月からの使者3
不安を抱えたまま、ステインの入団テスト当日がやってきた。
その日は朝から曇り空で、予報では午後から砂嵐の可能性もあるとのことだった。
錆漠の錆を纏った砂嵐は、健康への被害ももちろんだが、直接的な殺傷力も高い。
錆びてるとはいえ無数の金属片が対流しながら襲ってくるのである。チェーンソーやグラインダーで直接削られるようなもので、錆漠の過酷な環境でも生き延びられる錬金術師さえ、生身のままではズタズタに切り裂かれるだろう。
とはいえ、多重の防護壁で守られた独立機工都市ならば、それほど被害が出るとは思えない。
「本日の入団テストを担当する試験官のクラインである。
では、受験番号01670001、ステイン!」
「はい!」
「まずは1フィートの棒を錬成してみろ。材質や太さなどは任意で構わん!」
機甲師団エクスマキナの本部に付属する訓練場。
呼ばれて前に出た赤髪の若者に、試験官である疲れた顔をした30代の団員が課題を述べる。
その試験内容に、見学していたクロムを始めとしたフェルミ班の面々から一様に諦めの溜息が漏れた。
1フィートの棒の錬成は錬金術師に与えられる基本的な課題である。
純粋に武器としても使える棒を生み出せるだけでも、色々と応用は効くはずだ。
だが、ことステインに限ってはその範疇を逸脱している。
「……わかりました」
それでも彼は諦めていない。
課題を見守る試験官を前に、己の内面に集中する。
「1フィートの棒……1フィートの棒……」
額にある賢者の石の欠片に力を注ぎ、その手に物質を組み立てていく。
生み出された物体は、確かに1フィートの棒状ではあるが、それはどういうわけか途中でL字に折れ曲がっていた。
「…………?」
試験官も意外な結果を目の当たりにしたのだろう、少しだけ躊躇いつつも。
「まさか、ふざけているのかね?」
「いえ……割と大まじめにやってこれなんです……」
怒っているとも詰問しているともとれる言葉に返ってきたのは、申し訳なさそうなステインの小声だけだった。
本人としては大真面目らしいが、どうやっても真っ直ぐの物体ではなく途中で折れ曲がった代物しか錬成できないらしい。
フェルミ班からは性根が曲がっているからだとか散々な評価だったが、錬金術師としては致命的な欠点である。
「こ、これは、なんというか……」
「試験官、実技試験は総合点方式のはずです。次の課題を!」
「え? でも、しかしだね……」
困惑する試験官に、クロムがすかさず口入していた。
それでも、基本的な課題すらこなせないというのは、常識的な錬金術師にはにわかに信じがたい光景らしい。
「これでも甘めに採点しようとしてるつもりだけど……どうしたら」
試験官としても初めての事態に困惑気味である。
それでも、なんとか気を取り直し。
「では、今度はローレンスの振り子を錬成したまえ」
「ろ、ローレンス……?」
与えられた課題に、今度は内容すらわからず戸惑うのみ。
座学をしっかり聞いていればそれほど難しくない課題であるが、内容さえ理解できないのならどうしようもない。
「ふーむ、ならばこちらの調合台でフラメルの塗り薬を調合したまえ。材料はそこの棚から自由に使ってくれて構わない」
「おお、これなら何となくわかるぞ!」
これも錬金術師にとって基本的な課題である。
なんとなく、というのがいささか不安ではあるが、ステインはかまわず調合を始めた。
材料を細かく刻まずそのまま投入するなど、少しだけ荒いところは見えるが、手順自体はそれほど間違っていない。
最後にマンドラニンジンの根っこを投入し、そこで少し逡巡する。
「この後は……確か材料を攪拌して乳化させるんだったか。えっと、マヨネーズと同じく最適な温度があって……こいつは36.5ド付近だっけ」
「ふむ、アルミナの差し入れのお陰だな……」
「…………?」
クロムの評価に義妹である彼女が困惑してみせる。
