月からの使者2
帝国からの難民であるステインの正体が錬金術師であったことから、スパイではないかと疑う機甲師団エクスマキナの団長ジルコン。
しかし、ステインの口からは意外な人物の名が告げられる。
生き別れの母の手掛かりをつかんだクロムは、複雑な心境のままフェルミ班と合流するのだった。
団長室を退出した一行を待ち受けていたのは、クロムも所属するフェルミ班の面子だった。
どうやらいざという時のために待機していたらしいが、この様子だと本気でステインをスパイだと疑っていたわけではないらしい。
でなければもう少し強面の尋問チームが待機していたであろう。
「クロ君、お疲れ様。事前に情報を伝えんとかんべんな」
「いえ……」
「仕方ありませんわ、クロム様は顔に出やすいですもの」
声を掛けてきたのはどちらも人目を惹くほどの美少女である。
最初に話しかけてきたのが班長のフェルミ。引きずるほどのたわわな銀髪とはんなりとした物腰の柔らかさ。
小柄で一見すると十代の少女にも見えるが、確か年齢はにじゅ……。
「地の文でも女性の年齢に触れるのはあかんえ」
「――ヒッ!?」
フェルミから放たれる突然の威圧感とメタ発言に誰ともなく息をのむ。
気のせいか髪の毛もゆらゆらと蠢いていた。
気を取り直し。もう一人は金髪縦ロールのいかにもなお嬢様であるが、こちらは正真正銘帝国貴族のご令嬢である。
名前をレベッカ。班内での愛称はリーベ。十代後半くらい。
どうして銀の帝国の貴族令嬢が敵対する独立機工都市にいるのかは、色々と長い話になるので割愛するとして。
「ちょ、ひどいですわ! わたくしとクロム様の愛の馴れ初めをたった一行で流すなんて!」
「リーベさん、ややこしくなるので落ち着いてください……」
それを必死に抑えているのが、先程からクロムの傍らにいた少女アルミナである。
水色にも見える透き通った青髪をショートに揃え、子供らしさと背伸びしたい年頃の境界線を演出していた。
彼女はジルコン団長の娘であり、クロムが便宜上団長一家の養子になっているため、いっこ下の彼女は義妹ということになる。
これが機甲師団エクスマキナ所属独立遊撃部隊……通称フェルミ班の面々だった。
小規模な部隊であるが、団長の直属ということもあり信頼も厚い。
「団長の指示で彼の入団テストまでフェルミ班で預かることになりました。直接の指導は僕が担当することになります」
「あー、ステインだ。なんか世話になることになったが、よろしく頼む」
「おおきに。ステインはんもよろしゅうな」
ひとまずの顔合わせはこれでいいとして、やはり気になることが幾つかある。
「ところで兄さん、その……シャムロックさんのことだけど……」
「クロム様のお母上がどうかされましたの?」
事情を知らないレベッカがアルミナの言葉に口を挟む。
クロムにとっても唐突な生き別れの母の消息に繋がる情報だ。それが、こんなところで手掛かりが転がり出てくるとは思いもよらなかった。
あまりの突然の事態に、今はただただ困惑するばかり。
「なるほど、その方のお師匠様が……それにしても、帝国領とは面倒ですわね」
「兄さん、シャムロックさんの行方、ずっと気にしてたよね……いきなり母親を探しに旅に出るなんてことはない、よね……?」
「…………」
不安そうに見上げてくる義妹に曖昧な笑みを返しながら、少年は暫く思案していた。
確かに母親の行方は気になる。だが、手掛かりとしてはあまりにも弱い。
ここで帝国領土に潜入したとて、大した成果は得られないだろう。
「なあ、母さんは何のためにステインの住んでたコロニーを訪れたんだ?」
「さあな……ただ、滞在中に色々調査してたみたいだぞ。俺たちのいたコロニーは、元々なんかの研究施設だったみたいでさ。造りは頑丈だし錬成機関も生きてたから、百人程度の集団ならなんとかやっていけたんだ」
「研究施設、か。その研究内容については……知る由もないか」
調べれば何か手掛かりが得られるかもしれないが、現在帝国の占領下にあることを考えると迂闊に動くことはできない。
クロムが機工師団エクスマキナに所属する以上、こちらから仕掛ければ帝国に余計な口実を与えてしまう。
「そのコロニーは今どんな状態なんだ?」
「どうっても半年前に帝国軍がやってきてからは、ほとんど住民は飼い殺し状態さ。まあ、あいつらはあいつらで研究施設に潜って何かを調べていたみたいだが……」
「ふむ。それにしても、帝国の管理下からよく逃げ出せたな」
「師匠が修理してくれたバスもあったし、コロニーのみんなが助けてくれたからな。あいつら、無事だといいが……」
自分の故郷に思いを馳せるステインだが、状況的にあまり楽観視できないのは自分でもわかっているらしい。それも覚悟の上でコロニーを飛び出したのだろう。
妹を守るため、どちらかを選択するしかなかった。その心情は察して余りある。
