【第16話:ほんとは、呼びかけたかった】
言いかけた言葉が、喉の奥で止まる朝。
それでも、誰かがそこに居てくれるだけで、心は少しだけあたたかくなる。
【第3章】ほんの少し、言葉になる(7話目)
「……あのさ」
朝の食卓、湯気の立つ紅茶の向こうで、るながぽつりと口を開いた。
でも、その声は小さすぎて、明人が反応する前に止まってしまった。
「……なんでもない。気にしないで」
その言葉が、まるで癖になっているかのように、自然に出る。
明人は、無理に問い返すことはしなかった。
ただ姿勢を正し、るながまた話し出すのを待つように、静かにそこにいた。
本当は、言いたいことがあった。
呼びかけたい言葉が、確かに胸の奥にあった。
でもそれを声にすれば、自分が壊れてしまいそうで――
もしくは、
それを受け取る彼のまなざしが、優しすぎて。
涙をこぼしてしまいそうだった。
(呼んだら、何かが変わってしまう気がした)
(でも、呼ばなきゃ、何も変わらないのも分かってた)
自分の中の矛盾に、るなは小さく息を吐いた。
るなは紅茶に口をつけ、ゆっくりと目を伏せた。
「……いつも、いるんだね。あんた」
明人は一瞬だけ目を細めて、微笑を含んだ声で答える。
「お嬢様が、ここにいらっしゃる限り」
そのやりとりのあと、ふたりの間にまた静けさが戻る。
でもその沈黙は、少しだけあたたかかった。
(続く)
言葉にするにはまだ早くて、
でも、言葉にならない気持ちは確かにそこにあった。
るなはきっと、自分でも気づかないまま、“呼びたくなっていた”。
ここまで読んでくれた方、ありがとう。