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県初の障がい者教諭として赴任した結果、学校と自分がゆっくり壊れていく話  作者: 妙原奇天


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第13話「現場は誰も余裕がない」

 連休前の週は、朝の空気からしてざわついていた。


 春の終わりかけの、少し湿った風が昇降口から入り込んでくる。

 それなのに、職員室の中は妙に乾いていて、紙とインクの匂いがいつもより濃く感じられた。


「おはようございます」


 成美がタイムカードを押して挨拶すると、あちこちから「おはよう」と返ってくる。

 声の大きさも、トーンも、それぞれ違う。


 その中で、机に突っ伏したまま右手だけをひらひらと振っている男性教師がいた。


「……おはよー、山本先生」


 英語科の田所だ。三十代半ば、腰までずっしりとした疲れを抱えているような雰囲気の人だ。


「おはようございます。大丈夫ですか」


「大丈夫なわけないでしょ、って言ったら怒られるかなあ」


 机に頬を押しつけたまま、田所は乾いた声で笑った。

 笑ってはいるけれど、目の下のクマは濃い。


「昨日、二年の保護者会だったろ? あれの後、クラスでトラブル起きてさ。片づけ終わったの、二十三時過ぎ」


「そんなにですか」


「まあ、よくあるよくある。ここ、そういう学校だから」


 「そういう学校」という言い方に、冗談とも、諦めともつかない響きが混じる。


「俺さあ、この前、メンクリ行って薬調整してもらったんだけどさ」


 顔を上げ、田所は自分のカバンをごそごそと漁った。

 中から、小さな白い袋がいくつか出てくる。


「ほら、見て。前はこれだけだったのにさ」


 指で摘んだ薬袋が、ひらひらと揺れた。

 成美は、どう反応していいか一瞬迷う。


「……増えたんですか」


「増えちゃってさあ。先生に『最近眠れてます?』って聞かれて、『眠れてないです』って正直に言ったら、これもこれもって」


 数を数えるふりをしながら、田所は笑う。


「いやあ、精神科の薬って、こんなポンポン増えてくんだなって勉強になったわ」


 笑いながら言うその口調には、どこか本気で「ネタにしないとやってられない」という色があった。


 誰かが「それ、やばいんじゃないですか」と本気で心配すればいいのかもしれない。

 けれど、周囲の教員たちは、その会話を「そこそこよくある話」として受け止めるように聞き流している。


「でもさ、効いてるならいいんだけどね。飲んでも飲まなくても、しんどいのは一緒っていう」


「……無理しないほうがいいですよ」


 自分でもあまりに月並みな言葉だと分かっていても、それしか出てこない。


「無理しない、ねえ」


 田所は、椅子の背にもたれかかったまま天井を見た。


「無理しない、ってさ。言ってるほうは優しいつもりなんだろうけどさ。無理しないで回る現場だったら、俺、そもそも薬飲んでないよね」


「……」


 返す言葉が見つからず、成美は曖昧に笑うしかなかった。


 そのとき、職員室の前方で、村井の声が響いた。


「はい、そろそろ朝の打ち合わせ始めます。席についてくださーい」


 椅子の軋む音が、一斉に広がる。

 田所は薬袋を元のカバンに戻し、「あーあ」と息を吐いて席を立った。



 黒板代わりのホワイトボードには、びっしりと予定が書き込まれている。

 今日の行事予定、来週の会議、テスト日程、部活動の大会。


 その端に、赤いペンで小さく「保健室登校 継続相談」「教育相談 要日程調整」とメモが付け足されていた。


「それでは、本日の欠席・保健室登校等の状況を、学年主任、それから養護教諭の先生お願いします」


 村井が促すと、各学年の学年主任と保健室の先生がファイルを持って立ち上がった。


「はい。本日、三年で欠席九名、遅刻四名」

「二年、欠席六名、遅刻三名」

「一年、欠席七名、遅刻三名」

「保健室登校は六名です。保健室登校の生徒については、昨日に引き続き、朝から保健室に来ています。本人希望で、午前中は保健室で過ごし、四時間目から教室に戻る予定です」


