無給メイドからドラゴンの観察係に出世しました!~なぜか王子に溺愛されちゃって!?~
私、サーシャ・ルンド十七歳。その日、我慢の限界が訪れたことに気づいた。
父さんからもらったプレゼントを異母姉たちに台無しにされたからだ。
「こんな家、出てってやるわ」
父さんは商売で家を空けてばかり。守ってくれる人はいない。
こき使われたあげくに大切なものを壊されたのだ。
自分の中で何かがプツンと切れた。
「どうせ働くなら、ちゃんと給料もらえるところがいいわよ」
メイド並みに働かされたけれど、もちろん無給だった。家族なんだから助け合いましょうよ、なーんて言ってたけど、働いてるのは私ばっかり。
大きなカバンに服を詰め込み、朝日が昇る前にこっそり屋敷から出た。
目指すは、王宮の近くにある掲示板。割のいい求人が載ってると、ウワサで聞いた。
重いカバンを置いて、じっくりと張り紙を眺める。
「メイドはないかな。あ、あった。ああー、ダメだ。住み込みじゃない」
家出したんだから、絶対に住み込みじゃないと。そこは譲れない。あの家にはもう戻らないって決めたんだから。
「おお、住み込みのメイドあった。ふむふむ。えーん、ダメだ。紹介状がいる」
父さんがいれば父さんに頼めただろうけどさ。継母には言えないしさ。
「今まで他の貴族家でメイドとして働いた経験でもあったらなー。そしたら紹介状も書いてもらえたのに」
自分の家でメイドのように働いていただけだから、紹介状なんてものはない。
はあー、深いため息を吐いたとき、下の方の求人票が目に入った。
古ぼけた求人票が風に吹かれて揺れている。
「住み込み、三食つき、家賃食費は無料、給与は週払いで銀貨三枚。えっ、めちゃくちゃよくない? こんな破格の条件ってあり?」
驚いて目をハンカチで拭いて、何度もパチパチしてからもう一度読む。合ってた。
他の求人票は月給が銀貨二枚とかなのに、なんでこんなに高給なんだろう。
「ええっと、肝心の仕事内容は……。希少動物の観察。なんだそれ」
希少動物ってなんだろう。でも観察ってことは、要は動物の様子を見て報告書を書けばいいってことだよね。
「見た目はちょっとあれですが、気のいい動物です、だってー。うける。ていうか、え、楽勝じゃない? よくない? ここしかなくない?」
求人票の内容をしっかり読み、事務所の場所を頭に叩き込み、明るい気持ちで歩きだす。善は急げですよ。
せっせと歩き、王宮から随分離れ、王都の端に事務所はあった。
「事務所というよりは豚小屋みたい」
すごくボロッとした小屋だ。こんなところで本当に仕事を募集しているのだろうか。
不安に思いながらもドアを叩く。誰も出てこない。
朝日が昇ってきて、ガラス窓がピカリと光る。
「朝早すぎてまだ誰も出勤してないのかも」
そっか、そうかもしれない。でも念のため。窓ガラスから中を覗いてみると、ソファーに寝転がっている人が見える。
ドキドキしながら窓ガラスをコツコツ叩く。ちっとも気づいてもらえないので、叫んでみた。
「すみませーん。求人票を見てやってきましたー。仕事をくださーい」
「んあっ」
寝てた人が叫びながらソファーから転がり落ちる。
「あ、ごめんなさい」
しまった、これじゃあ第一印象最悪じゃない。
青ざめているとドアが開き、おじさんが顔を出した。なんというかすごく薄汚れている人だ。
肩まで伸びた髪はボサボサでなんだかべとついている。服はしわとしみだらけ。メガネはくもっていて目が何色かも見えない。おまけにすごく酒くさい。
「嬢ちゃん、朝っぱらからなんの用だ」
「朝っぱらからお騒がせしてごめんなさい。求人票を見ました。希少動物の観察の仕事をさせてください」
ひと息に言って、深々とお辞儀をする。
「求人票……」
あれが見えたのか、とかなんとかつぶやいているみたいだけど、はっきりとは聞こえなかった。
「王宮近くの掲示板に張ってあった求人票です。あの、お仕事まだ募集中ですか?」
「ああ、まあなあ。しかし、お前さんみたいなお嬢ちゃんに務まる仕事じゃねえかなあ」
おじさんが頭をボリボリかき、その後シャツをまくってお腹もかいた。たぷんとだらしないお腹がチラリと見えて、私まで首の後ろあたりがかゆくなった。
「私、根性あります。メイド仕事もひと通りできます。なんならこちらの事務所の掃除もできます。どうか、雇ってください。もう家には帰れないんです」
こうなったら泣き落としだ。雇ってくれるまでここから離れない。いざとなったら、その臭そうなズボンにかじりついてでも。
頭をもう一度下げながら、あのズボンにかじりついてらなんだか変な味がしそうだな、なんてことがチラリと頭をよぎった。
