試食会 その2
さて、連休前最後の登校だ。
去年の連休は潮干狩りと穴釣りに出かけたけど、今年は雪華と内宮班の一部と一緒に釣りに行く予定があるだけ。今年の連休中は潮干狩りに不向きだから、連休後の土日に行く予定なんだよね。潮干狩り場自体はやっているから行く人は多いだろうけど、潮が引いていない砂場争いで混雑しそうだから俺達は行かないってだけ。
今日は2回目の試食会となっている。多澤先生の授業終わりにクラスメイトのいる前で調理室のオーブン使用の許可を求めたけれど、許可は得られなかった。これは他のクラスメイトと不公平になるからとかでは無くて多澤先生の一存では決めることは出来ずに上の先生達に相談したところ『授業以外の部活動やクラブ活動でも無い使用は止めるべき』との結論になったからだ。
俺達説教常連組からは「ざまあ」なんて言われたけれど、職員室内にある給湯室の電子レンジの使用は許可されたので、飯テロをしてやるぜ!
午前の授業が終わり、昼休憩になったので。
「それじゃあ、許可された給湯室で仕上げてくるから少しだけ待ってて」
「「「「「はーい」」」」」
「昌史は一緒に来てくれ」
「おう。悪いな」
俺と雪華と昌史で職員室へと向かい。
「それじゃ、先に昌史の義妹ちゃんの分を温めるから持っていってあげな」
「悪いな。嫁さんもありがとう」
「気にしないで。美味しく食べてくれると嬉しいな」
昌史の義妹ちゃんも学食利用らしいんだけど、前回の試食会の時に学食を利用しない理由を聞いたら自分も食べてみたくなったらしい、と昌史が相談してきたから一緒に作ってあげることにしたんだよ。
「はいよ。義妹ちゃんに渡したら、先に教室に戻っていいからな」
「わかった」
「じゃあ俺は先生達のを渡してくるから引き続き温めておいて」
「まかせてよ」
「多澤先生、電子レンジの使用ありがとうございます。先生方、こちらリハマカロニラーティッコというオーブン料理になりますのでご賞味下さい」
「次回の調理実習はこれを作るのですか?」
「わかりません。候補の一つとして提案用の試食なので」
「そうなんですね」
提供するのは多澤先生と蔵持先生と安中先生のいつものメンバーだ!最後の仕上げでチーズを乗せてから温めたので職員室には香ばしいニオイが充満しているので、三人の周囲に集まって来る先生達もいる位だ。
「多澤先生。これ念の為の一口頂戴用になりますので」そう言って小さめの容器も渡しておく。すると、周囲を見渡した多澤先生も「助かります」と言って受け取ったよ。
給湯室へと戻り。
「こっちはどうだ?」
「温め終わるから、教室に戻れるよ」
「了解だ。鳳来さんにメッセージ送っとくな」
給湯室の電子レンジは複数台あるので、一度に温められてありがたいぜ。一気に使用したからってブレーカーは落ちないから大丈夫だぞ?念の為。
「皆、お待たせ〜。早速食べようぜ」
という事で本日の試食メニューです。説明は作った雪華が担当だ。
「まずは、リハマカロニラーティッコ(Lihamakaronilaatikko)というマカロニのオーブン料理になります。本当はチーズも一緒にオーブンで焼くんだけど、粉チーズでの代用になってるから」
「お次は、ナッキカスティケ(Nakkikastike)というウインナーを使ったスープの見た目なんだけど、ソースとして使う料理になるんだ。これもジャガイモと一緒に食べるんだけど、今回は蒸したジャガイモにしてみたから」
雪華の説明も終わったところで。
「「「「「いただきまーす」」」」」
と皆して食べはじめたんだけど。
鳳来「内宮が甘いと言った理由がわかるわ。これさ、初めてだから不安もあって試食会したけど無いほうが良かったかもね。美味しくて作る料理を迷うわ」
烏野「ですね。でも時間内に調理出来ますかね?」
「その辺は安心して。作る量が多いだけで時間はあまり使わないのを選んだから。時短料理って多いんだ」
烏野「そうなんですね」
桃瀬「内宮君は他の料理も食べてるの?」
「まあな。雪華の作る料理ってさ冬場に食べると美味しい料理が多いから、結構食べたな」
桃瀬「へえ〜」
「夏の暑い時季に食べる料理って、お母さんもあまり知らないみたいなのよ。おばあちゃんなら何か知ってるかもだけど。ほら、フィンランドって寒いイメージがあるでしょ?」
「「「確かにね〜」」」
そんな会話をしつつも雪華が作った試食メニューは全部、皆のお腹の中へと消えてなくなりましたとさ。
昼休憩終わりに昌史がスマホのメッセージ画面を見せてきた。そこには完食した容器と『ごちそうさまでした』の文字。雪華と俺は顔を見合わせて微笑むのであった。
一方その頃職員室では、一口味見をさせて貰った女性教師達が教頭へ抗議をしている光景があったみたいだ。多澤先生が俺の性格上、希望者には振る舞ってくれたハズと味見をした先生達に言ったからだそうだ。
そんな話しをHR終わりに容器を返してくれた蔵持先生から聞かされるのであった。




