【第41話:うまく笑えなくても】
ふとしたきっかけで心がざわついたり、
何気ない景色がまぶしすぎたり。
それでも、日々は少しずつ、続いていく。
第5章では、そんな“こころの揺らぎ”と向き合っていきます。
【第5章】心のひかりをたしかめて(1話目)
湯気の立ちのぼるカップを両手で包みながら、るなは視線を落としていた。
テーブルの端には、まだ封の切られていない薬の袋。
今日、ようやく病院に行ってきたばかりだった。
「……ちゃんと、説明されても、やっぱり実感なんて湧かないですね」
ぽつりとこぼした言葉に、彼はすぐには返さなかった。
けれど、その沈黙は拒絶ではなく、そっと寄り添うような静けさだった。
「“うつ状態が強い双極性障害”って、言われました」
「はい」
「自分では、もっと軽いものだと思ってたんです。……ちょっと疲れてるだけって」
紅茶の香りが、淡く部屋に満ちていく。
けれど、その甘さに気づけるほど、心には余裕がなかった。
「お嬢様は、ご自分のことを、ずっと我慢させてきたのだと思います」
彼の声は、落ち着いていた。
否定もせず、同情もしない。
ただ、ありのままを認めてくれるような音色だった。
「……朝が、怖いんです」
「はい」
「目が覚めた瞬間から、胸の奥が沈んでいて。……何も始まっていないのに、終わってるみたいで」
「それでも、今日こうして病院に行けたこと。……とても大切な一歩です」
静かに、けれど確かに伝えられた言葉に、るなは少しだけ目を伏せた。
「わたし、ちゃんと治るんでしょうか」
「治る、ではなく、“向き合っていく”ということだと思います」
それは、答えのようでいて、問いの続きのようでもあった。
「でも……」
「ご無理をなさらず、ゆっくりで構いません。笑えなくても、起き上がれなくても……それでも、今日ここにいるお嬢様は、前に進まれているのですから」
その言葉が、るなの胸のどこかに、静かに灯をともす。
カップの底に残った紅茶を見つめながら、
るなはふと、わずかに口角を動かした。
たとえ“笑顔”にはなっていなくても、
それは確かに、自分の意思で動いた表情だった。
今回は、すこし静かな幕開けとなりました。
るなの心の動きは、見えにくいようでいて、
きっと誰かの心にも重なるのではないかと思います。
第5章も、0:00の1話ごとの更新で進めてまいります。
どうかそっと、見守っていただけたら幸いです。




