【第64話:そよ風の中で】
そよ風が部屋をやさしく包む午前。
“何もしない時間”の大切さと、
心にひろがる静かな安心を描きました。
【第5章】心のひかりをたしかめて(24話目)
本を読み進めていると、ふいに窓の外からそよ風が吹き込んできた。
カーテンがふわりと揺れ、朝の光とともに淡い風の香りが部屋を包む。
るなはページをめくる手を止めて、そっと顔を上げた。
静かなリビングには、彼が持ってきてくれたカップからまだ湯気が立ちのぼっている。
その温もりと、肌を撫でる風の心地よさが混じり合い、
るなはしばらく目を閉じて深呼吸した。
「今日の空気はやわらかいな」と、なんとなく感じる。
読書の続きをしようとしたけれど、
しばらくはただ静かな部屋の空気を味わっていた。
時折、外から小鳥のさえずりや、どこか遠くの子どもたちの声が届く。
それらの音がひとつひとつ、やさしく心に触れる。
ふと、今までなら「早く何かしなきゃ」「何か意味のあることをしなきゃ」と
自分を急かす気持ちがあったことを思い出す。
けれど今日は、「何もしない時間も悪くない」と、
そう思える自分がいる。
テーブルの上には、彼が差し入れてくれた新しいクッキーが載った小皿。
一枚手に取り、口に運ぶと、甘さがふんわりと広がり、
それだけで少し心が軽くなる気がした。
ゆっくりと味わいながら、再び本を手に取る。
ページの隅に残る前の読書の折り目や、
指先に伝わる紙の感触――
そうした小さなことさえ、今のるなには愛おしい。
「今日もこうして穏やかに過ごせている」
その事実が、心の奥に小さなぬくもりを灯す。
彼が書斎から出てきて、
「お加減いかがですか」とやさしく声をかけてくれる。
「大丈夫です。今日は、とても静かで気持ちがいいです」
るなはそう答えた。
「では、何かあればいつでも呼んでくださいね」
彼がほほえみを残して部屋を出ていくと、
るなはもう一度窓の外に目を向けた。
光が少し強くなり、葉の影が床にやさしく落ちている。
庭の花もそよ風に揺れて、
そのささやかな動きが、なぜかとても美しく思えた。
ページをめくる音、カップの湯気、外のさえずり――
そのすべてが“今ここにいる”という実感につながる。
「何もしなくても大丈夫」
そう心の中でつぶやいてみると、
ほんの少しだけ、昨日よりも深く息が吸える気がした。
やがて本を閉じてソファに体を預けると、
優しい風と光に包まれながら、
るなは「この静かな時間も、自分のものにしていい」と思えた。
淡い雲が空を横切り、窓から差し込む光の形をゆっくり変えていく。
それを眺めながら、るなは自分の中の静けさもまた、
やさしく形を変えていくのを感じていた。
何気ない静けさや、小さな気づき――
そんなひとときが、心の回復につながるのだと思います。
明日も0:00更新でお届けします。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。