とはいえ形だけでもフラメルの塗り薬は完成した。作成物を見てもそれほど問題ないだろう。
「まあ、いいでしょう。次はフランクリン溶液を作成したまえ」
「フランクリン溶液……ええと、確か材料は……」
困惑しながらも引き続き材料を混ぜ合わせていく。
恐る恐る材料を選んでいるが、当然のことながら、試験用の素材には無関係な材料も含まれている。
それらを全部投入すればどうなるか……とは言え、試験である以上それすらも想定済み。
「ん? あれ? なんか違うな……」
「あー、それだとお互いの素材が効果を打ち消し合ってただの無味無臭な液体になってしまうんだよ。まあ、無害だから安心して……」
「いや、二人とも危ない!」
クロムの警告も届かぬまま。
錬金釜が盛大に爆発していた。
派手な爆音に比べて殺傷力こそ少ないが、調合台が丸ごと消し飛ぶ程度の威力はある。
やがて土煙が収まった後、そこには半分黒焦げたステインと試験官の姿があった。
見た目ほどダメージはないが、ありえない光景に二人とも無言のまま。
「ほほほほほ! 錬金術は爆発ですわ!」
観覧席から一人だけエキサイトしているお嬢様はさておき、ようやく立ち直った試験官が最後の課題を言い渡す。
「わかった……そちらがその気なら、こちらにも考えがある。
この課題さえクリアできれば、問答無用で試験合格としよう!」
「本当か!?」
期待に胸を膨らませるステインの目の前に、巨大な柱が運ばれてくる。
金属製のように見えるが、ただの金属ではない。
「ふははははははは! 月貴族の技術を解析して作られたオムニ合金製の柱! これを破壊できたら、合格でもなんでもくれてやろう。
……破壊できるものならな!」
ニヤリと勝利の笑みを浮かべる試験官。
なんだか目的がずれている気もするが、オムニ合金製というのが本当ならば、試験の難易度としては間違いなくこれまでの比ではない。
なにしろ、そんなことは現役であるフェルミ班の面々でもまず不可能だから。
機工師団全体を見ても、できるとすれば団長のジルコンくらいか。
それでも、ステインは涼しげな顔をしながら。
「え? そんなんでいいのか?」
ステインが柱に触れた途端、強固なはずのそれがこんにゃくか何かのように容易くへし曲がる。
あまりにもあまりな光景に、試験官も見学していたフェルミ班一同も現実を受け止められない。
「…………は? き、君、今何をした?」
「俺、物を曲げるのだけは得意なんだよな。まあ、作ったものも勝手に曲がっちゃうし、元に戻すこともできないけど……」
錬金術師には多少の得手不得手はあるものだが、ここまで極端なのは珍しい。
というか、こんなことできるのは彼の他にいないだろう。
「あれ? 曲げただけじゃダメなのか? 一応、何度もやれば原型がなくなるほど変形させることはできるが……めっちゃ疲れるんだよなぁ」
戸惑うステインに試験官もようやく我に返ったのか、ゆっくりと口を開き。
「ご……」
宣言する寸前、ゴウンッと何かがぶつかる音と共に、それが頭上から降り注いでいた。
●
――衝撃音より少し前。
先に異変に気付いたのはクロムだった。
「何だ――!?」
棒立ちのまま上空を見据える。
遅れてアルミナの警戒網に入ったのか、彼女も焦った表情で視線を上に向け。
「高速飛翔物体? でも、これって……」
ゴウンッと大きな衝撃音と共に、機甲師団エクスマキナの本部である尖塔の枝葉の一角に何かが直撃していた。
そのまま建物の一部を削り取り訓練場目掛けて落ちてくる飛来物が、へしゃげながらも地面に突き刺さる。
凄まじい衝撃が発生し、土煙が彼らの視界を遮るが、ひとまず各々が自分の身を守るだけで精一杯だった。
特に訓練場内にいたステインと試験官のクラインは、吹き飛ばされ仲良く目を回している。
「けほっ、ごほっ、いったい何が……」
状況的に攻撃に見えなくもない。
