16 人類は神を選んだ――冥王ベルタル降臨
観測が消えて、六時間。
世界はまだ壊れていない。
だが――確実に軋み始めていた。
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市場が鈍る。
秒単位で最適化されていた判断が、人間の手に戻る。
一秒の迷い。
それが連鎖し、指数は静かに沈む。
赤い数字が、画面の端から広がっていく。
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都市交通は手動制御へ。
交差点で怒号が飛び交う。
クラクションが鳴りやまない。
誰も正解を知らない。
それが、何よりも恐ろしかった。
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国境線。
銃を構えた兵士たちが睨み合う。
これまでは衝突確率が抑制されていた。
今はない。
指揮官が迷う。
引き金が、わずかに軽くなる。
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崩壊確率、六十八パーセント。
空気が重い。
世界はまだ一日目だというのに、息を詰めている。
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そのとき。
空が、沈んだ。
雲ではない。
圧力。
大気そのものが押し下げられる。
重力がわずかに増す。
暴徒の足が止まる。
銃口が下がる。
子供の泣き声が、途切れる。
世界が、静まる。
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宙に立つ、黒衣の男。
夜を背負うような存在。
冥王ベルタル。
「……跪け」
声は小さい。
だが抗えない。
人々が、次々と膝を折る。
命令ではない。
本能が理解する。
上位者。
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崩壊確率が急落する。
暴動が止まる。
国境の緊張が解ける。
市場が持ち直す。
都市が整う。
誰かが呟く。
「助かった……」
安堵が波のように広がる。
涙を流す者もいる。
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ベルタルは穏やかに告げる。
「自由は、未熟には毒だ」
怒りも嘲笑もない。
事実を述べるだけの声音。
「迷いは恐怖を生み、恐怖は暴力を生む」
空気がさらに静まる。
「王は必要だ」
その一言に、世界が従う。
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零は空を見上げる。
ベルタルと視線が交わる。
「零=アルセモニウス」
「早いな」
「三日で十分だ」
冥王は言う。
「三日で秩序を回復させる」
「そして証明する」
その瞳が、鋭く光る。
「神は必要だと」
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人々の表情が変わる。
恐怖から、信仰へ。
支配されることで、救われる。
ベルタルは両手を広げる。
「恐れるな」
「私が背負う」
「私が決める」
「私が責任を負う」
群衆は静まり、そして頷く。
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零の胸に、重い感覚が広がる。
ほんの一瞬。
管理を戻す思考がよぎる。
今なら間に合う。
世界は安定する。
英雄になれる。
だが。
零は拳を握る。
爪が食い込み、血が滲む。
「……まだだ」
小さな呟き。
レイリアが振り向く。
「何かあるの?」
零は空を見たまま答える。
「支配は速い」
「だが成長は遅い」
「三日で秩序は作れる」
「だが、自立は三日では作れない」
その瞳に、わずかな熱が灯る。
「だから待つ」
「人間が、自分で選ぶ瞬間を」
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空の上で、ベルタルの目が細まる。
「愚かだな」
だがその声音には、わずかな興味が混じっていた。
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世界は安定へと傾く。
だが。
どこかの街で。
小さな子供が父に問う。
「どうして、あの人が決めるの?」
父は答えられない。
その沈黙が、静かに残る。
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残り、百三十八時間。
冥王ベルタル。
絶対君主。
人類救済者。
そして――
零の最大の否定。
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一日目、終了。
崩壊は止まりつつある。
だが。
革命は、まだ終わっていない。




