【第88話:まどろみの中に、ぬくもりが】
夜明け前――静けさのなかに、ほんのりとした余韻が残る時間帯。
軽躁状態の“1日目”と“2日目”のあいだで、るなの心にもまた、ふわりとした境界が広がっていました。
その瞬間を、そっと描いています。
【第6章】こころ、ふわりと浮かんで(9話目)
夜がほんの少し明けかけたころ、
るなはまどろみの中で、ゆっくりと瞼を開いた。
まだ眠っていたかった。
でも、身体のどこかがそっと目覚め始めていて、
夢と現実のあわいに浮かぶような、やさしい気配があった。
「……ふふ」
吐息のようにこぼれた笑みは、誰に向けたものでもなかったけれど、
今の自分が、悪くないところにいるのだと、そっと教えてくれるものだった。
昨日――明人と話して、笑って、疲れて、眠って。
その全部が、まだ心の中にあたたかく残っている。
どこかで誰かに抱きしめられていたような、そんな安心感の残り香だった。
彼の声も、気配も、もうここにはないのに、
それでも胸の奥では、やわらかな余韻が揺れていた。
(……だいじょうぶ、きっと)
まだ何も始まっていないけれど、
今日という日が、小さく何かを変えてくれそうな気がした。
それだけで、胸の奥にふっとひとつ、光が灯るようだった。
るなは目を閉じたまま、布団の中で指先をゆっくりと開いたり閉じたりしてみる。
それだけの動きなのに、手のひらには確かな“ぬくもり”が宿っていた。
(まだ眠れるかな……)
そう思いながらも、身体の奥に、小さな明るさが芽生えていくのを感じていた。
どこかが軽くなっていて、ほんの少しだけ浮かび上がるような感覚がある。
それは、内側から泡のように湧いてくる、静かな喜び。
“こういう朝”が、また訪れるなんて――
ほんの数日前の自分では、きっと想像もできなかった。
けれど今は、その“変化”を怖いとは思わなかった。
深呼吸をひとつ。
吐き出した空気が、ほんのり甘くて、るなは小さく笑った。
(こんな朝なら、悪くないかも)
再びまぶたを閉じながら、彼の名前を、心の中でそっと呼んでみる。
声には出さないまま、それでも呼びかけたその響きが、
胸の内側に静かに届いていく。
“明日もまた、こうして起きられたらいいな”
そんな願いが、まどろみの奥にふわりと滲んでいた。
やがて、また眠りが、そっと降りてきた。
そのぬくもりは、少しだけ光に似ていた。
そして今度は、その光の中で、もう少し深く、夢へと沈んでいった。
眠りにつくこともなく、夜がそのまま朝へとつながっていくような、そんな境界の時間。
るなの内側では、まだ昨日の余韻がやわらかく漂っていて。
一方で、次の一日がすぐそばまで来ている気配も――静かに、やさしく。
“その狭間にいる感覚”を、そっと綴ったひとときでした。




