【第71話:夕暮れのはじまり】
夕暮れが始まるリビング。
今日という一日の終わりが、
ゆっくりと部屋に染み込んでいく――
穏やかな余韻と、
何もない安心を大切に描きました。
【第5章】心のひかりをたしかめて(31話目)
窓の外の陽射しが、
ゆっくりと淡いオレンジ色に変わりはじめていた。
るなはソファの上で膝を抱えたまま、
リビングに伸びていく影を静かに見つめている。
壁にはカーテンの模様が長く映り、
その揺れが、部屋全体にやさしい動きを与えていた。
昼間の温かさはまだ残っているけれど、
空気の中には少しずつ夜の冷たさが混じりはじめる。
足元には陽だまりがかすかに残っていて、
そのあたたかさを手のひらで確かめるように、
るなはそっと指を伸ばしてみる。
遠くで小さく鳥の声が聞こえ、
どこかの家から夕飯を支度する匂いが風に混じって漂ってきた。
「もうすぐ夕飯の支度を始めましょうか」
キッチンから彼の声がやわらかく響く。
るなは「もう少しだけ……」と、小さな声で応えた。
今はまだ、
この夕暮れの空気に包まれていたかった。
誰にも急かされず、
何かをしなければいけない理由もなく、
ただ「ここにいる」ことが許されている時間。
るなは膝をぎゅっと抱え直し、
ゆっくりと背中をソファに預けた。
部屋の空気はだんだんと澄んでいく気がして、
呼吸を整えるたびに、
自分の中のざわつきもそっと静かになっていく。
窓辺に目をやると、
街路樹の葉がゆっくりと揺れている。
鳥たちもどこか遠くへ帰っていくのか、
昼間より静かになった外の世界が、心をさらに落ち着かせてくれる。
カップに残ったお茶を一口飲み、
そのぬくもりをもう一度確かめる。
手のひらの温度が、ほんのわずかに下がっていくのも、
今は心地よい変化に思えた。
カーテンの隙間からは、
夕焼けの光が細く差し込み、
部屋の奥まで淡い色を広げていた。
ふと、今日一日のことを思い返す。
何も特別なことはなかったけれど、
その“何もなさ”が今は安心で、
少しだけ誇らしくも感じられる。
「夕飯は、あたたかいスープにしましょうか」
彼が再びやさしく声をかける。
るなはうなずきながら、「ありがとうございます」と静かに返す。
これから夜の支度が始まる。
その前の、ほんの短い夕暮れの余韻――
るなはソファの上で、
ゆっくりと呼吸を整えていた。
やがて部屋の明かりが灯り、
外の世界は夜の色に包まれていく。
今日という日が、また穏やかに終わっていくことに、
るなは小さな感謝を胸の奥でそっとつぶやいた。
一日の終わり、
ただ静かに陽が傾いていく時間。
その“何もなさ”が、
心にやさしい温度を残してくれる気がします。
明日もまた、0:00に静かな物語をお届けします。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。




