決戦前夜
準備が整い、ワープ空間に突入してからもう二三時間三三分が経過した。あと約三十分でワープ空間を出て故郷の星の宙域へと出る。食事、睡眠も十分とり、出撃の準備をする為に千歳と一緒に格納庫に来たところだった。
この船の乗組員は百人足らずしかいない。船の規模からすれば少なすぎる人数だ。だからワープ空間を出たら全員が機甲兵のパイロットや砲撃士といった戦闘要員としてバトルノアを動かすことになる。休憩なんてものはとても取れないので、戦いは短時間で終わらせなければならない。
その為にはクーデターの首謀者である二人、白馬とアンドレイ・マレンコフを打倒し、千歳の皇位継承の発表を以って防衛軍をこちらの味方にしなければならない。その後は抵抗するソ連兵士を防衛軍と協力して殲滅すれば作戦完了だ。
「どうしたの、護。なんだか怖い顔しているよ?」
「いや、なんでもないよ」
笑いながら答えたつもりだったが、完全には隠しきれなかったようだ。これから起こることを千歳は間近で見ることになる。スサノオに一緒に乗るということは、そういうことでもあるのだ。危険に晒したくないのは勿論だ。しかしそれ以上に、千歳にそんな光景を見せたくないという思いがある。これから千歳は家に閉じ込められることもなく、色々な光景を見ることになるだろう。地球は荒んだところではあったが、そこにいるのはいい人たちばかりだった。だが、これから見ることになるのは、かつての同胞を殺していくだけの光景だ。最終的には千歳の兄である白馬を殺す光景すら見せてしまうことになるかもしれない。出来ることなら、誰一人として殺すことなく目的を達成したいところではあるが、それは無理な願望というものだろう。
千歳と共に格納庫に入ると、見なれた二人がそこにいた。
「凛、それに大禅師も」
作戦開始まではまだ三十分もある。この三十分はどんな事態においても早まったりしなければ遅延することもない時間だ。だから早めに準備をしておくという理屈はそこには存在しない。俺も早めにきたつもりだったのだが……。
「随分早いね。まだ時間はあるよ……って先に来ていた私のいうことでもないか」
「血が騒いで落ち着いていられないってのは誰でも同じか。機甲兵のパイロットは殆んど皆がここに集まっているよ」
大禅師に言われて辺りを見回すと、たしかにほとんどのパイロットが既に集まっているようだ。ここに保管されていたサバイバー十六機に俺たちの持ってきたブシドーが二機。俺が壊したブシドーも現地にあったプロト・アーマーの部品を用いることで修理されている。幸い、性能の低下は殆んどないようだ。それに千歳も加えて俺たち四人が乗る、アマテラス、ツクヨミ、スサノオを加えた計二十一機の機甲兵がここにはある。整備担当の人間もいるので正確な数ではないが、ここに集まっているパイロットは俺たちも含めて十七人ぐらいだろうか。
これはかなりの大戦力だ。性能面でも向こうの機甲兵を上回っている。ただし、それは二年前の話であり、現在ではどうなっているのか分からない。ノアの格納庫にあった空白のスペースから想像すると、研究用としてオリジナルブシドーが一機、向こうに残されているものと思われる。当時よりも技術力が衰退しているとはいえ、お手本が残っているのだ。今までは研究そのものが殆んど行われていなかったのだろうが、本気で研究を進めれば精巧なコピーを作ること自体はそう難しいことでもないだろう。最低でも、オリジナルブシドー級の機体が量産されている覚悟はしておかなければならない。
「私たち……勝てるよね?」
凛が不安そうな声でそう呟いた。
「当たり前だろ。バトルノアなんて超弩級の戦艦に、これだけの機甲兵が揃っているんだ。機甲兵のパイロットだってソ連で機甲兵の操縦経験がある連中だ。白馬たちがどれほどの軍備を整えていたとしても、決して引けを取ることなんてないさ」