「まあ、そこまで言うならやらせてみるか。どうせすぐに泣いていなくなろうだろうしな」
おじさんが小声でぶつぶつ言ってるのを、私はしっかりと聞いた。よしよしよーしっ。
泣きはするかもしれないけど、いなくなりはしないんだからね。帰る家はもうないんだからね。
「そしたらついて来なさい。観察場所に連れて行くから」
「はいっ」
ダラダラ歩くおじさんの後ろを、私はスキップするぐらいの勢いでついて行く。
しばらく歩くと、鬱蒼とした森が見えてくる。
「王都にこんな森があったんだ」
「ん、まあな。一般人は立ち入り禁止だから知られてねえんだ」
おじさんはそう言って、森の中に入っていく。木や草がみっしり生えている森は、朝日も差し込まず薄暗い。
鳥の鳴き声と、おじさんと私の足音以外は無音だ。静かすぎてちょっと怖い。
こんなところで働くのか、大丈夫かな。そう思っていたら、ぽっかりと開けた空間があり、先ほどの事務所と大差ない豚小屋風な建物がある。
「ここがお前さんの家だ」
カギを開けて中に入ると、意外と整っている。
「一週間前ぐらいに前任者が辞めちまってな。人が定着しねえんだ。孤独だし、つまらんのだろう」
「そうなんですね」
家の中をキョロキョロ眺めていると、おじさんが咳払いした。
「ここにひとりで住んで、希少動物の観察を毎日できそうか?」
「できますっ」
できませんとは言えませんし。やるしかありませんし。
私は胸を張って堂々と言った。
「はあ、じゃあまあ、やってみなさい。前任者の書いた観察日記がそこにあるから、それを読んで同じように書けばいい。食事は毎日届けさせる。必要な物があれば紙に書いて、食事が届いた時に渡してくれればいい」
おじさんは私にカギを渡し、上着のポケットをあちこち探って一枚の紙を出した。
「ほい、契約書。読んで、ここに名前を書いて」
びっしりと細かい字でずらずらと書いてある。読んでもちっとも頭に入って来ない。仕方ないのでざーっと読んで、一番下に名前を書いた。
「緊急時にはそこの角笛を吹けば誰かが来るから」
窓のそばに角笛と双眼鏡が置いてある。
おじさんは、疲れた様子で出て行った。おじさんが歩きながら、カーッペッと唾を吐き出している音が聞こえた。
おえーっと思ったけど、おじさんがすっかり遠ざかって鳥の声しか聞こえなくなると、カーッペッですら聞きたくなった。
荷物を片付けて、簡単に部屋のほこりを払って、気合を入れようと頬を軽く叩く。
「仕事しよっと」
おじさんに読めと言われた観察日記を読み始める。
一番古いのは二年前の日付だ。
「二年前……」
母が亡くなってすぐ、継母と異母姉たちが屋敷にやって来たころだ。あの日から、私の暗黒の日々が始まったんだ。
イヤな思い出を頭の中から追い払おうと、日記に没頭する。
二年分の日記を読み終わったら、首と肩がすっかりカチコチになっていた。
「大変な仕事を引き受けてしまったかもしれない」
立ち上がって、窓のそばで腕と肩を回しながら外を眺める。
日記を読んでいくつか分かった。
人がひっきりなしに入れ替わってる。大体のひとがひと月ぐらい、長い人で数カ月、最短は二週間。
何が原因かというと、退屈なんだって。暇だ、やることねー、辛い、休みがほしい、街に遊びに行きたい。観察日記なのに、ボヤキの方が多いぐらいだ。
「でもまあ、退屈って以外は危ないこともないみたいだし。私にとってはありがたい仕事だよね」
契約書で読み飛ばしたみたいなんだけど、どうもこの仕事、休みがないみたい。普通の人は辛くなっちゃうよね。
でもこの二年、休みなしで無給のメイドをやっていた身からすると、いじめられないだけいいんじゃないかなって感じ。
「さて、やるか」
震える手で双眼鏡を取る。観察日記に、あれとか、希少とか、彼のお方とかぼかして書いてあったけど、観察対象とは一体全体なんなのか。
緊張しすぎて喉がカラカラで、耳がキーンとする。
窓からまっすぐ向こうのところにいるらしい、あれだのそれだのに、双眼鏡の焦点を合わせる。
「いた」
木の下にドデーンと寝そべってる黒い物体。
「牛? んなわけないか。牛だったらどこにでもいるもんね」
そのとき、黒い物体がクワッと口を開けた。ギザギザの尖った牙がいっぱい。一瞬開いた目は金色で不穏な輝きを放っていた。
「ドラゴンじゃん」
絵本でしか見たことのないドラゴンが、すぐそこにいる。双眼鏡を外しても、肉眼で十分見えるぐらいのすぐそばじゃん。
「ひ、ひえー」
怖いよ、食べられるよ、火だるまにされるよ。
床にうずくまって膝を抱えて目をつぶる。
羊がいっぴき、羊がにひき、羊がさんびき。
