迫り来る危機2
アーケンローズに錆の大群が接近中。
迫り来る危機を前にクロムは決意を新たにする。
北辺の大規模コロニーを襲った錆の大群が独立機工都市に向かってるとの一報を受け、機工師団は慌ただしく対応に追われていた。
特に八ツ星の超巨大錆ともなると対応できるのは団長くらいである。
残る大群を如何にして処理するかが議論され、1班から5班までの主力部隊を中心とした布陣で迎え撃つことになった。
フェルミ班はこれらのカバー、つまりはいつもの遊撃任務である。
特に多重防壁が破られた際の市街地への被害を最小限にするため、錆の侵入を防ぐのが主要任務となった。
三日後、明け方。
徐々に空が白む中、地平線の彼方から迫り来る巨大な影を目にし、防衛部隊は緊張を新たにしていた。
都市から数十キロ離れた距離から目視できるほどの巨体……その全貌はまだ見えないが、並みの錬金術師が束になっても勝てないくらい誰でもわかる。
それに随伴する錆の大群も、ゆうに千は超えるだろう。
指揮系統などはなから存在しないのか、機動力の高い錆の群れが突出してくる。
八ツ星が接近するまでにどれだけ数を減らせるか……それが今後の命運を左右するのは誰の目にも明らかだった。
戦車部隊の砲撃が錆の群れを蹴散らしていく。
複数人の錬金術師によって運用される錬装戦車は一定の戦力は保証されるものの、運用コストも高いためここぞという時しか使えない。
ある程度強くなると生身の方が戦いやすかったりするので、あくまでも戦力の底上げにしか使えなかった。
とはいえ防衛線の維持には頼もしい限りである。
弾幕を潜り抜けて接近してきた錆を、生身の錬金術師が次々と駆逐していく。
この調子ならほとんど損害もなく敵本隊を迎え撃つことができるだろう。
ここまでは機工師団の思惑通り戦況は進んでいた。
その間にも八ツ星の錆が全貌をあらわにする。
あまりにも巨大なドーム状の生き物。まるで丸まったオニヒトデか何かのように見えるそれは、全身に無数のトゲを生やしているものの防御型の個体のように見えた。
もしそうなら、倒すのに時間はかかるが動きも鈍いため落ち着いて対処すれば被害も最小限にできるだろう。
戦車部隊の放った砲弾が超巨大錆の表面で炸裂する。
しかし、それほど効いてるようには見えない。
怯むことなく真っ直ぐ都市を目指す様子を見ると、このまま質量で多重防壁を破り、街を蹂躙するつもりだろう。
その進路上には何も残らない。
旧時代の掃除機にそんなのがあったらしいが、さすがに規模が大きすぎる。
八ツ星の錆を守るように、残った錆の大群が防衛部隊に襲い掛かっていた。
数こそ減らしたものの、中には三ツ星や四ツ星の錆もちらほら混じっている。
機工師団の主力部隊なら対処できる相手ではあるが、大量の雑魚と連携されては乱戦は避けられない。
それでも八ツ星が交戦距離に到達するまで、少しでも数を減らしておかなければならなかった。
「うーん、暇だな……俺も前線で戦いてぇ」
「そんなん言わへんの。今のところ戦線は崩れてへんし、防壁を守るのもうちらの役目やさかい」
ステインが暇そうに防壁の上で座り込んでいるが、その愚痴をフェルミが窘める。
妹の事もあって戦功をあげたいのだろうが、今のところ取りこぼしも少ない。
まあ、雑魚がいくら突破したとしても独立機工都市が誇る多重防壁には為す術もないだろう。
八ツ星が直接乗り込んでも来ない限り。
錆の大群が半減した段階で、八ツ星の動きが変化していた。
それまで真っ直ぐ独立機工都市を目指していたのが、一転してその場に立ち止まる。
不審に思う防衛部隊の前で、そいつはゆっくりと変形を始めていた。
後方の足が尻尾のように伸びる。
両側の三対の足だと思われていた部分が、翼のように展開していた。
最後に前方の足が持ち上がると、そこには頭のような器官が付いており、胴体の下には新たに四本の足が垣間見える。
ドラゴンというには歪なシルエットだが、翼の生えた竜脚類と言った外観のそれは、その頭部と思われる部分を前方の防衛部隊に向けていた。
『八ツ星の体内に高エネルギー反応!? 砲撃、来ます!』
「まずい……」
アルミナの警告が戦場に響くと同時に、八ツ星の吐き出した熱線が戦車部隊を薙ぎ払い、連鎖爆発を引き起こす。さらに独立機工都市の多重防壁にも届くと、その分厚い装甲すらも焼き切っていく。
溶断された多重防壁が何枚か崩れ落ちる。
八ツ星が吠えると、そこに向かって防衛線を突破した錆の群れが一斉に突っ込んできた。
「ようやくわたくしたちの出番のようですわね!」
「それにしても、ありゃなんだ?」
「……アーク」
アークは一部の錆が使用する攻撃である。
錆は酸化現象の際に発生する熱を体内に蓄積し、それを運動エネルギーに変換することで獣や蟲のように動き回るのだ。
その熱エネルギーを直接、あるいは過熱された金属粒子と共に放出するのが今の攻撃である。
純粋な熱量による攻撃を防ぐ術は殆どない。
まあ、八ツ星といえど簡単に連発できるような技ではないのだろう。
それを示すように、わざわざ防御姿勢を解いて余分な熱を放出しているのがわかる。