「大禅師の言う通りだ。絶対に負けない。もう後には引けない以上、あとは全力を尽くすしかない」
「そうね、なんだか知らず知らずのうちに弱気になっていたみたい。ありがとう、二人とも」
「元気が出たならなによりだ」
例え、それが空元気でもな。凛の様子を見ていれば、本当に元気が出た訳ではないことは察しがつく。今はそれが偽りであったとしても、表面上で元気であることを繕っていれば、本当の気持ちも段々と元気になっていくものだ。
「じゃあ俺はアマテラスに乗って時間が来るのを待つとするか」
「私もツクヨミの中で待機しようかな。コックピットの雰囲気にも慣れておきたいし……護はどうするの?」
「俺もスサノオに乗っておくよ。俺たちの機体は特殊すぎて整備や調整のしようもないから、整備班に迷惑がかかることもないしな。千歳もそれでいいかい?」
俺が尋ねると千歳は静かに頷いた。
俺と千歳がスサノオに向かって歩いていると、周りの人たちも千歳がここにいることに気がついたようだ。俺たちの周りにわらわらと集まってくる。千歳と俺が一緒に戦うこと自体は知らされているので注目を浴びるような理由もないはずだが……そう思っていると、周りの人たちは千歳に向けて声をかけはじめた。
「千歳様、今から向かう日本という国はある場所が違えども私たちのとっても同じく祖国であります。絶対にソ連から国を取り戻しましょう」
「この戦い絶対に負けられません。我々も全力を尽くします」
「千歳様は我々の希望です」
彼らの言葉を聞いて、何故彼らが千歳の周りに集まってきたのか分かった。失われたはずの皇族の血……彼らにとって千歳は日本という国そのものなのだ。
肝心の千歳はというと、彼らの言葉に何と答えたらよいのか分からずにオロオロとしている。しかし、やがて言葉を捻りだした。
「が、頑張りましょう! 皆で協力すれば何でもできます!」
これからすることを考えれば、全くそれらしくない言葉だったが、彼らに対する激励の言葉としては最高のものだった。彼らにとっての未来の統治者に力をかして欲しいと言われたのだ。戦いに赴くものとしてこれほどの喜びはないのだろう。
俺たちは歓声に包まれながら、スサノオへと乗り込んだ。俺はシートへと腰かける。そして千歳が俺の膝の上にちょこんと座った。かなり恥ずかしいが、二人で一緒にシートに座るにはこうするより他にしようがない。
「どうかしたの、護? なんか顔が赤いよ?」
「そ、そうか。気のせいじゃないのか」
自分で言っておいてなんだが、おそらく気のせいではないだろう。膝の上に女の子が乗っているのだ。それも自分にとって特別な女の子が。緊張しない訳がない。
「なあ、千歳」
「なあに、護?」
「いや……やっぱりなんでもない」
「ふうん、変な護」
この思いを言ってしまいたかった。だけど、言えるはずがない。俺にとって千歳は子供の頃に遊んだ普通の女の子である。今だってそうだ。彼女は皇族である以前に女の子であり、千歳は千歳以外の何物でもない。
だけど、千歳が皇族であることは事実なのだ。白馬を打ち倒した暁には千歳が次の皇帝となるだろう。千歳は女性だが、他に候補がないのだがら、そうなるのは必然だ。もしも、そうなれば千歳は雲の上の人間になってしまう。そんな千歳に俺のこの気持ち……好きという思いを告げてしまったら、後々千歳を困らせることになるだろう。
だから、俺の気持ちは心の奥底にしまっておく。千歳はもう家に閉じ込められる少女ではない。今、俺が俺は千歳から好意のようなものを感じることもある。しかし、それは千歳が俺の事しか知らないからだ。いずれは広い世界を知り、そこには新しい出会いもあるだろう。そうなれば俺も子供の頃から抱き続けるこの気持ちにも諦めがつくというものだ。
「全乗組員に通達、これより十分後にワープアウトします」
