おやすみ
「婚姻おめでとうございます……」
「まあ、心にも無いことを」
うふふ、と女王が笑う。こんな風に笑っているだけでも、俺の中の別人が掻き乱される思いがする。
ひとしきり笑った女王が肩で息をつく。
「あなたには言いたいことがたくさんあるけど、伝えない方が良さそうね」
「……」
「ガレロもジャスミンもよく仕事をしてくれているわ。見なさい」
促されるままに俺は振り返る。
ガレロはテーブルの近くでワイン事業者と話し合っていた。今夜のワインは全て白で統一されており、不純物が入らないように手配をしているんだとか。
そしてジャスミンだ。そっちはさすがにびっくりした。驚かないでって言われたけど、驚いた。
ジャスミンはアスタリカ帝のエスコートを受けてダンス広場で踊っている。
「わたくしから遠ざけてくれているのよ」
「何のために?」
「あなたが来るからよ」
そうだ。俺はやっぱり女王を殺すのが目的だったし、女王の周りにいる奴らはそのつもりで動いているんだった。
「『平和ボケ』って言うのね」
面白おかしいようで、ここでも女王はひとりで少女みたいに笑い出す。
「……女王が使う言葉じゃ無いです。あれは嫌味で言ってるんですよ?」
「あはは、知ってるわよ。本当にセルジオは酷い国ですわ」
うふふ、あははと止まらない。
「テレシア!」
声をかけて男が駆けてきた。正装にアスタリカの翼模様を掲げている。
「やあクロノス君。久しぶりだね」
「ど、どうも」
「もう! そんな気まずい顔をしないでおくれよ!」
バシバシと背中を叩くのはリーデッヒだった。決闘に負けた上に命を見逃してもらったんだから気まずいに決まってる。リーデッヒの方は演劇派なのか知らないが。
「クロノス君が来たということは、部屋に戻るんだね?」
「ええ。今夜はとっても楽しかったわ」
ふたりは穏やかな笑顔を向け合った。それはまるで明日もこの幸せが続くみたいに何の綻びもない瞬間だ。
「じゃあ、おやすみ。テレシア」
「おやすみなさい。リーデッヒ」
リーデッヒは俺に視線を向けて、うんと頷く。
俺も頷き返した。その時でさえも、リーデッヒの頬は幸せの色になっていた。
俺がエスコートし、女王の手を引く。酒を飲んだからか足元がややおぼつかなく、慎重に前に進んでいく。
「……テレシア!」
その時、女王の身がぐらついたのは、リーデッヒが駆けつけて彼女を抱きしめたからだった。
「おやすみ。……おやすみ。テレシア」
これだけは俺にも水は差せない。
こんなに優雅な料理と会話と踊りの中で、ただ気持ちを伝えることもはばかる愛情があるんだと。俺みたいな暗殺者でも悟ってしまうからだ。
「……リーデッヒ。おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
リーデッヒはテレシアに口付けをした。その後は見つめ合わずに互いとも距離を取って離れる。
「……ごめんねクロノス君。足を止めさせてしまった。僕はもう行くよ。テレシアをどうかよろしくね」
誰とも目を合わさずに、どこか足早に離れた彼がひとりでどこに行くのか。目で追うのは俺には出来ない。
「クロノス。急ぎましょう」
「はい」
何かに急いていて転びそうになる女王に、もっとゆっくりで良いですとも俺は言えない。
パーティー会場の扉を閉めると一気に冷えて、一気に静かになった。
出入り口の扉も、換気をしている大きな窓もある。女王を今からどこかに運んで隠せないだろうか。リーデッヒなら上手くやって二人で生きながらえないだろうか。
バカなことを考える。
月明かりが照らす青白い廊下は、俺が最初に通った時とだいたい同じ色なのに。
廊下の突き当たりにある部屋。ここに戻ってくるのは俺じゃなくって、リーデッヒとテレシア女王のふたりなんだと思われていた。
あの夜、女王を暗殺しようとしたみたいに暗い部屋じゃない。扉を開けた瞬間から眩しいくらいに電気が灯っている。真冬でもないのに暖炉の中に燃え炭が少し残っている。
「暖かいわね」
「そうですね。廊下は冷えてましたから」
使用人の仕事は優秀で、部屋に明るさと暖かさを用意し、軽食や飲み物とソファーとベッドとしっかりと準備してある。パーティーから抜け出た新婚夫婦はこの部屋でゆっくりとくつろげただろう。
「クロスフィル。電気を消してちょうだい。わたくしには明る過ぎるわ」
「はい……」
スイッチを落とすと部屋は一瞬で薄暗くなった。炭火の赤色が淡くて、月夜の青色が刺すみたいに明るい。でも、女王はこのくらいの方が良いと言う。
はぁ、と息を吐きつつ、まずは女王がソファーに深く座った。俺はまだスイッチの近くで立ち尽くして、女王の髪色を眺めている。
「楽しかったわ。こんなに楽しい夜は初めて。少し喉が渇いたわね。ワインを出してくれないかしら」
「まだ飲むのですか」
「良いでしょう? 飲みたい気分なんだもの」
俺は言われてテーブルの上にワインボトルを見つける。赤色と白色のラベルが一本ずつあった。ひとつはガレロが厳選した安全なワインだった。もうひとつは『リリュード』と書いてある。
「それじゃなくて」
悩みそうになる俺に女王が声をかけた。ソファーから薄赤い顔を出して透き通っていそうな指をさして来た。
「私が持ってきたワインにしてちょうだい」
指の先を見たら同じリリュード産のワインがある。花瓶の横に。なんでこんなところに置いてあるんだ? と、気になる位置だ。
「何が違うんです?」
「テーブルのワインはリーデッヒが用意してくれたものよ。最後の夜には、わたくしの好きなワインを飲んでほしいってことかしらね」
だったら尚更リーデッヒが用意した方を飲んだら良いのに。……と、思えない俺にまた罪悪感のようなものが積もる。
「リーデッヒは優しいんですね」
「そうよ。……リーデッヒは優しいの」
今の俺と同じように、テレシア女王がどうにかして生き残らないかと懸命に抗っている。死ぬことを腹に決めた女王がこのワインをどうか飲んでくれるようにとリーデッヒは今頃祈っているだろうな。
「……わかりました」
ここまで来たらもう引き下がれない。俺の心とは裏腹に、女王の中で確固たる意思がある。
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