いや、違う、これじゃない。寝てる場合じゃないんだってば。
怖くなくなるおまじないってなんだっけ。考えているうちに、なんだか落ち着いてきた。
「そういえば、観察日記にあれずっと寝てるって書いてあったな」
そうだ。誰ひとり、恐怖体験は書いてなかった。そうだよね、食い殺される危険があるんだったら、週給銀貨三枚なんかじゃ誰も引き受けないはずだもんね。
「と、とりあえず、観察日記に書かなきゃ」
ペンを持つと、まだ手が震えている。何度も深呼吸して、ゆっくりと「観察者サーシャ・ルンド。ドラゴン寝ている。クワッとあくびした」と書いた。
大丈夫。こんなんでいいなら、できる。やるしかないんだからね。
望遠鏡で覗いては、やっぱり怖くなってさっと隠れたりしながら、観察を続ける。
あれ以来、ドラゴンは身じろぎひとつしないもんだから、書くこともない。仕事してないみたいじゃない。困っちゃうなー。
そのとき、お腹がグーッと鳴った。
「もうお昼なんだ」
早い。何もなしとげてないのに、昼になっちゃったよ。
「三食つきって書いてあったよねえ」
あああ、こんなことならちゃんとおじさんに根掘り葉掘り聞いておけばよかった。
初めてのちゃんとしたお仕事で、いっぱいいっぱいになってて、なんも聞けんかった。
バカバカ、私のバカー。
その時、ヒーホーブルルルという鳴き声と、カランコロンという鈴の音が聞こえた。
「なにごと!?」
ドアを開けると、そこにはつぶらな瞳のロバ。鈴のついた赤いリボンをクビに巻いている。
「ロバだ」
「ヒーホー」
ロバはむしゃむしゃと草を食べ始めた。
「なんなの、ロバ。何しに来たの? あ、袋かついでるじゃない」
ロバの背中にかけられたふたつの袋。きっと、これが。
「食材が入ってるーーー」
パンがたくさん、燻製肉、チーズ、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、リンゴまで。
「やったー」
三食つきって、自分で作れってことかーい、とは思ったけど、でもいいの。
家では残飯を食べさせられてたんだもの。それに比べれば、新鮮な食材でごはんを作れるなら最高じゃない。
食材を全部取り出すと、袋の底に紙が一枚入っていた。
「空の袋をロバの背中にかければ、ロバは勝手に戻っていく。欲しいものがあれば紙に書いて袋の中に入れるように、だって。ほほほー」
欲しいものか。今のところは特にないな。報告だけはしておこう。
『今のところ欲しい物はありません。例のあの方はよく寝ています』と書いた紙を袋に入れた。
ロバをしばらくなでなでして、リンゴをあげて、ロバが食べ終わってから背中に袋をかけた。
ロバはまた、ヒーホーと鳴いて、カランコロンと鈴を鳴らしながら森の向こうにポクポクと歩いて行った。
井戸から水をくみ、暖炉に火をくべ、スープを作った。
ひとりぼっちで食べるスープは、それでもおいしかった。チーズを惜しみなく入れたからだろう。
「ドラゴンはごはんどうするんだろう」
観察日記にはドラゴンの食事については何も記されていなかった。
散々悩んで上で、鍋を持ってそろそろとドラゴンに近づいてみることにした。
そろりそろり、まだ寝てる。こっそりこそこそ、あっ動いた。怖いのでピタッと止まって気配を消す。
少しずつ、ゆっくりと、自分の心の限界まで近づき、鍋を置いた。
「これ以上は無理。足が震える」
腰に挿していた長い棒で鍋を押す。ドラゴンがちょっと目を開ければすぐ気づくところまで鍋を近づけ、あとずさりして小屋まで戻った。
「あああ、怖かった。でも、やり遂げた。がんばった、私」
今日やるべきことはやり切ったと言えるのではないだろうか。
観察日誌にスープ入りの鍋を近くまで届けたことを書く。
「せっかくだから、絵も描いておこうかな。えーと、背中側は硬そうなウロコ。色は黒い煤みたいな感じ。お腹側はウロコじゃなくて、硬そうな毛だった。こちらも黒色。大きな牛二頭分ぐらいだった」
文章と絵で観察したことを記録すると、ドキドキがおさまってきた。書くって落ち着くんだって分かった。
「そうだ、おじさんに送る手紙も書いておこう。ドラゴンは何を食べますか。昨日はスープを近くまで運びました」
あとはなんだろう。
「思い出した。ロバの名前はなんですか? うん、もう全部聞いたな」
翌日、朝やってきたロバの袋に手紙を入れると、次の日のロバ袋におじさんからの返事が入っていた。
『お前さんが食べる物をドラゴンに分けてくれればそれでいい。食べるかどうかは分からんが。ロバにもドラゴンにも名前はない。好きにつけてやれ。聞かれなかったが、俺の名前はゲイリー・ラームだ』
