迫り来る危機1
討伐任務を終えて街に戻る一行。
順調に頭角を現すステインに比べて、クロムは自分の力に自信を失っていた。
討伐任務を終え本部に戻ったフェルミ班を出迎えたのは、慌ただしく走り回る団員たちの姿だった。
事務方までオロオロしているところを見ると、どうやらただ事ではないらしい。
「どないしたん?」
「それが……北辺調査に向かっていた部隊が全滅したとか」
「全滅? 穏やかやあらへんね」
適当な人間を捕まえて聞いてみると、返ってきたのはきな臭い情報である。
調査部隊と言えばそれなりのエリートだ、それが全滅したとなると嫌な予感しかしない。
とは言え詳しい情報はジルコン団長に聞くしかなさそうなので、一同は報告もかねて団長室に向かうことにした。
「帝国の仕業か?」
「どうやろ……西半分はほとんど帝国の影響下やけど、北辺地域は気候の影響で帝国もほとんど手ぇ出せへんはず」
「……まあ、考えても仕方ないか」
とにかく団長室に急いだ一行を出迎えたのは、団長とアルミナと……そして何故かイオンの三人だった。
三人とも明らかに顔色が悪い。
「むぅ……こんな時に」
「こんな時だからでしょ。まあ、まずは目の前の脅威を排除しないといけないけど……」
「あ、兄さん……」
一番顔色を悪くしている青髪の少女が義兄の元へと駆け寄ってくる。
彼女がこれほどまでに取り乱すのは……まあ、クロム以外の事では珍しい。
「どうした?」
「ええと……ん、とにかく大変なの。
錆の大群が独立機工都市に向かってるみたい」
「なんだって!?」
一瞬、団長が目くばせをして言葉を濁らせるアルミナだが、その口から語られたのは凄惨な出来事だった。
北辺の大規模コロニー・ポラリスと連絡が取れなくなったのはここ最近のこと。
機工師団からも調査部隊を向かわせたのだが、彼等がそこで発見したのは都市丸ごと錆に埋もれた災害現場だった。
まあ、こういう話は大崩壊以降、よくあることである。
調査部隊からの連絡によると、超巨大な錆を始めとする錆の大群が都市を占拠していたらしい。
問題はポラリスの周囲には中規模のコロニーが複数存在していたことである。
情報を受けそのうちの一部が独立機工都市に向けて避難しようとした。
結果、南下する避難民の気配を嗅ぎ付けた錆の大群による、一方的な殺戮が繰り広げられたという。
「調査部隊も彼等を守るために善戦したんだけど、超巨大錆の参戦で成す術もなく……」
「その超巨大錆の詳細は?」
「おそらく八つ星相当……そのまま錆の大群を引き連れて南下を続け、三日後には独立機工都市に来るみたい」
その言葉に誰ともなく頭を抱える。
八つ星なら独立機工都市の多重防壁が2、3枚は破られてもおかしくない。
そこから大群が入り込めば、街にも甚大な被害が出るだろう。
ジルコン団長の実力なら何とかなるだろうが、機工師団総出で対処しなければならない案件である。
「私の監視網に入ればもっと詳しい情報が出せると思うけど、今のところはこれくらいね」
「そうか……」
状況を聞く限り、対処できない危機とは思えない。
なのに、あの団長までもが顔色を悪くしているのは何故だろう。
疑問より先に視界に緑髪の少女が飛び込んでくる。
「おいっす、団長呼んだ~?」
「ナトリ先生?」
団長室に顔を出したのは、機工師団の誇る医療班の班長である。
医療技術と薬学において彼女の右に出るものはなく、大怪我して救われた団員も数知れない。そのためナトリ先生と呼び慕う団員は多く、逆に敵に回せば命は無いと言われるほどである。
見た目こそ幼いが年齢に言及してはいけない。噂ではフェルミと同世代とかで仲も良かった。
そんな彼女はぶかぶかの白衣を引きずりながら、
「お、クロっちだ、元気してる?」
「えぇ、まぁ……」
「最近怪我がないようで寂しいっスよ。昔は毎日のように医療班に来てたのに~」
「…………」
医者の世話にならないに越したことはないのだが、どれだけ大怪我しても命さえあれば何とかしてしまえる彼女の手腕に助けられたことは多い。
