【第39話:ただいま、の声がする場所で】
帰ってきたその場所が、変わらずに迎えてくれること。
そして、ひとつの紅茶の香りが、心の中のざわめきを静かにほどいていくこと。
今日は、そんな「灯の中で息をつく時間」を描いています。
【第4章】この灯を、あなたと(15話目)
玄関の扉が閉まると、外の風の音が静かに遠ざかっていった。
るなは手に抱えていた紙袋をそっと胸元に寄せた。
中には、今日、自分で選んだ紅茶の缶。
たったひとつの、小さな選択。
けれどそれが、思っていた以上に大きなぬくもりになっていた。
「お疲れ様でした、お嬢様」
そう告げる彼の声は、いつもと変わらず静かで、やさしい。
部屋の中には、午前中に開けた窓の名残の風が、まだほんの少しだけ残っている。
「……ふぅ」
靴を脱ぎ、スリッパに足を入れると、
足の裏に感じる床の感触が、どこかほっとさせてくれる。
「お湯、沸かしますね。すぐに用意できます」
彼はそう言って、キッチンへと向かっていった。
ケトルの蓋を開ける音、水を注ぐ音――
その一つひとつが、いつもの暮らしの音としてるなの耳に届く。
るなはリビングの椅子に腰を下ろし、
紙袋から銀色の紅茶缶をそっと取り出した。
缶の表面が部屋の灯りをやわらかく反射する。
「……ちゃんと、選べたんですよ」
誰にともなく、けれど少し誇らしげに、そうつぶやいた。
しばらくして、お湯が沸く音とともに、
青いカップと小さなソーサーがテーブルに並べられる。
「どうぞ。お好きな量で、お淹れします」
彼の手元で茶葉が丁寧にすくわれ、お湯がそっと注がれていく。
ふわりと立ちのぼる甘くやさしい香りが、静かな午後に溶け込んでいった。
その香りが、今日一日をそっと包み込んでくれる気がした。
「……ありがとう、ございます」
るなは、小さな声で、けれどしっかりとそう言った。
彼は、静かにうなずくだけだった。
二人だけの、穏やかな午後。
どこか遠くで、小鳥のさえずりが聞こえていた。
“ただいま”の声がなくても、
この静けさの中で、たしかに「帰ってきた」と思える。
るなは、そう感じていた。
「ただいま」と言わなくても、迎えてくれる誰かがいる。
それが、帰る場所の意味になるのかもしれません。
次回、第4章の最終話となります。どうか最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
なお、次回からは0:00の1話更新となります。ゆっくりとした歩みですが、今後ともよろしくお願いいたします。




