始まりの胎動2
街へ繰り出したイオンとクロムだったが、彼女は何やら言いたげで……。
「兄さんはどこへ行ったの!?」
「そ、それは……」
いつもの団長室、可愛い愛娘に詰め寄られ、その迫力にジルコン団長は思わずたじろいでいた。
部下にこの光景を見られたら間違いなく失望されるか失笑されるだろう。
「クロムウェルは要人の護衛で街にだね……」
「要人? そんな予定はなかったと思うんだけど……あの女以外には」
「は、はははははは……と、とにかく、落ち着いて……」
「落ち着けるわけないでしょ! そもそも、なんで私の感知に引っかからないの。
たとえ砂嵐の中だって、私が兄さんを見失うはずないのに……」
月の巫女姫の神通力が本物なら、そういうこともあり得るだろうが……それにしてもわざわざ感知妨害をするあたり何かを企んでいるのは間違いない。
班長のフェルミもこの場にはいるが、アルミナを本気で抑えるには心許無かった。
「アルミナはん、クロ君だってしっかりしてるんやさかい、信じてあげたらええのに……」
「フェルミ先輩、あまり兄さんの事わかってませんね。
兄さんは最近、中二病? ってのに罹ってて、自分がちょっと特別な存在なんじゃ? って思いこんでるんです。
ただでさえ英雄の息子なんてレッテルを貼られて面倒なのに、そんなところに空から落ちてきた女の子と出会ったらどうなるか……うぅ、考えるだけでも恐ろしい」
「確かに最近妙に斜に構えとる気ぃするし、痛い言動も目立つけど……そないに心配しいひんでも」
フェルミも何とか執成そうとしているが、アルミナを落ち着かせるには至らない。
ここにレベッカも混じれば余計ややこしいことになるだろう。
「そもそも月の巫女姫だって本当かどうか……一人で地上に降りてくるのも不自然だし、エリクシェル様みたいに地上人の味方って保証もないわ」
「一応、本物の月の巫女姫ではある。
世代交代でその座を譲り、地上に逃れてきたようだが」
「だったら余計問題よ!
月の事情を地上に持ち込んだ挙句、それに兄さんを巻き込もうとしてたら……私は錆堕ちしたって止めて見せるわ!」
「アルミナはん……」
錬金術師としての最大の禁忌を安易に口にする少女に、さすがのフェルミも困り果てる。
普段は冷静で大人しいが、いざ義兄の事となると絶対に譲らない。
ここで無理に抑え込んでも逆効果だろう。
「兄さんの事だから、あの子に本気でお願いされたら例え世界だって敵に回すわ。
下手すれば機工師団の事さえ……」
「そないなこと……」
ない、とは言い切れないのが難しい所である。
クロムが母親の潜在能力を受け継いでるなら、それこそ三大勢力を敵に回しても何とかなってしまうかもしれない。
たとえそれがあの女の思惑通りだったとしても。
「そもそも、あの女は兄さんに何をさせようとしてるの?
父さんなら知ってるんでしょ?!」
「それは……」
ジルコン団長としてもそれが悩みどころなのである。
イオンの目的が本当に世界の再生ならば、機工師団総出で協力すべきだろう。
それが、友人である月の巫女姫エリクシェルに報いることになるかもしれない。
とはいえ世界の命運を背負わせるには、クロムという少年はまだ若すぎる。
戦時中の混乱下にあったとはいえ、白銃のシャムロックさえ成しえなかった偉業に挑むにはあまりにも力不足だ。ましてやあの日の悲劇を繰り返させるわけにはいかなかった。
「こんな時、あいつさえいてくれれば……」
彼女ならこういう時、迷わず行動するだろう。
それが例えどれだけ困難なことでも、それができたからこそ英雄と呼ばれているのだ。
自分がどれだけ持て囃されようとも、機工師団エクスマキナを立ち上げたとしても、行動力や決断力で決して勝てないと思い知る。
だが、このままではいけない。
「わかった、説明しよう。可能な範囲で、だがな……」
普段は寡黙なジルコン団長の決意を受け、アルミナとフェルミが思わず顔を見合わせる。
その口から語られたのは、帰還戦争時代の重大な秘密だった。
●
イオンという少女はあまりにも奔放で、行く先々でクロムを困らせた。
その振る舞いはおよそ月の巫女姫らしくない……というのは彼の勝手な先入観によるものだろう。
与えられた立場さえ目を瞑れば、そこにいるのは一人の女の子に過ぎないのだから。
「ふぅ、なかなか楽しめたわね。地上も案外悪くないじゃん。
ちょっと風が錆臭いのが難点だけど……」
ひとしきり独立機工都市の観光を堪能した彼女が、最後に高い所から街並みを見たいというので展望台に連れてきた次第である。
夕焼けに染まる時間帯、いつもならカップルが占拠している印象なのに、何故か人っ子一人見当たらない。
そのことを少し訝しがるものの、その原因はすぐに判明した。
「大事な話だから、人払いしといたわ。
ねえクロム。あなたはこの街が好き? あたしは結構気に入ったけど」
「……まあ、好きかな。と言ってもこの街以外知らないが」
「それもそうか。あたしもね、月の施設のこと以外何にも知らなかった。
月の巫女姫になるために捧げられ、毎日のように不老不死の実験を受け続けていたの」
その内容がどんなものかはわからないが、ロクでもないのは何となくわかる。
それを、彼女はあくまでも淡々と、大したことでもないように話し続けた。