 淡々とした報告。

 けれど、「保健室登校」という言葉は、職員室の空気を少しだけ重くする。


「担任の先生は、合間に必ず顔を出してください。クラスの様子や、連休中の過ごし方について話しておきたいので」


「はい」


 各担任が、まばらに短く返事をする。

 その声には、「またか」という諦めと、「何とかしてあげたい」という責任感が入り混じっていた。


 続いて、生活指導担当の教師が立ち上がる。


「昨日の放課後、二年の昇降口付近で、男子生徒二名の小競り合いがありました。押し合いの際に、一人が転倒して、膝を擦りむいています。大きな怪我ではありませんが、念のため保護者には連絡済みです。本日中に、関係生徒からの聞き取りと、指導記録をまとめる予定です。関係する先生方は、昼休みに少し時間いただけると助かります」


 また一つ、「対応案件」が増える。


 ホワイトボードの一角には、すでに小さなメモが何枚も貼られている。

 「暴力行為」「器物破損」「ネットトラブル」といった文字。


 その一つ一つに、誰かの時間と気力が持っていかれる。


「それから、昨日の保護者会後の電話について。二年三組の保護者の方から、『授業中の指導の仕方が厳しすぎるのではないか』というご意見が来ています。該当の先生は、後ほど教頭先生と共有をお願いします」


 黒瀬が軽く咳払いをしながら口を挟む。


「はい。該当の先生には個別にお伝えしますが、とりあえず、全体としても、言葉かけの仕方には引き続き留意をお願いします」


 そう言いながら、黒瀬の顔には明らかな疲れの色があった。

 保護者対応は、教頭の大きな仕事の一つだ。

 電話一本一本に「学校全体の顔」が見られてしまう。


 そのストレスを抱えながら、自分自身の授業準備や事務仕事もこなさなければならない。


 誰の立場も、「余裕がある」とは言い難い。



 朝の打ち合わせが終わると、職員室の時間は再び細切れになった。


 プリントを印刷しに行く人。

 生徒指導の記録をまとめる人。

 保健室に行く前に、連絡帳に何かを書き込んでいる人。


 成美は、自分の机に座り、今日の時間割をもう一度確認した。


 午前中に授業が三つ。

 午後は、五時間目が自分のクラス、六時間目は会議。


 その合間に、連絡帳のコメントと、昨日途中まで書いた指導記録を仕上げなければならない。


「あ、山本先生」


 向かいの席から、佐川が声をかけてきた。


「はい」


「昨日の三年二組の、廊下での件、覚えてます?」


「あの、ちょっと押し合いになった子たちの……」


「そうそう。生活指導の先生が、記録に山本先生の名前も載せたいって言ってたので、昼休みにでも話を聞かせてくださいって」


「分かりました」


 昨日の光景が、頭の中に浮かぶ。


 放課後の廊下で、男子二人がふざけ半分、口喧嘩半分で肩をぶつけ合っていた。

 それがエスカレートして、一人が壁に手をついたとき、通りかかった成美が慌てて止めに入ったのだ。


 幸い、大きな怪我はなかった。

 でも、「暴力行為」として記録に残す必要がある。


 子どもたちの将来のためにも、学校としての責任のためにも。


 その判断自体は、間違っていない。

 けれど、その分だけ、「書類の山」は増えていく。


 記録は大事。

 でも、その記録を書くのは、いつも「誰かの時間」だ。



 三時間目が終わり、職員室に戻ると、電話のベルが鳴っていた。


「はい、山東第二中学校、職員室です」


 受話器を取ったのは、事務の職員だった。

 受話器を耳に当てた瞬間、その表情が少しこわばる。


「いつもお世話になっております。……はい、担任に代わります」


 受話器が、別の机へと手渡される。


「はい、二年一組担任の吉村です」


 電話を代わった吉村の表情が、次第に固くなっていくのが、離れた席からでも見て取れた。


「……はい。そうですね、そのときは私も教室にいたのですが……。いえ、決して、叩いたとかではなく……。はい、語気が強くなってしまったのは事実です。申し訳ありません」


