【第28話:少し遠い背中のままで】
名前を呼んだ朝のあと、
日常のなかに、少しだけ遠い背中を感じることもある。
それでも、心は確かに動いている――
そんな静かな朝の一場面を、お届けします。
【第4章】この灯を、あなたと(4話目)
服を選ぶ手が、少しだけ止まる。
天気はいいはずなのに、心が決めきれない。
るなはクローゼットの前で、そっと息をついた。
今日は何も予定がない。
けれど、何もないということが、少しだけ落ち着かない。
昨夜、名前を呼んで。
今朝、あいさつを交わして。
昨日までよりも、ほんの少しだけ近づけたと思ったのに。
今、背中に感じる距離は、思っていたより遠い気がした。
「……こちらでよろしいでしょうか」
後ろから、彼の声。
選びかけていた服を、静かに差し出していた。
るなは、うなずくより先に「あ……ありがとう」と口にしていた。
それ以上、彼は何も言わない。
けれど、それが彼らしくて。
ただ立っているだけなのに、部屋の空気が少し落ち着いた。
るなは服を受け取り、鏡の前に立つ。
白いブラウスと、淡いグレーのカーディガン。
無難だけど、悪くはない。
ただ――もう少しだけ、「似合う」と言ってほしかった。
そう思ってしまった自分に、少しだけ戸惑った。
でも、それを望むことが、悪いことではない気もした。
静かな関係のなかで、ほんの少しだけ求めたくなる言葉。
それはきっと、心がちゃんと動いている証拠だ。
「……お部屋の空気、少し冷えてますね。暖房を入れます」
そう言って彼が窓際に歩いていく。
その背中を見ながら、るなは胸の奥が静かに揺れるのを感じた。
その距離が、今はまだどうしようもなく遠く感じる。
でも、それも仕方のないことだとわかっている。
彼は、そういう人だ。
ちゃんとそばにいてくれる。けれど、それ以上は、決して近づかない。
るなは、深く息を吸って、ブラウスのボタンをひとつずつ留めていく。
不思議と手が震えることはなかった。
少しだけ、成長したのかもしれない。
距離は、まだある。
でもそれは、壊れないように守られている距離だと、今なら思える。
ほんの少しの寂しさと、ほんの少しの安心が、
胸の奥で静かに揺れていた。
距離を感じることが、必ずしも不安ではなくなった朝。
るなの心の揺れも、久遠の沈黙も、
そのまま、やさしく日常に溶けていきますように。
次回も0:00と0:10に更新致します。