とはいえそれは自分の未熟さを熟知されてるも同然で、面と向かって顔を合わせるのは気恥ずかしくもある。
特に今は色々と思い悩んでいるタイミングなので尚更だった。
「それじゃ、俺はこれで……」
他に用事もなさそうなので団長室を後にする。
軽く挨拶しただけで満足したのか、ナトリも団長との会話に戻っていった。
「それで、用件って?」
「例の薬、三日間で出来るだけ用意しておいてくれ。
材料のコストは気にしなくていい」
「ふーん、いいけど……団長の分だけってわけじゃなさそうっスね……」
ちらりとクロムの後姿を見送りながら。
ナトリは意味ありげな表情を浮かべるのだった。
●
「待ってよ、兄さん!」
団長室を出たところで義妹に呼び止められるが、クロムはそんなのお構いなしに昇降機へと向かう。
そのままどう話を切り出していいかわからず、アルミナも無言で後に続いた。
「兄さん、昨日から変よ……」
「…………」
昇降機から見える街の景色を眺めながら、ようやく言葉を切り出す。
しかしいくら話し掛けても暖簾に腕押し。
確実にイオンとのことが切っ掛けであるのは間違いないが、そちらに関しては団長の承認を受けているため何とも話題に出しにくい。
「兄さんは私にとって自慢の兄さんなんだから……」
「…………」
「昔から何でもできて、ちょっと無茶することもあったけど、他人の偏見だって実力で乗り越えてきたじゃない」
自分でも言葉が足りてないと思うが、アルミナにとっての精一杯の励ましである。
その思いに嘘はない。
義兄という存在がいたからこそ、彼女も自分の出来ることを突き詰め、結果として機工師団に欠かせない情報収集能力を身に着けるまで至った。
お互い英雄を父母に持つ身である。
そのプレッシャーを自力で跳ね除けてきた同志だからこそ解ることもあるのだろう。
それこそがクロムとアルミナを義兄妹以上の絆で結んでいる、そう思っていたのに。
「どうしても兄さんが世界を救わなくちゃいけないの?」
「……ッ!」
言ってはいけないと思いながらも、どうしてもその疑問が出てきてしまう。
彼にとってはそうすることでしか母親との繋がりを裏付けることができないと薄々とは理解していながらも。
帰還戦争の英雄、白銃のシャムロックがやり残したことを成し遂げる。
そうすれば自分は彼女の子だという呪縛から解放されるだろう。たとえ本当に血が繋がっていなくとも、それ以上の評価で上書きできるかもしれない。
だから――。
「僕がやらなくちゃいけないんだよ!」
「兄さん……?」
結局、クロムにとってはその選択肢しかなかったのである。
逃げるにも前に進むにも、母親の幻影を振り払うにはそうするしかなかった。たとえ結果として命を落とすことになったとしても。
中二病がどうのは横に置いとくとして、アルミナが危惧したとおりである。
それすらも分かったうえで、あの女は彼を利用しようとしたのかもしれない。
「いや、若いね~♡」
「イオン……!?」
「イオン……さん?」
突然後ろから話しかけられ、二人とも慌てて振り返る。
狭くもない大型の昇降機ではあるが、どういう手品を使ったのか、彼女は平然とそこにいた。
「そんな警戒しなくてもいいじゃん。
あたしたちの仲なんだから……それとも、あの約束なかったことにしちゃう?」
「そんなこと……」
出来るはずがない。
からかうようなイオンの言葉に、クロムは戸惑い、アルミナは憤慨する。
「ちょっと、あなた!」
「帰還戦争の英雄の一人、巨拳のジルコンの娘。
あんたなら、彼の気持ちもわかるんじゃない?」
「それは……」
図星を突かれ一瞬反論に詰まる。
やはりこの女は危険かもしれない。
本能というべきか女の勘が警鐘を鳴らす。
「ま、あたしも義姉妹みたいなのは多かったけど、そんなに仲良くもできなかったし……。
義理の兄妹ってのもよくわかんないけどさ、もっと仲良くしたらいいじゃん」
「誰のせいで……」
「あたしの所為って言いたいのかな?
