【第11話:名前を呼ばない理由】
言葉にしないことで守ってきた距離がある。
でも、その距離が、少しだけ重たく感じる朝もある。
【第3章】ほんの少し、言葉になる(2話目)
「明人って、どうしてそんなに静かでいられるの?」
るなは、ぽつりと呟いた。
テーブルの上、紅茶の表面にゆらめく光を見つめたまま。
明人は答えなかった。
彼女の問いが、自分に向けられたものではなく、
むしろ“自分自身”への問いだと気づいていたからだ。
「いつも後ろにいるよね。……私の背中なんて、見てて楽しい?」
るなの声には皮肉が混ざっていた。
けれど、明人は表情を変えない。
それが彼の、るなへの答えだった。
るなは、小さく笑った。
自嘲とも、照れ隠しともつかない、曖昧な笑み。
「……私、今、何が言いたいのか自分でも分かんない」
言葉にしてしまえば、なにかが壊れそうで。
でも言わなければ、何も伝わらない。
背中ばっかり預けてきたのは、自分のくせに――。
「ねえ……」
しばらくして、るなは言いかけた。
「……なんでもない」
その声に、確かに揺らぎがあった。
“名前を呼ぼうとして、呼べなかった”そんな気配さえ、明人は感じ取っていた。
けれど、彼はやはり黙っていた。
るながその名前を、自分の意思で口にするその日まで。
その日までは、ただ灯火で在り続けることが、彼の役目だった。
(続く)
“ねえ”の先にあったのは、呼びたい名前か、言い出せない想いか。
るなも、明人も、まだその答えに触れようとはしない。
それでも確かに、ひとつの気持ちが芽吹き始めた朝でした。
ここまで読んでくれた方、ありがとう。