「ところで、さ。母さん……ってどんな人だった?」
「どんな人って言われてもな……」
母親だと聞かされているが、本当のところはよくわからない。
身近で一緒に戦ってきた団長はあまり多くを語らない人だし、世間の評判はあまりにも現実離れしすぎて尾ひれどころか羽まで生えて空を縦横無尽に飛びまわってるような有様である。
3年前とは言え直接会って師事までしたのだ、他とは違う印象が聞けるかもしれない。
「そうだな……なんというか、噂通りの人だったよ。
コロニーを襲ったバカでかい錆を一撃で吹っ飛ばしてな、かと思えば腹が減ったと十人前は食っちまうし。
まあ、その分色々修理してくれたから、コロニーも助かってたんだが……」
「そうか……」
「あ、でも、見た目は結構若かったぜ。確かにお前にちょっと似てるかもな……目つきとかそっくりだし」
言われてもどういう反応を返していいのかわからない。
曖昧な受け答えをする義兄の姿に、アルミナもまた複雑な表情でそれを見ていることしかできなかった。
「ふふ、わたくしも一度お会いしたいですわ。クロム様の母上ならわたくしのお母様も同然ですもの!」
「リーベさんはちょっと黙ってて」
「はい……」
年下の少女に窘められ、金髪のお嬢様は黙り込む。
心の中に小さくないわだかまりを抱えたまま、波乱の一日は終わりを迎えるのだった。
●
翌日から入団テストに向けてステインの特訓が始まった。
と言っても錬金術の基本は座学である。これが非常に地道で一筋縄ではいかない。
彼が伝説の英雄に師事したのはほんの一週間、それで覚えられることには限りがある。
あとは感覚と残された手帳を読み解くことで何とかやってきたらしいが、錬金術師としては基礎の基礎が圧倒的に足りていない。
「錬成機関の触媒を発見したのは?」
「ええと、ヘルメスじゃなくて……ベンジャミン?」
「正解。では、ベンジャミン反応によって得られる最大熱量は水1リットル当たりいくら?」
「約2700Kcal……」
「それは基礎反応分だな。副反応まで合わせると約5100Kcalになる。ここは非常に間違えやすいから注意してくれ」
錬成機関とは水を投入するだけで動力を生み出せる機械である。
旧文明時代の機械がほとんど使い物にならなくなった今、あちこちで使われている生活には欠かせない代物だ。だが、貴重な水を消費する分、扱いが難しい。
内燃機関と比べても同じ出力を発生させるためには本体が大型になってしまうというのも明確な欠点である。
「このように錬成機関には短所もあるが、それでも生活を支えるためにはなくてはならない。ここは本当に基礎だからしっかり暗記してくれ」
「わかってるけどよ……」
積み上がった専門書を前にステインは辟易している。
おそらく言われたことの半分も頭に入っていないであろう。
だが、そもそもが錬金術師は狭き門なのだ。ここで躓くようでは先はない。
「筆記試験を突破できても、実技試験もあるからな……まあ、そっちはそっちで頭が痛いんだが」
「……サーセン」
何しろ彼の錬金術は癖が強すぎる。
これにはクロムも頭を抱えていた。人によって得手不得手はあるものの、正式な手順でやれば十人中十人が同じ結果が返ってくるのが本来の錬金術なのだ。
それを……いや、今は何も言うまい。
「とにかく筆記試験さえ突破できれば、最悪事務方として採用される……可能性はある、たぶん。きっとそう」
「クロム……慰めはよしてくれ。リン、不甲斐ない兄ちゃんを許し……。
――――ッ」
口から魂らしきものが出かかっているステインだったが、妹の事を思い出したのか、改めて教科書に向き直ると、必死に基礎問題を暗記し始める。
同じ妹がいる身としてクロムはそれをほほえましく眺めながら、それでも数日後に迫ったテストに憂鬱な気分を隠し切れないでいた。
「それにしても、このパンに野菜とか肉とか挟んだやつ、うまいな」
「サンドイッチの事か? そいつはアルミナの差し入れだからな。味は俺が保証する」
食べやすいように小振りに切られたサンドイッチを摘みながら、ステインは舌鼓を打つ。
先程アルミナが様子を見に来たついでに置いて行ったものである。
二人が詰め込み学習している本部内の一室は、書庫と隣接しているが個室に区切られているため、読書や勉強以外にも様々な目的で使われていた。
クロムもサボって昼寝したこともあるし、食事も軽食なら許されている。
「ちなみに料理も錬金術とは切っても切れない関係だからな。
このサンドイッチに使われているマヨネーズも、油と酢が卵黄内に含まれるレシチンによって乳化するんだが、この時の温度が重要で……」
「ちょ、余計なことは言わないでくれ。今のでさっき覚えた単語がどっか行っちまった!」
とまあ、なんやかんやありながらも、否応なしに時は過ぎていく。
そして入団テストの当日がやってきたのである。