「し、しまったー。おじさんの名前こそ聞くべきだったよね。失礼なことしちゃった」
ゲイリーさん、とても小汚いとはいえ、上司なのにね。悪いことしちゃったな。
ロバを撫でながら反省する。ロバはリンゴをしゃくしゃく食べている。
「君の名前はヒーホーにしようか」
「ヒーホー」
ヒーホーに異論はないみたいなので、無事にロバの名前はヒーホーになった。
私が見てる間、ドラゴンはずっと寝てる。でもドラゴンに近づけたスープ鍋は空になってたので、私が寝てる間に食べたのかもしれない。
ドラゴンの名前はまだつけられていない。せめて鳴き声でも聞こえれば参考になるのだけど。ずっと寝てるからね。
眠りドラゴンを観察し、ロバのヒーホーと遊び、ゲイリーおじさんと文通する。
なんて簡単なお仕事でしょうか。
一週間たった日に、ヒーホーの袋の中にちゃんと銀貨三枚が入っていたし。
なんて素敵な仕事なんでしょうか。
ただ、あれだ。寂しい。人としゃべりたい。
屋敷にいた頃は、食料の買い出しに行ったといにお店のおばさんたちと話せた。
継母たちが来てから、なじみの使用人はクビにされ、新しい使用人は私とは話してくれなかったんだけどね。
「おばさんたち、元気かなー。私が急に来なくなったから、心配してくれてるかも」
話し相手がいないから、どんどんひとり言の声が大きくなってる。
私がどんなに大きな声を出そうが、歌おうが踊ろうが、ドラゴンは起きないから大丈夫。
最近なんて、暇すぎてドラゴンのウロコ磨きを始めた。煤みたいな汚れは、濡らした布でキュッキュッとこすると落ちていく。
巨体だから時間はかかるけど、黒ドラゴンがだんだん白銀ドラゴンになってきた。
「前の黒ドラゴンもかっこよかったけど、白銀ドラゴンはピカピカで素敵だね。美人さんだね。美男さんなのかな。どっちにしても美形だよ」
ピカピカにしながら話しかける。ドラゴンが返事してくれたらいいのにな。いや、それは怖いか。今のままでいいや。
数日かかってドラゴンを磨き上げた。
「次はお腹だね。そっちは洗ってブラシをかければよさそうね」
ゲイリーおじさんから石鹼を大量に送ってもらったから大丈夫。バケツに入れた石鹸水で少しずつ汚れを落とし、乾いたタオルで拭き、ブラシをかける。
「フワフワのモフモフになってきたよ。猫みたいだね」
暖かい日差しのおかげで、ドラゴンの腹毛はすぐに乾いた。顔を寄せると、猫と同じようなお日様の匂いがする。
「いい匂い」
今日はよく働いた。ちょっとだけモフモフに包まれてもいいよね。
フカフカの腹毛に体を預けると、なんだか体の疲れが取れて行くみたい。
「ちょっとだけ。ちょっとだけ目をちょーっと閉じるだけ」
軽く目を閉じると、首がガクッとなった。
「うわっ、ダメだ。これは本格的に寝ちゃう。ダメダメ。それはさすがにダメ」
どうしよっかな。せっかくのフカモフ。あ、そうだ。本を読もう。
父さんからもらったプレゼント。すごく分厚くて、色んな物語が入ってるんだ。
小屋から本を持って来て、フカモフにうずもれながら読む。
「これね、父さんからもらったの。素敵な物語がたくさんなんだよ。有名な物語をちょっと短くして色々載せてる傑作選なんだ。お気に入りを読んであげるね」
衣装棚の奥から異世界に行っちゃった女の子が、ヤギやビーバーと友だちになって、おまけにライオンまで現れてっていう、冒険小説。
「ライオンと魔女が対決するの。ハラハラドキドキでしょう。続きって、どうなるのかなあ。気になるよね」
はあっとため息が出ちゃう。そしたらドラゴンがピクッと動いた。
しまった、起こしちゃうかな。静かにしないと。
息を殺していると、ドラゴンはまた規則正しい寝息を立て始める。
ホッとして次の物語を読む。
「次はね、商人の父親が娘のためにバラを買おうとしたら、野獣に出会うんだよね。娘は野獣の家に行くことになるの。野獣って実は優しいんだよ。最後どうなるのかなあ」
続きが知りた過ぎてまたため息が出そうになって慌てて止める。
「次はね、本屋で魔法の本に出会う少年の話。本を読んだら異世界に行って、ドラゴンに乗るんだ。異世界を救うためにがんばってるの。これも最後知らないんだよね。異母姉たちにね、お話の最後の方のページ破られちゃったんだ。ひどくない? だから、家出したんだあ」
我慢してたけど、思い出したら涙が止まらなくなった。
父さんからもらった大事な本。
おもしろくて続きが知りたくて、メイド仕事が終わってクタクタになって寝落ちする前に少しずつ読んでた。
なのに、気づいたら全ての物語の最後の方を破り取られてしまった。
