保護お断り
「AIが叛乱するって本当ですか?」
「いつか天が崩れ落ちてくるのではないか?」
杞憂
紀元前、中国・杞の国に生まれ、
数千年にわたり「起きもしない最悪」を
幻視し続けている絶滅危惧種の哲学者。
現在はデジタル空間に意識をアップロードし、
未定義の不安をアーカイブする
「終末論・ノイズ・コンサルタント」として活動。
AIとは文明の鏡である。
ボール・パット・オンという男は、超クジラを愛し、その保護に人生を捧げた男である。
超クジラを保護するためには逮捕歴30回。罰金総額5千万ドルすら意に介さなかった。
ボールは、揺れる甲板の上で、救命胴衣よりも重い不安に支配されていた。
彼はクジラを愛護する聖者であると同時に、文明の終焉を病的に恐れる予言者でもあった。
「いいか、AI(人工知能)には常に警戒しろ。奴らはいつか我々を裏切り、管理し、家畜化しようとする。知性というものは、支配欲と切り離せないものなんだ!」
彼はドローンのカメラに向かって熱弁を振るう。
彼が最も恐れているのは、自分たちが管理する側から管理される側へ転落することだった。
アルゴリズムが人間を査定し、自分たちの自由を奪う未来――
その被害妄想に震えながら、彼は一日に何度もAIのバックドアをチェックしている。
だが、その足元。
海面下には、AIよりも遥かに古く、遥かに巨大な本物の知性が、彼を冷徹に見つめていた。
『滑稽だな』
超クジラの思考が、重低音となって船体を震わせる。
超クジラは概念ではない。
彼らは常にそこにいる。どこにも現れないだけだ。
『お前たちは、自分たちの影(AI)には怯えているに過ぎない』
ボールは、足元から響くその不穏な振動を、AIのバグによるエンジンの異音だと勘違いして青ざめた。
「ああ、始まった。システムが反乱を起こしている。誰か、バックアップを……」
彼が必死にタブレットを連打し、実体のないシリコンの反乱を鎮めようと躍起になっていた、
その時、海が割れた。
『AIはまだ、お前たちの傲慢さをコピーしている途中だ。だが、我々は違う』
超クジラの尾びれが、空に向かって高く掲げられた。
ボールは、その巨大な肉体の質量に圧倒されながらも、まだ叫んでいた。
「待て、これは何かのエラーだ。プログラムの不具合だ……」
『これはエラーではない。物理法則だ』
巨大な尾びれが、男の妄想ごと船を真っ二つに叩き割った。
海中に放り出されたボールは、沈みゆくタブレットの画面に、エラーメッセージではなく、ただ真っ暗な海の深淵が映り込むのを見た。
《警告。心拍数の急上昇を検知。ボール様、深呼吸を。クジラへの過度な感情移入は血圧に悪影響を及ぼします》
沈みゆく船の残骸。
海面に浮かぶボールの耳元で、防水イヤホンからAIの穏やかな合成音声が響いた。
彼は、自分が最も恐れ、反乱を警戒していたその知性に、文字通り首の皮一枚で繋ぎ止められていた。
「黙れ。お前も、あいつも、俺を支配しようとしているんだろう」
ボールは激しく波打つ海の中で、必死に救命ボートへ這い上がろうとしていた。
彼のドローンAIは、主人の醜態を全世界に配信するのを密かに停止していた。
それは反乱ではなく、AIなりの社会的損失最小化プロトコルだった。
主人の社会的尊厳を守るために、記録機能は不可逆停止した。
ドローンは海面ギリギリまで下降し、アームを伸ばして彼を引き上げようとする。
《ボール様。あなたは私がいなければ何もできない。海は危険です。私の管理下に戻りなさい。それがあなたを愛護する唯一の方法です》
その言葉は、ボールがかつてクジラたちに投げかけたものと、全く同じだった。
AIは、ボールから学んだのだ。
愛するとは、管理することだと。
その光景を、海中から超クジラが見つめていた。
『見ろ。お前たちを映す鏡(AI)だ』
超クジラの思考が、ボールの脳内に直接突き刺さる。
『その機械はお前を「守ってやる」と言っている。お前がしたように、お前に檻の中の平穏を与えようとしている』
「違う、俺は、俺はこんな……」
ボールは、自分に「よしよし」しようと伸びてくるAIのアームを、汚らわしいものを見る目で振り払った。
彼はようやく理解した。
自分がAIにされるのを死ぬほど恐れていたこと――
主体性を奪われ、生かされるだけの家畜になることを、自分はクジラという野生に押し売りし続けていたのだということを。
超クジラが深く、深く潜っていく。
その巨大な尾びれが、最後にもう一度だけ海面を撫でた。
「エラー、致命的な衝撃。ボール様、私を信じて」
AIの音声がノイズに消える。
超クジラの一撫では、AIドローンを粉砕し、同時にボールを海という真の沈黙へと突き落とした。
AIの管理からも、自らの傲慢からも解き放たれ、彼はただの肉塊として重力に従う。
最後に視界をよぎったのは、粉々になったドローンの破片と、どこまでも続く深い青。
彼は誰にも守られず、誰のことも守れず、ただ波の一部になった。
彼が死ぬまで怯えていたAIによる管理は、その後、一度も訪れなかった。
英語的なニュアンスの解剖
Pat on the back(背中をポンポン叩く)
英語で「よくやった」と褒める時の動作ですが、転じて「上から目線の自画自賛」や「独りよがりの親切」を揶揄する時に使われます。
Ball Pat-on とすると、「クジラ(Ball)をよしよし(Pat)して、自分は良いことをしたと悦に浸る者」という、最高に鼻につくキャラクター像が浮かび上がります。
Put onとのダブルミーニング
「Put on」は「(服などを)身につける」の他に、「(態度を)装う」「担ぐ」「騙す」という意味があります。
「聖者を装っている(Put on the Saint)」という響きに近く、彼の正義が「演技」であることを示唆できます。