「不老不死だけじゃない、月の巫女姫の力を得るために色々な実験が行われたの。
と言っても神通力や千里眼は副産物のようなものだけどね。
最初は百人くらいいた同期の子も、過酷な実験に耐え切れず一人一人といなくなった。だけど、あたしは何の感情も沸かなかったの。それが当り前だと教え込まれていたから」
「イオン……」
あまりの悲痛な告白に、かけるべき言葉が見つからない。
それでも構うことなく。
「それでも、頭の片隅ではわかってたの。こんなの絶対おかしいって。
でも、大人たちに逆らうことはできなくて……あたしが月の巫女姫になれば、彼女たちの死も意味のあるものになるんじゃないかと期待してた。
……結果はただのお飾りだったけど」
月の巫女姫アイオネルとしての空虚な日々は、結果として彼女に何を決意させたのか。
「ねえ、クロム。
あなたとあたしに、この世界を救う力があるって言ったら信じる?」
「……それは……」
大崩壊以降、錆び続ける世界を救う方法が本当にあるのなら、信じたい。
信じたいが、そんな都合のいい力があるとはにわかに受け入れがたかった。
だが、少女はどこからともなく取り出した手のひらサイズの不思議な円盤を差し出してみせる。
まるで星座のような模様が描かれたそれは、ほのかに碧く輝いていた。
「これは錬星盤。星の記憶に干渉し、世界の有り様すら変える錬星術の鍵となるヘルメスの遺産よ」
「星の記憶……?」
その言葉に聞き覚えはあるが、どこで聞いたのかは思い出せない。
だが、何か大事なことだったように思える。
「大錬金術師ヘルメスの遺産……それがあれば、本当に世界を救えるのか?」
「これはあくまでも鍵に過ぎないわ。必要なのは、あなたとあたし」
「僕と君?」
「そう。帰還戦争の折、白銃のシャムロックと当時の月の巫女姫エリクシェルが一緒に戦ったのは知ってるわね?」
「あぁ……」
帰還戦争の英雄の一人、月貴族の代表だった当時の月の巫女姫エリクシェルは白銃のシャムロックの仲間として戦ったとされる。
地上人の味方をすることになった経緯はさておき、彼女の立場でも戦争を止められなかったことを考えると、実質的な支配者が賢老院であることは明白だろう。
いずれにせよ、その行動の理由については語られることはない。
「戦時中に出会った二人は、ある約束を交わしたの。
……二人で世界を救おうって。
この錆びる世界から錆を消し去り、元の美しい世界を取り戻す方法を、あたしの先々代のエリクシェル様は知ってたの」
「でも、あの人は……」
戦時中、彼女は何者かの凶弾に倒れたとされる。
その時の情報は錯綜していて定かではないが、月貴族の攻撃が原因だとも、地上人の流れ弾が原因だともいわれており、今も歴史学者の中で議論が尽きない。
とはいえ不死身ともされる体質を持つ月の巫女姫が殺されたのだから、何らかの異常事態が起こったのは確かだろう。
その事件を契機に月貴族が攻勢から撤退に転じたというのも、思えばきな臭い話である。
「母さんとエリクシェル様が……」
「二人がやろうとしてできなかったことを、あたし達ならきっと出来る。
そしたら、あたしの人生にも意味が見出せるの。
だから、お願い……クロム、私と一緒に世界を救って。そのために、あたしは地上まで来たんだから……」
彼女の申し出を受けるべきか。
だが、重要なのはそれじゃない。
「どうして僕なんだ?」
「あなたが白銃のシャムロックの……いえ、大錬金術師ヘルメスの血を受け継いでるから」
「僕が……ヘルメスの子孫?」
「ええ、ヘルメスの遺産を真に使えるのは、その血を受け継いだ者だけ。
でも、あたしがあなたを選んだのは……勘、かしら?
クロムならきっと、あたしをあの場所へ連れてってくれる……だから」
そう言って彼女は手を差し伸べる。
「あたしと一緒に世界を救って!」
「…………」
イオンの真剣なお願いに、クロムは暫し熟考し。
そして……。
……。
…………。
………………。
●
どこか遠くの地下深く。
発掘現場と思しき空洞に一人の男が降り立っていた。
おそらく三十代だろうか、金髪を後ろへ撫でつけ、冷たい印象を受ける顔立ち。
その場には似つかわしくない上品なスーツを着こなした彼は、配下の将校に案内されそこに鎮座する鋼の巨人を見上げている。
「間違いない、これこそ大錬金術師ヘルメスの遺産の一つ、錬装機兵トリスメギストス……文献通りの御姿です。
素晴らしい、百年以上経過しても錆一つ浮いていない。
これさえあれば、月の連中の神装機兵など簡単に蹴散らせるてしょう」
「やりましたね、閣下!」
ほくそ笑む男に応えるように、一回り以上も年上の将校は感嘆の言葉を漏らす。
そこに年下だからと侮る様子は微塵もない。
彼こそが銀の帝国を十数年で大陸随一の大国まで押し上げた張本人であり、今や帝国の実権を握る宰相の座へと若くして上り詰めた人物である。
帝国最強の錬金術師にして、皇帝陛下の忠実なる騎士。
名をアイゼンという。
「引き続き発掘作業と修復作業を進めてください。
早速プラティナ陛下にご報告せねば……ふふふ、我が君もきっとお喜びになるはず」
その場を部下に任せ、颯爽と踵を返す。
あくまでも冷静を装いながら、それでも興奮を隠し切れない男の後姿を、物言わぬ巨人は虚ろな瞳で見送るのだった。
※ロボット物ではないです。たぶん。