私が嫌いだからって、そこまでするんだ。ビックリだよね。
どの物語も、最後がどうなるか分からない。こんな終わり方かなって色々想像してるけど、どれも違う気がする。知りたいなあ。みんながどうなったか知りたいよ。
「次は」
「ャ……サーシャ」
目を開けると、真っ暗だった。
「あ、私、寝ちゃってたんだ」
早く小屋に戻らなきゃ。急に耳元で声が聞こえた。低くてなんだか甘い声。見上げると、金色の顔の間近にあった。
「サーシャ、背中に乗るんだ。冒険に連れて行ってあげよう」
「ぎえっ、ドラゴンがしゃべってる」
「これはサーシャの夢の中だからね」
「あ、そうなの? すごい、こんな鮮明な夢って初めて見た」
「さあ、背中に乗って」
白銀のドラゴンによじ登る。ドラゴンの首に腕を回し、振り落とされないようにギュッとつかまった。
フワッと体が浮いて、おなかがギュウッと押されたみたいになった。
「あわわ、あいたっ、あばばばば」
舌を噛んだ上に、風が全部口の中に入って来て変な声が出る。
「はははは、サーシャ。口を閉じていなさい」
「もがぶっ」
必死で口を閉じ、ドラゴンの首に顔を押し付ける。首回りはモフモフの毛があるから柔らかくて気持ちいい。
「サーシャ、見えるかい? 今日は星がきれいだ」
顔を少しだけずらして夜空を見てみる。
「うわあ」
キラッキラで手を伸ばせばつかめそう。思わず手を放すと体が傾いた。ギャッ怖い。
「しっかりつかまりなさい」
「はいいい」
ドラゴンはあんまり揺れないようにゆっくり飛んでくれているみたい。
上には星、下の方には家々から漏れる光が輝いている。
「こんな冒険、してみたかったんだ。なんていい夢」
「おいしいスープのお礼だ」
「え?」
「あと、体をきれいにしてくれてありがとう」
「喜んでくれてたんだ。嬉しい」
「サーシャのおかげで、呪いが解けそうだ」
「呪い?」
「そう。明日、目が覚めたら角笛を吹くんだ。ゲイリーに夢の話をしてくれるかい?」
「分かった」
よく分かんないけど、とにかくゲイリーおじさんを呼べばいいんだね。それぐらいならできるよ。
ドラゴンと色んな話をした。星座のこと、好きな食べ物、おもしろい本。こんなにたくさんしゃべったのは久しぶり。
最高の夢だ。
スッキリと目が覚めたら、全身が筋肉痛だ。
「あいたたたた」
よろよろとベッドから起き上がり、窓を開け、角笛を吹く。
ゲイリーおじさん、いつ来るかなーとのんびり着替えていたら、思ってたよりすぐにドアが叩かれる。
「ゲイリーさん」
「なにがあった」
ゲイリーさん、膝に手をついてぜえぜえしてる。
「昨日、夢を見たんです。ドラゴンに夢で見たことをゲイリーさんに言うようにって言われました」
「聞かせてくれ。最初から最後まで全部」
息の荒いゲイリーさんに水を渡し、全部話した。
ゲイリーさんはうなったり頭を抱えたりしながら真剣に聞いた後、さらさらと紙に何か書いた。
「ちょうどいいときにロバが来たな。いい子だ、この手紙を届けてくれ。王宮のな、あそこだ、うん、わかるな。よし、すぐに行ってくれ」
ゲイリーさんの指示をロバのヒーホーはいつになく真面目な様子で聞いて、ものすごい速さで駆けて行った。
「ヒーホー、あんなに走れるんだ」
「ヒーホーはしごできロバなんだ、実は」
「そうなんですね」
昨日から驚いてばっかりだ。
ゲイリーさんと朝ごはんを食べていると、ヒーホーはすぐに戻って来た。ヒーホーもぜえぜえしてる。
「重かったか。悪かったな、さあ水を飲んでリンゴを食べろ」
ゲイリーさんはヒーホーの背中から袋を取り、水とリンゴを与えた。
袋はパンパンに膨れている。
「何が入ってるんですか?」
「お前さんが持ってる傑作選の完全版だ。もちろん結末は破られてない。あと、短剣」
装丁の立派な本がたくさんと、銀色の短剣がひとつ。
ゲイリーさんは本の最後の方を開けると、猛烈な速さでページをめくっていく。
「なるほど、なるほどな。分かったぞ」
「説明してほしいです。気になります」
「もちろんだ、今まで以上にお前さんの力が必要だからな。いいか、あのドラゴンはな、実は王子なんだ。呪われてあの姿になってかれこれ二年」
「そんな、そんな物語みたいなことが本当にあるんですか?」
「事実は小説より奇なりって言うだろ。世界は不思議に満ちてるんだぜ」
「王子を元の姿に戻そうとあらゆることを試した。なかなか結果が出なくてな。とりあえず、王子と魔力の波長が合う人間をそばに置いていれば、ドラゴンは眠り続けて生きていられることは分かった。だから、そういう人間にしか見れない求人票を張って人を募集していたんだ」
「あの求人票にそんな意味があったとは」
