乱入者が敵であることを明確に示していた。
「分かりました。すぐに離脱を……」
そう言ったのは九条だったが、大禅師の声がそれに割り込む。
「いや、奴は最初に観客席の方を撃った。此方は貫かれた壁のすぐ近くに来ているが、ちょうど生徒たちが大勢待機しているあたりだ。幸い外れたようだが、俺たちが逃げれば、次は犠牲者が出るかもしれない」
観客席の生徒を狙った。すると奴は無防備な人間を狙い打って遊んでいるとでもいうのだろうか。それが事実なら、ここで逃げ出すわけにはいかない。
「俺も大禅師の意見に賛成だ」
「お、お前ら……命令に従えないというのか」
普段なら聞いただけで縮こまってしまう教官のどなり声が聞こえてくるが、言うことを聞く訳にはいかない。
「……九条君からも言ってやってくれ。さっさと撤退しろと」
「いえ、大禅師君の話を聞いてしまったからには引くことなんて出来るはずがありません。増援が来るまでは私たちで足止めします」
「足止めって……ペイント弾だけで一体何が出来ると言うんだ」
九条の強い決意がこもった声。それに対して教官の声は弱々しいものだった。
「武器ならあるさ。ブシドーには立派な太刀が二本をついているじゃないか」
「そういうことです、教官。それに武器は使いようですよ。ペイント弾だって使い道はあります」
「東城護だったか、よく言った。……これより三機で連携して奴の足を止めるぞ。奴はレーダーには映らない。頭の中で位置を把握するのを忘れるな」
「ふう……言っても無駄なようだな。好きにするといい」
その言葉を最後に教官からの通信は切れた。
「はは、もうあいつを教官とは呼べんな。レーダーや偵察カメラで奴を捉えているであろう者が通信を切るなんて逃げ出すとしか考えられん。まあ臆病者のことはいい。俺もすぐにそちらに合流する」
合流した俺たちは奴の周りを旋回しながら様子を窺う。奴はしばらくの間、こちらのようすを観察しているような素振りを見せていたが、敵意があると判断したのか、光学ビームで攻撃を仕掛けてきた。
しかし、敵の光学兵器は砲身が長く向いている方向が分かりやすいうえに、軌道が直線的だという元々の性質も相まって、撃たれることが分かっていれば回避するのは容易であった。
「護、ペイント弾にも使い道はあると言っていたな。具体的にはどうするつもりなんだ」
「カメラを狙い打つ。奴の機体も機甲兵なら頭部のアイカメラを潰せば視界のほとんどを潰せるはずだ」
「なるほど、承知した。一気に攻めるぞ」
敵の攻撃をかわしつつ、ペイント弾で敵機の目を狙うが、目標がいかんせん小さすぎる。機甲兵は下降による回避を得意としているので、機体の頂点にある頭部と言うのは元々狙いづらいのだ。しかも、此方の武器はペイント弾なので、上昇することでも簡単に回避できる。そんな状況で頭部の目というただ一点を狙うのは至難の業だろう。
しかし、それをやってのけてしまうのが天才というものだ。偶然にもこの場には二人の天才がいる。決して不可能なことではない。
「ええい、このっ、ちょこまかと!」
敵機はひょいひょいとペイント弾を回避する。その姿はまるでまともな武器を持たない俺たちを馬鹿にするようであった。
やがて、命中しても損傷を与えず敵の胸部などに虚しく命中跡を残すペイント弾をいつまでも撃ち続けることに痺れを切らした大禅師が、肩に納められた太刀を抜き敵に斬りかかった。
まるでおもちゃの銃を武器に持つ子供を相手に遊んでいるような調子だった相手は突然のペイント弾というおもちゃではない武器での攻撃を慌てて回避する。しかし、その動きには明らかな隙があった。誰にだって気付くような致命的な好隙だ。あの九条が見逃すはずがない。
「やっと隙を見せてくれたわね」
九条が放ったペイント弾は全弾が敵機の頭部に命中し、それによりアイカメラを覆ったペイントは、アイカメラによって敵機が得られる視覚情報をシャットアウトする。
視界を失った敵機はその機能を失った眼光をきょろきょろと動かしたが、すぐに無駄だと判断してそれを止めた。
レーダーなどの索敵装置が生きていても、視覚情報なしで敵機を攻撃することは誘導兵器でも用いない限り非常に難しい。今までの戦いで遠距離攻撃が出来る敵の武器は肩の光学兵器しかないことは明らかだった。
これで終わりか……と息をついた時だった。敵機の胸の黒い部分が下から段々と透けていく。どうやらそこを覆っていた装甲をかねているであろうカバーを外したようだ。
コックピットに座っていたのは青眼の男であった。ヘルメットを被っているので顔はよく見えないが、その眼だけが妖しく此方を睨んでいるのが分かる。
「なんだ、あの目は。趣味の悪いカラーコンタクトでも入れてやがるのか」