 何度も「申し訳ありません」を繰り返す声。


 受話器を置いたとき、吉村の肩は目に見えて落ちていた。


「また?」


 近くにいた田所が、小声で聞く。


「『みんなの前であんな言い方をされて、うちの子が傷ついている』って。……分かるんだけどさ、こっちはこっちで、教室回さないといけないし」


「ですよね」


 田所の相槌も重い。


「前は『もっと厳しくしてください』って言ってた保護者さんが、今回は『言い方が厳しすぎる』だもんね。同じ人なんだけどなあ」


 吉村は、自嘲気味に笑った。


「子どもの様子見て、不安になるのは分かるんだけどさ。……こっちも、人間なんだけどね」


 誰かを責める言葉というより、自分への言い聞かせのような口調だった。


 成美は、コピー機の前でその会話を聞きながら、「自分もいつか、同じような電話を受けるのだろう」と想像した。


 そのとき、自分はどう対応できるだろう。

 冷静に説明できるだろうか。

 必要な謝罪の言葉を選べるだろうか。


 不安は尽きない。


 けれど、その不安を口に出す余白は、職員室のどこにも見当たらなかった。



 昼休み。


 やっと座れたと思ったら、「山本先生、ちょっといい?」と村井に呼ばれる。


「昨日の廊下の件、詳しく教えてもらえます?」


「はい」


 椅子を村井の机のそばに移動し、状況を説明する。


「放課後の三階の廊下で、男子生徒二人が肩をぶつけ合っていて……。最初はふざけているように見えたんですが、声のトーンがだんだん変わってきたので、間に入って止めました」


「そのとき、どんな言葉が交わされていました?」


「片方が、『お前ちゅるちゅる』と、容姿を揶揄うようなことを言っていて……。もう片方が、『お前がハゲ』『うるさいちゅるちゅる』など返していました。押し合いになったとき、『やめなさい』と声をかけて、すぐに両方の肩を押さえました」


「うん」


 村井は、手元の用紙にメモを取りながら、何度か頷いた。


「この件、軽微なものとして処理することもできるんですが、一応、暴力行為として記録しておいたほうがいいと思ってます。今後同じようなことが起きたとき、経過を追えるように」


