プロローグ
あれは随分と昔のことになる。しかし、俺はあの日々のことを今でも明確に覚えている。彼女に最後に会ったのは、深々と雪が降り、思い出すだけで温かくなるような胸の内とは正反対の凍るように寒い夜だった。
こんこん、こんこん。
窓を軽く叩いて、中にいる彼女に僕が来たことを知らせる。すると彼女はすぐにそれに気付き、窓を開ける。僕は、頭や肩に降り積もった雪を払い落とすと、いつものように窓から部屋に入った。
「まも君、今日も来てくれたんだ! 遊び相手がいなくて退屈だったの」
彼女のこの笑顔を見る度に、来てよかったなと思う。ここへ来るには家の周りにいる大人の人たちに見つからないように、ひっそりと隠れながら来なくてはならない。これは結構大変なことだけど、彼女に会う為ならへっちゃらだ。
「今日は何して遊ぼうか?」
「えーとね……まも君がしたいことがいいな!」
「うん。それじゃあ……」
そう言って、今日は何をして遊ぶのか考え始める。いつでも彼女は何をして遊ぶのか僕に決めさせるが、気に入らないと文句を言ってくるので、彼女の気持ちも考えながら決めなければならない。
その選択肢は無限大だ。なんといっても、彼女の部屋には何でも揃っている。絵本やゲーム、色々な玩具にぬいぐるみ。こんなに沢山の物を持っている人なんて他にいないだろう。しかし当人である彼女はちっとも嬉しくないらしい。
この玩具たちの山を初めて見た時、なんでそう思うのか聞いてみたら、彼女はこう答えた。
「だって一人で遊んでも面白くともなんともないんだもの」
確かに僕がどんなに沢山の玩具を持っていたとしても、一緒に遊ぶ相手がいなかったら面白くないだろう。
そして、出会ったばかりの時はいつも暗い顔をしていた彼女が
「でもね、今ではこの玩具たちのこと大好きなんだよ。だって、まも君と一緒に遊べるんだもん」
そう言って飛び切りの笑顔を見せてくれるようになったのがとても嬉しかった。
あの夜も、僕たちはいつもと同じように遊んでいた。楽しくて、楽しくて、それ以外のことを考えられないくらい夢中になってだ。
この時間が永久に続けばいいのに! 僕も彼女もそう思っていたが、幸せな時間というものはいつまでも続くものではない。
彼女の部屋に僕以外の人が入ってきたのだ。彼女はその人のことをお父様と呼んだ。知らない人の登場に驚いたが、彼女のお父さんなら何も怖くない。彼女の友達だと説明すれば分かってくれるだろうし、怒られることもないだろうと思った。
でも、その考えは間違いだった。
僕を一目見た瞬間、彼女のお父さんは『何者だ!』と怒鳴りつけた。すると、すぐに黒い服を着た男の人たちが大勢やってきて、僕に黒く光る拳銃を向けてとり囲んだ。
彼女はお父さんに連れていかれそうになった。彼女は僕にむけて叫んだ。
「まも君、いつも遊んでくれて嬉しかった。絶対にまた会おうね」
「う、うん」
拳銃を向けられているという状況がとんでもないことだというぐらいは、子供でも分かる。その恐怖でほとんど声が出なかったが、なんとか一言分だけの声を絞り出すことができた。
「……、そんな素性の知らない奴と話すんじゃない。……は何物にも代えられない私の宝物なのだからな。ほら、行くぞ」
「例え、まも君が会いに来れなくなったとしても、その時は私から会いに行くから。私たちはいつまでも友達だよ。だから絶対、絶対にまた会おうね」
彼女のお父さんが、彼女を連れてその場を後にすると、僕はこの人達に殺されるのだと思った。でも、彼女のお父さんが去った後にやって着た、白い服を着た中学生くらいの男の人が何か話すと、黒服の人たちは拳銃をしまってくれた。
この人は僕を助けてくれたんだと思った。その男の人は僕にこういった。
「どうやら初めてここに来たって訳じゃなさそうだね。でもここは誰もが入ってきていい場所ではないんだ。だから、もうここへ来てはいけないよ」
ここへ来るのが楽しみで仕方がなかった僕はそんなの納得いかなかった。彼女だって僕が来て喜んでくれている。だから男の人に言った。
「でも、僕が来て嬉しいって彼女は言ってくれたよ。一人で遊ぶのはつまらないからって」
「そうか、あいつがそんなことを……よし、分かった。じゃあ私があいつの遊び相手になってやろう。それならあいつも悲しむこともあるまい。だから二度とここへは来るんじゃないぞ。今回は許してやるが、あれに係わることだ。二度目は父上も黙ってはいないだろうからな。分かったな? 分かったなら私が外まで送ってやろう」
男の人に手を引かれて、僕は外へと連れ出された。
その後、ダメだと言われたけれど、僕はどうしても彼女にもう一度会いたて再び彼女の部屋の前まで忍び込んだ。
しかし、その部屋は空っぽになっていて誰もいなかった。ここは僕の家なんかとは比べ物にならないくらい大きな家だ。部屋だって数えきれないほどあるだろう。きっと別の部屋へと移されたのだ。
結局、それから彼女のことを見つけることができなかった。