あと十分か。時間が経つのは早いものだ。そう思っていると、個人回線からの通信がきた。現在、先頭に備えてスムーズに通信を行えるように、受信する分には捜査の手間がかからない完全オートの双方向通信に設定されている。よって、この通信も自動的に接続される。
「護に千歳、そこにいるわね」
聞こえてきたのは麗華の声だ。通信が繋がった時点で俺たちがここにいることは分かっているのでこれといって返事はせずにただ頷く。
「ワープした直後、千歳には回線をオープンチャンネルにして防衛軍に対して投降するように呼びかけてもらうわ。これによって奇襲を行うことは難しくなるけど、白馬皇子に好感を持っていない人達はこちらの味方をしてくれるかもしれないわ」
なるほど。防衛軍の兵士を味方につけることができれば、敵の戦力を減らすと同時に、こちらの戦力を増強することができる。やってみる価値は十分にあるだろう。
「でも私、何て言ったらいいのか分からない」
「心配することはないわ。ただ、私は千歳皇女です。国を乗っ取った兄白馬を倒す為に皆さんの力を貸してください。とこんな具合に言えばいいのよ。簡単でしょう」
「分かった、麗華ちゃん。やってみるね」
「護も……千歳のことくれぐれも頼むわね」
麗華はそう言うと、通信は切れた。艦長として艦全体の指揮をとらなければならないのだ。今まで普通に暮らしてきたであろう麗華にとって、その重圧は半端なものではないだろう。
ピリリリリ、ピリリリリ。また、個人回線からの通信だ。今度は誰だろうか。
「護、もうすぐだね。どう、緊張している?」
「はは、そういう凛の方こそ緊張しているんじゃないか。声が震えているぞ」
「やっぱり、ばれちゃうか。自分でも心臓が動いている音が分かるもの。この戦いで自分の大切な人が死んじゃうんじゃないかって。味方だけじゃない。戦う相手だって、もしかしたら自分の知っている人かもしれないんでしょう」
もうすぐ戦いが始まる。その事実が今まで考えないようにしてきたのだろうが、どうしても抑えきれなくなったのだろう。凛の言うことは事実であるが故にかける言葉が見つからない。俺たちが戦う相手は、訓練所での事件の後に話をした防衛軍の兵士かもしれないし、もしかすると自分自身の家族である可能性すら零ではないのだ。
「……凛の言うことは正しいから、そんなことないよって慰めることはできない。でも、今後の事でなら一つ分かることがある」
「……今後の事って?」
「俺たちはこれからも一緒で、今よりもずっと仲良くなることができるって」
「生き延びられれば……でしょ? でも、どうして仲良くなるなんて分かるの?」
「そんなの簡単さ。だって向こうでは二年も時間が進んでいるんだろう。ということは全てが終わった後、俺たちが士官学校に戻ったら、昔の同級生たちはその全員が三年生になっているんだぜ。そうなったら、もう俺たち三人でつるむしかないじゃないか」
「ふふ……そういうことか。そっか、向こうじゃ二年も経っているんだよね。学校の皆、元気にしているかな」
「きっと元気でやっているさ。だから、俺たちは絶対に国を取り戻そう。血の繋がった家族を平気で殺す皇帝や、個人の自由を許さないソビエトを倒さなくちゃ、皆が愛していた平和な日常が戻ってくることはないんだ」
「そうだね、皆の為にも頑張らないと。実は私ね、護に言いたいことがあったんだ」
「言いたいこと? なんだ?」
「今は言わない。少なくとも、この戦いが終わるまでは。これを伝えるまでは私は絶対に死なない。だから護も死んだりしたらダメだよ」
「分かった。凛からその話を聞くまでは絶対に死んだりしない」
「それを聞いて安心した。それじゃあ、もうすぐ時間だから通信切るね」
通信が来た時と比べると、凛の顔色もだいぶ良くなっているように見えた。それにしても、凛の言いたいことって何だろうか。すごく気になる。それを聞くためにも死ぬわけにはいかない。もしかすると、そう思わせる為にあんなことを言ったのかもしれないな。