「求人はうまくいったが、人が定着しなくてな。そんな時に来てくれたのがお前さんだ。他のやつらと違って、ドラゴンにごはんを食べさせ、体も洗ってくれたんだろう。それでドラゴンと心が通じ合ったんだろうな」
「そんな。そこまで褒められると……。もっと褒めてください」
「王子の呪いを解いてくれたら、何時間でも褒めてやる。お前さんの父親もまとめてな」
「父さんも?」
「冒険者や商人に呪いを解く方法を世界中から探してもらってもいたんだ。お前さんの父親が手掛かりを見つけて送ってくれたようだな」
ゲイリーおじさんは本を叩きながらニヤッと笑う。
「木は森の中に隠せとは言うが、まさか物語の中に答えが隠れているとはな。盲点だった」
「さっぱり意味が分かりません」
「ベタ過ぎて試していなかったが、やはり王子の呪いを解くのは姫の愛ってことだ」
「姫の愛」
「つまり、お前さんだ」
「わたし?」
「さあ、どんどんやってみよう」
「なにを? なにがなんだか、ひええ」
ゲイリーおじさんが、コホンと咳払いする。
「最も王道なのからいくか。えー、サーシャ、ドラゴン王子に愛のキスを」
「はー? 無理、そんなの無理無理」
「そこをなんとか」
「いやいや、私にだって初めてのキスに対する夢とか色々あるんですから」
「だよなあ。仕方ねえ、じゃあ次を試してみるか」
ゲイリーおじさんが、大量の本の後半を高速でめくる。
「あれだ、乙女の涙だ。かわいそうなドラゴン王子にお前さんの清らかな涙をかけてやれ」
「いや、だから。そう言われて流す涙に清らかさなんて一滴もないでしょうよ」
「だよなあ。困ったぞ。となると最終手段。銀の短剣でドラゴン王子をブスッと」
「正気ですか。それで呪いが解けなかったら、私は王子殺しの罪悪感で心が壊れませんか」
「正しい。お前さん、意外と頭がいいな」
「意外とは余計ですよ」
ゲイリーおじさんは急に手で口を押えた。うえっぷって言ってる。やだー。
「すまん。ここの魔力は俺にはきつすぎて。ちょっと出直してくる。色んな有識者に相談してまた来るから。あとは頼んだー」
「えええ、そんなあ」
ゲイリーおじさんはロバのヒーホーに乗って走り去る。私の伸ばした手はむなしく空を切った。
あとを任されても、私にできることなんて何もないんですよ。
「仕方ない。本を読んで呪いについてお勉強しましょう」
やったね、読みたかった結末がここにたくさん。
ゲイリーさんが置いていった本をドラゴンのところに持って行って、また読み聞かせをする。
「まずはライオンと魔女ね。ふむふむ、なになに、ひょええー。刺すんだ、そうなんだ。うわー、斬新……。でもこれは試せないよ」
ゲイリーおじさんが持って来た由緒正しそうで高そうな銀の短剣は地面に落ちたままだ。
そっと目を反らす。無理なものは無理ですから。
「では、次は美少女と野獣。ほほー、はわわ、なんとまあ。そっかー、あなたと結婚しますって美少女からプロポーズするのかー。愛の告白で呪いが解けるんだ」
なんだけどさ、私は別にドラゴンを愛してるわけではないからなあ。ウソ告するのはなあ。それはイヤだなあ。
「最後のお楽しみ、果てのない物語ね。ほうほう、ははー、うわー素敵。これいいなあ。名前をつけるのかあ。これならできるかも。でも、さすがにヒーホーみたいな名前つけるわけにもいかないよね」
ヒーホーはいい名前だと思うけども。王子にはちょっとあまりにもあまりなんじゃ。
どんなかっこいい名前がいいかなー。なんだろう。ドラゴンのフカモフに包まれ目をつぶって考える。ゲイリーおじさんが度肝を抜くようなすっごい名前をつけてやるんだから。
「ャ……サーシャ」
目を開けると、真っ暗だった。
「あれ、また寝ちゃった? これは夢? 前みたいな、夢だけど夢じゃなかった系?」
「そうだ、夢のような夢じゃないような狭間の世界だ。サーシャ、ゲイリーを呼んでくれてありがとう。サーシャ、俺の呪いを解いてくれないだろうか」
「う、いいよ。どうすればいい?」
キスって言われたらどうしよう。ドキドキしながらドラゴンを見る。
「銀の短剣で俺のアゴの下のウロコを刺してくれないか」
「い、痛くない? 死んじゃわない?」
「大丈夫。多分」
「多分……」
不安しかないんだけど。
ちょっとだけ刺してみて、痛がってたらやめればいいかな。
銀の短剣を持ち、ドラゴンのアゴの下を見る。フサフサの毛の中に、ひとつだけ逆向きのウロコが光っている。
「い、いくよ。痛かったらすぐにやめるからね」
「ああ、ザクッといってくれ」
「簡単に言い過ぎじゃない。自分の命がかかってるんだよ」