今が攻め時とばかりに、残った戦車部隊が砲撃を繰り返していた。
「こっちはこっちで仕事すんで」
破られた防壁部分にいち早くたどり着いたフェルミが応急処置とばかりに隙間に髪の毛を張り巡らす。
純粋な肉体強化と変化、操作を組み合わせる彼女の能力は応用範囲が広い。
鋼糸よりもはるかに硬く柔軟な髪の毛に遮られ、立ち往生する錆の群れをレベッカの投げ込んだ爆弾が粉砕していく。
それでも中には星持ちも混じっているのか、力任せに突破しようとするものも少なからずいた。
「させるかッ!」
飛び降りざまにバールを振り下ろし、勢いのまま装甲を粉砕する。
露出した黒い賢者の石にもう一度バールを叩き込むと、触手を生やした一ツ星の錆はあっさりと動きを止めていた。
ステインが奮戦しているおかげで何とか敵の侵入を食い止めているが、先程の八ツ星の攻撃で前線が崩れかけている。
もう一度アークを放たれたら持たないかもしれない。
「団長はまだか!?」
八ツ星を止められるのは帰還戦争の英雄の一人である巨拳のジルコンくらいである。
今こそ彼の力が必要なのに、戦場にその姿はなかった。
●
その頃、団長室では――。
「むぅ、苦戦してるようだな……」
「まあ、これくらいは序の口よ。問題はこれから……」
前線からの報告を聞きながら、忌々し気に呟くジルコン。
想定より被害は少ないが、それも時間の問題だろう。
八ツ星が本気で動き出せばこんなものではない。
一方のイオンも僅かながら焦りの色を隠せないでいた。
クロムが錬星盤を使えるという確信はある。そうでなければわざわざ地上まで来た意味はない。
だが、どこまで追い詰めれば力を発揮できるかの匙加減は掴めていないのである。
もしかするとすべて失う寸前まで目覚めないかもしれない。
いわばハイリスクハイリターンの全賭け。
それでもこのタイミングを逃せば次はない。だからこそ彼女は焦れていた。
「頼むわよ、クロム。あたしを失望させないで……」
イオンの視線の先、そこにあるモニターには黒髪の少年が映し出されている。
花弁のような多重防壁の上、瞑想するように佇むその姿には、対照的に焦りは何一つ感じられなかった。
●
時は少し遡る。
破られた防壁のカバーに入っていたフェルミ班は獅子奮迅の活躍を見せていた。
レベッカの容赦のない爆撃で雑魚を一掃し、フェルミの多彩な髪技で星持ちを抑え込む。
それでも突破してくる敵はステインが体を張って押しとどめていた。
クロムもスナイパーライフルを片手に後方支援に専念しているが、その動きに迷いはない。
装甲の薄い星持ちは彼の狙撃で黒い賢者の石を撃ち抜かれ、分厚い装甲の相手であっても牽制射撃で味方の攻撃の隙を生み出していた。
「クロム様、調子が戻ったみたいですわね」
「そうやな、そやけどまだまだこれからやで」
徐々に戦線が押し込まれているのか、突破してくる錆の数も多くなってくる。
ただ、一定の集団を排除したことにより残りは散発的な敵の襲撃に落ち着いてきた。
こうなってくると、前線の方が気になってくる。
「八ツ星は?」
『戦車部隊が攻撃していますが、損害は軽微。核は全て確認できていますが、分厚い装甲に遮られ破壊には至っていません』
「まあそうなるよな」
八ツ星ほどの巨体になると、その核も分厚い装甲に守られている。
それを突破するほどの火力はフェルミ班にもない。
ステインなら手足の一本くらい捻じり切れるかもしれないが、そこまで近付くだけでも危険すぎた。
一方、クロムは射程こそあれど威力自体はそれほどでもない。そもそも前線までは10キロほどあるためスナイパーライフルでも届かないだろう。
「やはりこれを使うしかないか……」
懐に隠しておいた錬星盤を取り出し、その表面を軽くなでる。
相変わらず物言わぬヘルメスの遺産は、静かに碧い光を明滅させていた。
いまだに戦場に団長は現れない。この様子を見ると、クロムに全て任せるつもりなのだろう。
期待が重くのしかかる。
事前に教えられなかったのは、そうすれば余計にプレッシャーを与えるからだろう。
だが、今まで生きてきた中で彼はその期待やプレッシャーと何度も戦ってきた。そうして乗り越えてきたからこそ、今この場に立っている。
それはこれからも変わらない。
だから――。
「クロ君、使うん?」
『兄さん……』
アルミナももはや止めようとはしなかった。
ダメで元々、失敗してもフェルミ班全員でフォローすればいい。
そうして彼等は大切な仲間に希望を託す。
「さあ、本番だ……ここで決めて、イオンと世界を救う旅に出るんだ……」
意識を集中させる。
普段錬金術に使っている領域のさらに深く、そこに眠る誰かに語り掛けるように。
「力を貸してくれ……世界を書き換えるほどの力、その一端でいい……」
『――――』
深層まで伸ばした意識のその先に、誰かの指先が触れたような感覚がある。
今度こそ彼女と繋がった。
懐かしささえ覚える既視感……その僅かな手掛かりを離すまいと、咄嗟に起動音節を唱える。
「この命が燃え尽きようとも、この砲弾は月をも穿つ」
騒々しかった錆漠に静寂が広がる。
失敗か、とも思えるほどの長い沈黙を破るように、世界がゆっくりと鳴動を始めていた。