「分かりました」


「書類のほう、私がフォーマット作るので、山本先生は事実経過のところだけ、後で書いてもらってもいいですか。細かい文言はこっちで整えますから」


「ありがとうございます」


 そう言いながら、成美は内心で「また一枚、書類が増えた」と数えた。


 村井が悪いわけではない。

 むしろ、現場にできるだけ負担をかけないように、と工夫してくれている。


 それでも、現実として、「対応すべきこと」は減らない。

 報告と、記録と、説明責任。


 子どもたちのためにも、それは必要だ。

 けれど、その必要な作業が、積もり積もって、誰かの心と体を削っている。


 構造として、「やらなければいけないこと」のほうが、「やれること」をしばしば上回っている。



 放課後。


 職員室のあちこちで、椅子の背にもたれかかる音がした。

 今日の授業が終わった、という安堵と、これから始まる「放課後の仕事」への覚悟が、同時に混ざり合う時間帯だ。


 成美がプリントの束を前に座っていると、隣の席から、ぽつりと声がした。


「やっと終わった……」


 つぶやいたのは、数学科の川島だ。四十代前半、眼鏡の奥の目が常に忙しなく動いている人。


「今日、授業、何時間でした?」


 佐川が聞くと、川島は指を折りながら数えた。


「一時間目から五時間目まで全部。六時間目会議。……あ、朝の会と帰りの会も入れたら、正確には七コマか」


「すご」


「すごくないよ。全然すごくない。授業準備が追いついてないって意味だからね、これ」


 川島は、自分の頭の後ろをぽりぽりとかきながら、「あーあ」と息を吐く。


「今月、残業どのくらい行きそうです?」


 田所が、半分冗談めかして尋ねた。


「えーとね……」


 川島は、自分の手帳を開いた。

 そこには、毎日の出退勤時間が細かくメモされている。


「ざっと見積もって、八十時間は超えるかなあ。まだ月末まであるし」


「八十時間、超えたって」


 田所が、わざとらしく周囲に聞こえるような声で繰り返す。

 近くの教師たちが、苦笑いを浮かべる。


「ブラック企業ですねえ、ここ」


「いやいや、うちは教育現場だから。ブラックとかホワイトとか、そういう色の概念、最初からないから」


「モノクロですらないんですね」


「そう。グレー通り越して透明。見えないから、もっとたちが悪い」


 軽口の応酬に、笑いが起きる。

 でも、その笑い声の奥には、どうしようもない疲れの色が隠れていた。


 川島も田所も、本気で「面白がっている」わけではない。

 こうして冗談にしなければ、「八十時間」という数字の重さに押し潰されてしまうからだ。


「残業時間、自己管理でって言われてもねえ。授業削るわけにいかないし、行事もあるし、部活もあるし」


 川島が、ペンをくるくると回しながら言う。


「最近は、『先生たち、働きすぎでしょ』っていうニュースも増えたけどさ。じゃあ、誰がこの仕事薄めてくれるんだろうね。って、いっつも思う」


「働き方改革の研修も、結局『意識を変えましょう』で終わっちゃいますからね」


 佐川が肩をすくめる。


「意識なら、もう十分変わってるんだけどね。『このままじゃまずい』って」


「そうそう。問題は、意識じゃなくて、仕事の量と人の数と、制度なんだよなあ」


 会話の内容だけ聞けば、半分は愚痴で、半分は自嘲だ。

 それでも、誰も本気で怒って声を荒らげたりはしない。


 怒鳴ったところで、目の前のプリントの山が減るわけではないことを、皆が知っているから。


 だからこそ、「笑い」に変えて、何とか飲み込もうとする。


 その光景を見ながら、成美は、自分だけが特別に「しんどい」のではないことを、改めて突きつけられた気がした。


 自分は障がい者雇用の教諭で、特性があって、体力もない。

 それは確かに事実だ。


 でも、「ギリギリで働いている」という意味では、この職員室にいるほとんどの教師が同じ場所に立っている。


 精神科の薬の袋を冗談めかして見せる人。

 八十時間残業を「笑い話」にしないと心がもたない人。

 保護者の電話に「申し訳ありません」を繰り返しているうちに、自分自身が何を謝っているのか分からなくなってしまいそうな人。


 誰も、遊んでいるわけではない。

 誰も、「楽をしたい」なんて言っていない。


 それでも、誰も余裕がない。



 夕方、保健室に顔を出すと、養護教諭が椅子にもたれて大きく伸びをしていた。


「お疲れさまです」


「お疲れさま。……今日も、なかなかの一日だったわ」


 机の上には、さまざまな記録用紙が積み上がっている。

 保健室登校の記録、怪我の処理の記録、相談内容のメモ。


「さっき、三年の子、帰っていきました」


「はい。担任の先生からも聞きました」