となると、仕掛けてきたのは銀の帝国か、それとも月貴族か。
寸前に気付いたクロムからは、それは大気圏外から落ちてきたように見えた。
「……兄さん!」
「状況は?!」
問われてアルミナが能力を起動する。
どこからともなく現れた光る蝶が、土煙の中の飛来物の周りに集っていた。
班長のフェルミも既に臨戦態勢を整えている。
「高速飛来物、弾道から衛星軌道上……いえ、月の公転軌道上からのものと推定。
月貴族からの砲撃? ……にしては、爆発物などの反応なし」
「攻撃じゃないと?」
「飛来物自体は大戦中に使われた物資輸送用の降下型貨物コンテナと一致します」
かつての帰還戦争中、月から地上に補給物資などを一方的に送るために使用されたモノだという。
当然、人を乗せるためには作られていない。――筈だった。
「目標から生命反応! ……え、嘘!? 生きてる……の?」
「……な」
落下時の様子からしても、凄まじい衝撃がかかっている。
仮に人間が乗っていたとして、おそらくミンチすら生温い。錬金術師であってもそれは変わらないだろう。
「生物兵器の類か?」
「いえ、人間……みたい。動いて……出てきます!」
砂煙が晴れたころ、飛来物の貨物ハッチが強引にこじ開けられると、その奥から何者かが姿を現していた。
年の頃は10歳程度か、全身が血やら謎の肉片にまみれた全裸の少女が、ズルズルと這い出してくる。
見ようによってはホラーとも、神秘的な出産ともとれる光景に、一同は思わず息を飲む。
「いたたたたたたた……あいつらの目を欺くためとはいえ酷い目にあった。
てか一回死んでんじゃん。
体も縮んでるし、服も……サイアク」
桃色の髪の少女は、不満げに頬を膨らませるが、そこにクロムの拳銃が突き付けられていた。
残りのメンバーも遠巻きに警戒している。
「お前、何者だ? 月人なのか?」
「月人? ああ、月貴族の事ね。
ずいぶん嫌われてるみたいねぇ……あはっ、そんな怖い顔しなくてもいいじゃん♡」
月人というのは地上の人々が使う月貴族の俗称、あるいは蔑称である。
わざわざ相手の地位を認めるような呼び方をしてやる必要はない、というのが由来らしい。
クロムの世代は戦争を体験していないとはいえ、親世代から植え付けられたイメージはなかなかぬぐえなかった。
しかし少女は不満そうにするでもなく、
「わざわざ3日もかけてきたってのに、ずいぶんなもてなしじゃないの。
蛮族は女性の扱いもなってないのね」
「何故月人がここにいる?」
「答える必要がある? それとも、上の判断もなくぶっ放しちゃうタイプ?
あは♡ そーいうの嫌いじゃないけど、女の扱いは丁寧にね、童貞君♡」
「…………」
少女はあくまでも余裕の表情だ。クロムをからかうように体を摺り寄せてくる。
「ちょっと、あなた! クロム様から離れなさい!」
それを見ていたレベッカが何やら騒いでいるが、そんなことなどお構いなしに。
先程まで余裕そうに微笑んでいた少女の表情に驚愕の色が浮かぶ。
「クロム? クロムって……クロムウェル! あなた、もしかして白銃のシャムロックの……」
「どうして僕の名を……」
最近になって立て続けに母親の名前が出てくる。
得体のしれない何かが水面下で動いてるような、そんな漠然とした不安を押し殺し。
「答えろ、お前は何なんだ!」
「あは♡ なるほどなるほど、あたしの千里眼ばっちりじゃん。
最善手ではないけど、最凶の一手。これなら、あの女を出し抜けるかも」
くるくるくるり、とバレエのように回転しながら、少女は嗤う。
その笑顔から錆とは違う空恐ろしさを感じる一同に向かって。
「いいわ、機嫌がいいから教えてあげる。
あたしの名前はイオン。
誰もが跪く月の巫女姫アイオネル様よ!」
誇らしげに名乗る彼女の言葉に、その場にいた誰もが驚愕を隠せないでいた。
ステイン「で、俺の入団テストはどうなったんだ?」