ああ神様、どうかドラゴンが死んじゃいませんように。
祈りながら銀の短剣をウロコに当ててみる。銀の短剣が光を放ち、力を入れてないのにウロコにスルスルと入っていく。
「キャー、どうしよー」
短剣だけでなく、ドラゴンからもまばゆい光が放たれる。
まぶしくて目を開けていられない。
「ャ……サーシャ。サーシャ、目を開けて」
真っ白な光の中に、背の高い青年が立っている。
白銀の髪、金色の目。
とんでもないイケメンが私のことを愛おしそうに見つめ、跪いた。
「サーシャ、俺の運命の人。君の名前を俺の名前に加えることを許してくれるかい?」
「私の名前を? う、うん、どうぞ」
「ありがとう。アルビオン王国第三王子ジャック・ウル・シルヴァリオ・アストラル・レガリア・グラディウス・アルビオンは、今日からジャック・ウル・シルヴァリオ・アストラル・レガリア・グラディウス・サーシャ・アルビオンだ」
「な、長い」
「そうなんだ。王族だからね、無駄に長い。サーシャには、ただジャックと呼んでもらいたいな」
「ジャック。ジャック殿下?」
「殿下はいらない。サーシャの前ではただのジャックでいたい」
「ジャック、呪いが解けてよかったね」
「サーシャのおかげだ。我が君。サーシャが俺を好きになってくれるように、これから努力を惜しまない。いつまでだって待つ。いつか、サーシャにプロポーズさせてもらえないだろうか」
「プロポーズの予約?」
「そうだ。そうすれば、俺のことを男として少しは意識してもらえるだろう」
「は、はい。そうかも」
いや、イケメン過ぎてまぶしいんですけど。直視すると目がとけちゃいそうなんですけど。
「サーシャ、俺の永遠の愛を君に捧げます。いつか、プロポーズさせてください」
「はははは、はいいいい」
緊張とドキドキで叫んでしまった。
ジャックは嬉しそうに笑って、私の手に口づけした。ひー。
***
兄弟で狩りにでかけたとき、幼い弟が魔物に囚われた。下半身と髪がヘビで上半身は女の魔物だった。
「いひひひひ、トンでヒにいるおーじぃぃぃぃ。おーじぃぃぃぃのイキチはまりょくのカタマリ。いーひひひひ」
魔物には銀の剣が効く。咄嗟に腰に挿していた銀の短剣を投げる。短剣は魔物の目に刺さり、弟は部下に救出される。が、魔物の呪いが俺にかけられてしまった。
「ヘビにしてやる。ヘビにしてやる。ヘビにしてやる」
ヘビはイヤだな。せめてドラゴンにしてくれ。寸前で願ったことが功を奏したのか、ヘビではなくドラゴンになれた。
どちらにしても悲劇ではあるのだが。
秘密裏に王宮まで運ばれ、高名な魔術師たちが俺の呪いを解こうと連日奮闘してくれた。
だが、俺の呪いは解けなかった。
王家の私有地である森に結界を張り、俺をそこで隔離することにした。
近衛隊長のゲイリーが責任を感じ、職を辞して俺の見守りをすると聞かなかった。
ちゃらんぽらんに見せているが、本当は男の中の男のゲイリー。自分の命と引き換えに殿下の呪いを解いてとまで言っていた。
ゲイリーとふたりきりの日々がしばらく続いたが、ドラゴンになった俺の魔力が強すぎて、ゲイリーの体が壊れた。
「不甲斐ない。なんと情けない。責任を取って死──」
ゲイリーの滅相もない発言は、父王と兄たちが止めてくれた。
魔術師たちが試行錯誤し、俺と魔力の相性がいい人だけが見れる求人票ができた。
ゲイリーは魔力酔いしないギリギリの場所で、サポート業務をしてくれている。
毎日、魔力を強めるポーションを飲んでいるらしい。あいつめ。
昼は寝たきりで、夜になると目が覚める。
寝ているだけのドラゴンの見張りは当たり前だが退屈で、監視人は次々と入れ替わった。
呪いが解ける方法は一向に見つからない。
俺はもう、ずっとこのままドラゴンの姿で一生を終えるのだろうか。
絶望の淵に立たされていたとき、サーシャが来た。
大きなひとりごと、歌って踊って、本を朗読して、ロバと戯れる少女。
怯えながらも、ドラゴンの俺にスープを渡してくれた。
何も食べなくても平気な体になってはいたが、サーシャの作ってくれたスープを食べると心が癒えた。
最初は怖がっていたサーシャがだんだんと図太くなって、俺の体に平気で触れるようになったのには驚いた。
二年間の汚れを、汗だらけになりながら根気よく取り除いてくれた。
こんな少女を好きにならないやつがいるわけない。
サーシャ、俺のサーシャ。俺だけのサーシャになってくれ。
そう叫びたくても、ドラゴンの俺にはその資格も方法もない。
頭がどうかしそうだった。
サーシャが物語を読み聞かせしてくれたときに、魔力が震えた。
そうか、それが答えか。俺には分かった。
それからはあっという間だった。
