【第78話:低く揺れる午後】
午前の重さが残ったまま、少しずつ時間が進む午後。
動けるようになった自分と、まだ置き去りのままの心。
そんな「揺れ」の午後を、静かに切り取っています。
【第5章】心のひかりをたしかめて(38話目)
午後になっても、部屋の空気はまだ重く感じていた。
るなはリビングのソファに毛布を巻いたまま座っていた。窓の外はうっすらと晴れているけれど、心のどこかにはまだ朝の重さが残っている。
テレビの音もつけず、静かな部屋。膝に両手を乗せ、ぼんやりとカーテン越しの光だけを見つめていた。
何かをしようと思う気力は、なかなか湧いてこない。
でも午前中よりは、ほんの少しだけ身体が動いた気がする。
キッチンまで行って、コップに水を入れる。
それだけで疲れて、またソファに戻る。
「何もしてないのに、なんでこんなに疲れるんだろう」
小さくつぶやいてみても、答えはどこからも返ってこない。
気が付けば、時計の針が午後の半分以上を進んでいた。
外の空はすこしずつ色を変え、窓ガラスに映る自分の姿だけが、時間の経過をそっと教えてくれる。
思考は止まったまま。けれど、心の奥底では、何かがじわじわと湧き上がろうとしていた。
それが希望なのか、不安なのか、自分でもわからない。
しばらくして、彼がそっと部屋に入ってくる。
「少し、外の空気を入れますね」
静かに窓を開けると、春の冷たい風がふわりと入り込む。
るなは毛布を膝の上に引き寄せて、身をすくめた。
「寒くないですか?」
「……うん、大丈夫」
本当は少しだけ寒かったけれど、その風に包まれることで少しだけ気分が変わる気がした。
午後の日差しは穏やかで、窓の縁にだけ光が落ちていた。
彼は静かに台所で何かを洗っている。
カランカランと流れる水音や、包丁の軽い音。
それらが小さく響くたび、るなの頭の中にほんのわずかだけ現実のリズムが戻ってくる。
そうしているうちに、玄関のチャイムが一度だけ鳴った。
宅配便の荷物。受け取った彼が、そっとテーブルの端に紙袋を置いた。
「後で、お好きなタイミングでどうぞ」
中には、るなが好きなお菓子が入っているらしかった。
けれど今日は、不思議と手が伸びなかった。
ソファから立ち上がることは、まだできなかった。
でも、窓の外を見たり、テーブルの上に手を伸ばしたり、
ほんのわずかだけ「何かをしてみよう」と思える時間が増えた気がした。
夕方が近づくにつれ、部屋の光はゆっくりとオレンジ色に染まっていく。
心の奥に残る重さは、まだ全部消えたわけじゃない。
けれど、午前よりはほんの少しだけ軽くなった気がして、
るなは静かに目を閉じる。
「明日は、もうちょっと動けるといいな……」
そんな淡い願いだけが、今日の午後の光のなかでそっと揺れていた。
今日はまだ、大きく前を向くことはできなかったけれど、
ほんの少しずつ、昨日よりも前に進んでいる――
そんな気持ちで書いた午後のひとときです。
次回は夕方から夜へ。
少しだけ心が浮かぶ瞬間も、静かに描いていきます。
明日も0:00更新でお届けします。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。