違うよね? それは、あんたたちが元から抱えていた問題でしょ?
あたしはむしろ解決策を提示しただけだと思うけど」
その物言いこそ月貴族の傲慢さからくるものではあれど、言ってることは間違ってない。間違ってないからこそ余計に癪に障る。
やはりアルミナの勘は間違っていなかった。
この女はあまりにも危険すぎる。
「ってか、あたしも別に喧嘩吹っ掛けに来たわけじゃないのよ。
そもそも錬星盤が使えないのがクロムが悩んでる原因でしょ?」
「それはそうだが……」
言われて少年は胸元に意識を向ける。
そこには預かったままの錬星盤が納められていた。
世界を救うにしても、これが動かせなければ話にならない。
「そ・こ・で!
あたしにいい考えがあるの♡」
「なんか嫌な予感しかしないんだけど……」
「クロム、あんた童貞捨てなさい!」
「――――!?」
驚くとか呆れるとか、そういうのを通り越した感情があるのを二人は初めて理解した。
いったい何を言い出すのかと思えば、よりによってそんなしょうもない事とは。
「いい? 思春期の少年の悩みなんて大人の男になれば何でもないって思えるのよ……たぶん。
幸いあなたの周りは年頃の女の子も多いし……あの銀髪の子、小柄だけど胸は割とあるっていうか結構着痩せするタイプみたいだし、クロムみたいなマザコン君にはちょうどいいんじゃない?」
「誰がマザコンだ!」
確かにフェルミは見た目からはわかりにくいが巨乳の類かもしれない。
だからと言って母親の面影を重ね合わせるとかそういうものでもないだろう。
「じゃああの金髪の……バカっぽい子は? 胸はそこそこあるし、ずいぶん慕われてるじゃない」
「一旦胸から離れません?」
「だったら義妹ちゃんとか?」
「わ、私と兄さんはそういうのじゃないです! それに、私だって少しは……。
だいたい、なんでど……どどど……そういう話になるんですか!
確かに私は兄さんの事大好きですけど、それは家族としてであって、だからこそ私は……」
さすがのアルミナも怒っているのか恥ずかしがっているのか、顔を真っ赤にして反論にならない反論を述べていた。
そうやってひとしきりからかい楽しんでから、イオンはようやく本題へと入る。
「じぁあさ……あたしがクロムの初めて貰ってあげよっか♡」
「……なっ!?」
最初からそのつもりでこういう話題を出してきたのだろう。
とはいえ、見た目はどう考えても子供である。倫理的にも感情的にも普通は受け付けない。
「何でそうなるんだ!?」
「えー? あたしこう見えてもれっきとした大人なんですけど……やっぱり胸の大きい女が好みなの? それとも月人差別? 差別はんたーい」
ほぼ絶壁と言ってもいい自分の胸を強調しながら、イオンはどこまで本気なのかわからない台詞でお道化てみせる。
そこに僅かながら焦りの気配を感じ、クロムの心に一瞬で平静さが戻ってきた。
やはり今回のこと以外に水面下で何か起こっているのかもしれない。
「なあイオン、僕が不甲斐ないのは謝る。だけど、信じてくれ。僕はきっとこの錬星盤を使いこなしてみせる。
そしたら、二人で一緒に世界を救おう――」
「あ…………」
真剣な表情のクロムに告げられ、今度はイオンが呆けた顔になる。
その返事も待たないまま、目的地に着いた昇降機から少年は颯爽と歩き去っていった。
あとに残された少女二人は、それを黙って見送っていたが、やがて気を取り直し。
「あーあ、発破かけるつもりが、変な方向に吹っ切れちゃったかな。
ま、あたしとしてはどっちでもいいんだけど」
「……兄さん……」
やれやれと肩をすくめて見せるイオンと、兄の背中を心配そうに見送るアルミナと。
二人の心配を証明するかのように、本当の危機はゆっくりと……しかし確実に忍び寄ってくるのであった。