「このまま、連休入って、落ち着いてくれるといいんだけどね。家のほうもいろいろあるみたいだし」


 「いろいろ」という言葉の中に、具体的には語られない事情が詰まっている。

 家庭環境、親子関係、経済的なこと。


 子どもたちが学校で見せる行動の背景には、たいてい、それぞれの事情がある。


 保健室は、その「事情」の表面に、最初に触れる場所でもある。


「山本先生のところは、どう? 保健室、よく来る子とか」


「います。最近、朝になると頭痛がすると言って、何度か保健室で休んでから教室に行く子が」


「うん。あの子ね」


 養護教諭は、すぐに誰のことか分かったようだ。


「自分の中で、いろいろ調整してるんだと思う。教室、しんどいけど、来ようとはしてるから」


「そうですよね」


「先生たちも、無理しすぎないでね」


 ふと、養護教諭が成美に向ける視線が、いつもより少し柔らかかった。


「保健室って、子どもたちだけの場所じゃないから。先生だって、具合が悪かったら、ここ来ていいんだからね」


「あ……はい」


 そう言われて、初めて「ああ、自分も『保健室に入っていい側』なんだ」と意識した。


 今まで、「保健室は子どもたちのもの」「自分は『迎えに来る側』」だとどこかで思い込んでいた。


「でも、先生たちは、なかなか来ないのよね。『ちょっと休みたい』って言えない雰囲気、あるでしょ」


「……そうかもしれません」


「私としては、倒れる前に、遠慮なく来てほしいんだけどね。来たところで、仕事が減るわけじゃないって分かってるから、みんな我慢しちゃうんだろうけど」


 養護教諭は、苦笑いを浮かべた。


 誰も悪くない。

 保健室の先生も、担任も、管理職も。


 ただ、「仕事」と「責任」と「人の数」が釣り合っていないだけだ。


 その歪みが、じわじわとあちこちから人を押しつぶそうとしている。


 それが、「構造の病」というやつなのだろうと、成美はぼんやり思った。



 その日の帰り道、車の中で、成美はハンドルを握りながら考えた。


 食べられない自分。

 眠れない夜。

 帰り道で、自分を罵倒していた日々。


 それらは確かに、自分の弱さや特性や体質と結びついている。


 でも、職員室のあちこちから聞こえてくる「精神科の薬が増えた」「残業八十時間」という言葉を聞いてしまうと、「自分だけの問題」として片づけることは、とてもできない。


 ここにいる大人たちの多くが、どこかしら壊れかけている。

 それでも、「子どものため」「現場のため」と、自分のひび割れに布を巻きつけて働き続けている。


 その布は、そのうち血で染まるかもしれない。

 それでも、「今はまだ大丈夫」と言いながら、手当てを先送りにしている。


「みんなも大変だから」


 そう思えば思うほど、「自分だけが『配慮してほしい』なんて、とても言えない」と感じてしまう。


 障がい者雇用だから、特性に配慮してもらえるはずだった。


 けれど、実際には、「配慮」という言葉が入り込む隙間そのものが、現場から消えかけている。


 誰のせいでもなく。

 誰か一人を責めて解決する種類の問題でもなく。


 ハンドルを握る手に、力が入る。


 ライトに照らされた山道は、相変わらず細くて心許ない。

 対向車のライトが一瞬目を射抜いて、過ぎ去っていく。


 その光が消えると、また闇が戻ってくる。


 職員室も、保健室も、会議室も。

 どこも、誰も、余裕はない。


 その中で、「障がい者だから配慮してほしい」と声を上げることが、どれほど難しいか。


 自分だけが特別扱いを求めているように思えてしまう。

 「お互いさま」の中からはみ出してしまう。


 そう思うと、成美の口は、ますます固く閉じていく。


 自分がしんどいことを知っている。

 周りもしんどいことを知っている。


 知っているのに、誰も、そのしんどさを「減らす」術を持っていない。


 ただ、それぞれの場所で、ぎりぎりのバランスを取りながら立っている。


「……どうすればよかったんだろうね」


 誰にともなく、そう呟いてみる。


 答えは返ってこない。

 ただ、エンジン音だけが一定のリズムで続いている。


 この日、成美は、車の中で自分を責める言葉をあまり口にしなかった。


 代わりに、職員室で交わされた会話を、何度も頭の中でなぞっていた。


 精神科の薬の袋。

 八十時間を笑い話にする声。

 「無理しないでね」と言いながら、自分も無理をしている養護教諭の横顔。


 その一つ一つが、「ここでは誰も余裕がない」という事実を、いやというほど突きつけてくる。


 そして、その事実が、これから先、成美自身がどこまで進んでいってしまうのかを、静かに暗示していた。

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