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『背中越しの灯火(ひ)』   作者: ふぃりす
【第4章】この灯を、あなたと
37/111

【第37話:今日は、なんだか大丈夫だった】

外の世界は変わらないのに、

今日は、少しだけ自分の感じ方が違っていた。

そんな小さな変化が、明日を変えていくのかもしれません。

【第4章】この灯を、あなたと(13話目)


紙袋の中で、紅茶の缶が静かに揺れる。

それは歩くたびにわずかに響く、かすかな音だったけれど、

るなにはそれが、心の奥でぽつんと灯るように思えた。


道沿いには午後の光が差し込み、

カフェのテラスからはカップを置く音が聞こえてくる。

信号機の電子音、子どもたちの笑い声、

自転車のベル、風に揺れる看板の軋む音。


それらは以前のるなにとって、

“世界からの無数の矢印”のように感じられていた。

何気ない音すら、怖くて、刺さるようで、

できることなら耳をふさいでいたかった。


でも今日は違った。

確かにそこにあって、でも、刺さらない。

音はただ音として、風景の中に溶けていた。


「……今日は、なんだか、大丈夫です」


ぽつりと漏らしたその言葉に、彼はすぐには返事をしなかった。

けれど、歩調をほんの少しだけ緩めて、

るなの隣にぴたりと歩幅を合わせた。


それだけで、十分だった。


「紅茶、帰ったらすぐ飲めますか?」


るなの声に、彼はすっと視線を向けた。

そして、少しだけ柔らかく頷く。


「はい。お湯を沸かしておきましょう。

 カップも、あの青いのがお気に入りでしたよね」


その口調は、いつもと同じ淡々としたものだったけれど、

どこかほんの少しだけ、あたたかかった。


「……はい。あれ、落ち着くんです」


小さくうなずきながら、

るなは紙袋の持ち手をぎゅっと握った。

中身はただの紅茶の缶。

けれど、それを“自分で選んだ”という事実が、

胸の中でそっとぬくもりになっていた。


前を歩く人たちの背中も、

通りの花壇で揺れるマーガレットの白も、

今日は不思議と怖くなかった。


ガラスのショーウィンドウに映った自分の姿を、

るなはふと、目の端で捉えた。

背筋は、ほんの少しだけ伸びていた。


るなはそっと、彼の方を見た。

何も言わず、変わらない表情のまま歩いているその背中。

けれど、たしかにわかる。

この人は、全部、わかっていてくれる。


それだけで、今は十分だった。

何も言わず、歩幅を合わせてくれる人がいること。

それだけで、不安だった世界が少しだけ穏やかに見える。

そんなふたりの歩みが、今日もまた灯っていたなら嬉しいです。

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