大禅師のいうように、生まれつきの青眼なんて見たことがない。しかし、あの独特の輝きはカラーコンタクトなんかで再現できるようなものとは到底思えなかった。
まだやるつもりなのかと身構えた瞬間、敵機の頭部が消えたかと思うと、コックピットがある胸部が持ち上がり、足が折りたたまれると、一瞬の間に敵の機甲兵はその姿を戦闘機に変えた。
「野郎、逃げるつもりか」
「逃がさないわ」
「二人とも、深追いは……ああもう、仕方がない!」
敵機を追いかけようとする二人を言葉で静止しようとするが、敵機が逃げた先には街があり大勢の人々がいる。軍の基地があるのは街を超えたその先だ。既に応援要請が出されていることを考えれば、軍に任せても大丈夫だと思うが、万が一ということもあると判断したのだろう。
あの二人なら敵機に後れを取ることはないだろうが、このままここでじっとしていても仕方がない。観客席に残っていた生徒たちも、各自で避難を始めているようだった。避難する生徒たちの傍に教官が見当たらないことに気付き、まさかとは思ったが、大禅師が言っていた「逃げだすとしか考えられん」という台詞が正しかったと認識する。
一人逃げ出したであろう教官に不快感を覚えつつも、生徒たちが避難をはじめているならこの場は大丈夫だろうと、九条と大禅師の二人を大きな後れをとりながらも追いかける。
「全速力で追いかけているというのに距離は離れる一方だ。光学兵器だけでもおかしな機体なのに機甲兵が戦闘機になるというのは一体どういう了見だ」
「せめて射撃武器があれば攻撃できるのに……」
二人が悪態をついているのが通信で聞こえてくるが、それで自機の速度が増す訳でもなければ、ましてや敵が減速してくれる訳でもない。
このままだと逃げられてしまう。敵機が街に着く前に軍が来てくれることを祈りつつ、追跡をやめようとすると
「おわっ! 急になんだ、あの野郎!」
「え、嘘。そんなことってあるの」
通信で二人の信じられないものを見たような驚きの声が聞こえてきた。
なにかあったのかと思い、俺はブシドーの下半身を分離して急加速する。戦闘機ほどではないが、元々のブシドーよりも上の速度で追いかける。驚くことに、見えてきたのは、ほぼ全機が横一列に並んでいる姿だった。
どうやら敵機は戦闘機から機甲兵へとその姿を戻すと、凄まじい勢いで減速しているようだった。同じ機甲兵同士なら減速する速度もほぼ同じはずだが、どうやら敵の機甲兵は足を前に突き出して、そこにつけられたブースターを噴射することで無理やり速度を落としているらしい。ブースターによる加速度的な減速ならば反重力システムを横方向にも活用することによってその減速力を増すことができる。
そして、その急減速にブシドーでは対抗するすべはなかった。二機のブシドーは敵を追い抜いてしまう。戦闘において後ろを取られるということは致命的だ。敵機がこのチャンスを見逃すはずもなく、砲身を二機に向けて光学ビームを発射した。
後ろから光に貫かれた二機はそのまま下へと落ちていく。反重力システムをやられたのだろう。コックピットは首の下に存在している。それに対して反重力システムがあるは腰に限りなく近い背中だ。角度から考えればコックピットへの直撃は避けられているだろう。しかし、二人の無事を確かめる為の通信システムも途切れてしまい、状況を確認することが出来ない。
「貴様、よくも二人を!」
俺は肩から刀を抜くと、それを前に突き出して相手に突撃する。敵機はそれを足のブースターを利用して横に逸れてかわすと、反撃の光学ビームを撃つ。俺はそのビームを上昇しつつ旋回して回避しようとしたが、ギリギリのところで当たってしまい、刀を持った腕が溶解する。
これで敵機の上をとった。こちらにまともな射撃武器がないことを知っている敵機はその場に静止して浮かんだ状態で光学ビームを撃ってくる。しかしそれは機動性を増しているブシドーには当たらない。
「これで終わりにする!」
残った方の腕でもう一本の刀を抜くと、重力による自然加速に加え、重力を利用した反重力システムを下方向へと働かせることで急降下する。その勢いにまかせて敵機に刀を突き刺す。レーダーとパイロット自身の目しか視界が存在しないと思われる敵機は、ほぼ真上からの奇襲に反応することが出来ず、刀はコックピットに突き刺さった。
耐久力がないコックピットへの攻撃は、俺に何の感触ももたらさなかったが、動かない敵機と先が赤く染まった刀が敵パイロットを殺したことを明確に示していた。
「やった、やったが……殺したのか? パイロットを? 俺が?」
人を殺したという現実を突き付けられて呆然とする俺は、墜落した機体から脱出し、こちらに向かって手を振る九条と大禅師の姿にしばらく気付かなかった。