【第37話:今日は、なんだか大丈夫だった】
外の世界は変わらないのに、
今日は、少しだけ自分の感じ方が違っていた。
そんな小さな変化が、明日を変えていくのかもしれません。
【第4章】この灯を、あなたと(13話目)
紙袋の中で、紅茶の缶が静かに揺れる。
それは歩くたびにわずかに響く、かすかな音だったけれど、
るなにはそれが、心の奥でぽつんと灯るように思えた。
道沿いには午後の光が差し込み、
カフェのテラスからはカップを置く音が聞こえてくる。
信号機の電子音、子どもたちの笑い声、
自転車のベル、風に揺れる看板の軋む音。
それらは以前のるなにとって、
“世界からの無数の矢印”のように感じられていた。
何気ない音すら、怖くて、刺さるようで、
できることなら耳をふさいでいたかった。
でも今日は違った。
確かにそこにあって、でも、刺さらない。
音はただ音として、風景の中に溶けていた。
「……今日は、なんだか、大丈夫です」
ぽつりと漏らしたその言葉に、彼はすぐには返事をしなかった。
けれど、歩調をほんの少しだけ緩めて、
るなの隣にぴたりと歩幅を合わせた。
それだけで、十分だった。
「紅茶、帰ったらすぐ飲めますか?」
るなの声に、彼はすっと視線を向けた。
そして、少しだけ柔らかく頷く。
「はい。お湯を沸かしておきましょう。
カップも、あの青いのがお気に入りでしたよね」
その口調は、いつもと同じ淡々としたものだったけれど、
どこかほんの少しだけ、あたたかかった。
「……はい。あれ、落ち着くんです」
小さくうなずきながら、
るなは紙袋の持ち手をぎゅっと握った。
中身はただの紅茶の缶。
けれど、それを“自分で選んだ”という事実が、
胸の中でそっとぬくもりになっていた。
前を歩く人たちの背中も、
通りの花壇で揺れるマーガレットの白も、
今日は不思議と怖くなかった。
ガラスのショーウィンドウに映った自分の姿を、
るなはふと、目の端で捉えた。
背筋は、ほんの少しだけ伸びていた。
るなはそっと、彼の方を見た。
何も言わず、変わらない表情のまま歩いているその背中。
けれど、たしかにわかる。
この人は、全部、わかっていてくれる。
それだけで、今は十分だった。
何も言わず、歩幅を合わせてくれる人がいること。
それだけで、不安だった世界が少しだけ穏やかに見える。
そんなふたりの歩みが、今日もまた灯っていたなら嬉しいです。