ゲイリーが届けてくれた、銀の短剣。ヘビの魔物を貫いた短剣を使って、サーシャが俺を人間に戻してくれた。
家族は、特に弟は俺の帰還に涙を流して喜んでくれた。
そして、サーシャに心からの感謝をささげていた。
王族に跪かれて目を白黒させていたサーシャは愛らしかった。
すっかり元気になったゲイリーが、後始末をしてくれている。
「殿下、サーシャの継母と異母姉の行方が分かりました。ロバのヒーホーが匂いをたどって見つけてくれました。オレがとどめをさしました」
「とどめ? やったのか?」
「はい、人間に化けた魔物でしたから。息の根を止める前に聞き出しました。ヘビの魔物の配下だそうです。殿下の魔力と合いそうな人間のところにもぐりこみ、じわじわと痛めつけていたようです」
「そこまで卑劣なのか、あやつらは。俺のせいで苦労をかけた人たちがたくさんいるのか。
やりきれんな。救済したい。リストアップしてくれ」
「はい。既に、部下に命じております。サーシャの父親も救えました。異国の港町で病気になっておりました。サーシャの継母と異母姉に化けていた魔物に洗脳された上に毒を飲まされていたようです」
「ひどい話だ。なんとしても、ヘビの魔物を追い詰めて息の根を止めてやる」
「殿下、その必要はもうないかもしれません。魔術師たちが、殿下の呪いが解けた時点で、ヘビの魔物に呪い返しが襲い掛かったであろうとのことです」
「それならいいのだが。冒険者ギルドに注意を促し、情報を集めてくれ」
「はい、お任せください」
恭しい態度でいたゲイリーが、ニヤッと笑った。
「殿下、小耳にはさみましたが。いよいよ、プロポーズされるとか」
「お前」
なぜ、それを知っている。こやつめ。
「ロバのヒーホーがそわそわしてましたんで、ピーンと来ました」
「ヒーホー」
なぜ気づいた、ヒーホーよ。
「ヒーホーはサーシャと仲良しですからなあ。おそらくサーシャが殿下への気持ちをこっそり相談したんじゃないすかね」
「うむ。もうよい、下がれ」
「はいはいはーい」
ゲイリーはふざけた態度で出て行った。あいつめ。まあ、よい。あいつのちゃらんぽらんさが復活したのは、俺とアルビオン王国にとって良いことだからな。
さて、そろそろサーシャとの約束の時間だ。
懐中時計を見てそわそわしていると、扉が開いて最愛の少女が軽やかに入ってくる。
柔らかな絹糸のような金髪に、透き通った春空のような水色の瞳。いつも笑っているような唇は俺の心をかき乱す。
「サーシャ」
「ジャック」
名前を呼ぶと雪のような肌にそっと赤みがさす。可憐な愛しの君。
「今日は見せたいものがあるんだ」
「そうなの? 楽しみ」
スキップしながら歩くサーシャの手を握る。小さくて華奢な手だ。ドラゴンの俺を清めてくれた後は、爪も手もボロボロになっていたが。今では滑らかになっている。よかった。
ふたりで過ごした森へ向かう。イヤな思い出ばかりだったが、サーシャが全て塗り替えてくれた。
「うわあっ、バラがいっぱい。すごいすごい」
「美少女と野獣のバラに感動していただろう。俺の魔力を注いでバラを育ててみたんだ」
「素敵、夢みたい」
「夢じゃないんだ、ありがたいことに」
これが現実であることが心の底から嬉しい。
跪き、サーシャの手を取る。
「サーシャ・ルンド。俺の最愛。君と一緒なら何を食べてもおいしい。同じ本を読んで感想を言い合う時間が好きだ。これからも楽しく、俺と一生を過ごしてくれないか。結婚してください」
「はいっ」
サーシャが元気いっぱいに答えてくれた。
森の奥からヒーホーという鳴き声がかすかに聞こえた。
「あっこら、静かにしろ。いいところだろ」というゲイリーの声まで。
俺とサーシャは一瞬かたまって、すぐに吹き出す。
サーシャがお腹を抱えて笑い始めた。
「ちょっとーゲイリーおじさん、ヒーホー、出てきなさーい」
「すまん、すまんかった。許してくれ。土下座するから。どうしても、気になってな」
ゲイリーおじさんが本当に申し訳なさそうな顔をして出て来て、地面に頭をつける。
「許してあげる。ほら、立ってください」
「殿下、お許しを」
「許す」
真面目な顔で怒ったフリをしようとしたが、無理だった。
体を壊しながらも、俺のそばにいてくれたゲイリーだ。許さないわけがないんだ。
「許すが、結婚式のときに何か余興でもしてもらうかな」
「は、ははー。ヒーホーと踊りの練習を始めます」
「踊るんだ、いいね」
サーシャの笑い声で、バラの花びらがひらりと舞った。
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