良い夜
テレシア女王とリーデッヒ指揮官の婚姻式前夜パーティー。開催の夜には間に合った。
夕焼け空が映る湖のほとりを一頭の馬が駆けていく。そこにまたがる男女と、背景には金持ちが建てた巨大な城があるので、雰囲気はだいぶ良かった。
しかしエントランス前で馬を降り、手綱をここのボーイに預けたらロマンも何もない。
「男性でも香水を振った方がいいと思います。血の匂いが付着しているはずですから」
開催前にも関わらず着飾った令嬢たちが少しずつ到着している。その煌びやかさの影で、ジャスミンに言われたことだ。
一応自分でも袖の部分を嗅いでみた。それを見たジャスミンが「自分では気付けません」と言ってきた。
教会の鐘が鳴り出す。俺やジャスミンはここから見える時計台を見上げていた。今から数時間のうちにテレシア女王が殺されてしまう。……なんてことを思っただろうか。
貴族たちは鐘が鳴ったことにも気付かずに挨拶回りに忙しそうだ。
「クロノス」
ジャスミンは俺に呼びかけた。だが。
「あ、すみません。クロスフィルと呼ぶべきでした」
「どっちでもいいよ」
「……では。クロノス。その名前で中に入られるのですよね?」
「うん」
融通が利くのは知られている名前の方だろう。別に招待状を貰ってるわけじゃないから、ちゃんと中に入れるかどうかは別問題だけど。
鐘の音が響くからどちらも黙っていた。俺のことを呼びかけたジャスミンもそうだ。陽が落ちそうでもまだ生暖かい風が吹いている。「今夜は祝い事にぴったりな夜だ」と、貴族位の男の言葉も風に乗せて影の中に届けてくる。
花をつける木から花びらが溢れていたり、月がうっすらと空の真ん中に浮かんでいたり。俺でも今夜は良い夜になりそうだって思えた。誰かの命に手をかける晩は、良い夜にならないで欲しいと思うのが全部叶わなかった。
連続する最後の鐘が鳴り終わる。
「クロノス、成功を願っています」
「ありがとう」
ごめんな、と口から出そうになり。やめておいた。
そこに一頭のでかい馬がエントランスに到着した。乗っているのは大柄な男ガレロだ。俺たちと同じようにボーイに手綱を渡してから、こっちに歩いてくるんじゃなく軽く目線を送るだけにした。
しかと頷き合ったのはガレロとジャスミン。ガレロは女王の護衛として開催前の会場へと入っていく。
「ではクロノス。私もそろそろ行きます」
ジャスミンがペコリと頭を下げる。
「驚かないで下さいね」
「え? 何が?」
下げた頭が変なことを言った後、顔を上げたら得意気に鼻を鳴らしている。
「私も立派にテレシア様をお守りします。それでは」
スタスタと歩いて影から出ていき、ジャスミンもガレロと同じ場所から会場の中へと消えていった。
入れ替わりでボーイが何人か外に出てくる。会場の外でたむろになる貴族たちを屋内へと迎えるみたいだ。パーティーが開かれるまで時間があるが、中で待つようにと気を利かせた計らいなんだろう。
散らばる貴族たちに声がかかる中、俺はそっとその辺の茂みの中に身を隠している。全ての貴族たちを案内できたボーイは自分も建物の中に戻ったようだ。
* * *
漏れ出す音楽と拍手の音。もうとっくに陽が落ちていて、肌寒い風が吹き始めた。
そろそろだろうかと時計台を見た。楽しい時間を終わりにするのは心苦しくもあるが、そろそろ俺は仕事をしないとなと思う。
ドレスコードはしていなく、門前払いを受けたらならそっと気でも失わせればいい。何も緊張はしないが、今度こそ未遂になってはダメだと気を引き締めた。
豪華なエントランスの周りは届けられた花で彩られている。そしてそこにボーイが立っている。
ボーイは俺のことを一瞥し、真っ先に腕章に目が行ったようだ。ニューリアン王国とアスタリカの記念日パーティーにセルジオの人間が何用かと驚いただろう。しかし。
「クロノス様ですね」
驚いたのは最初だけ。何か察しがつくと落ち着いた声色で告げる。
「テレシア様から別室で待つようにと仰せつかっています。ご案内しましょうか?」
「……いや。結構だ。自分で案内する」
この会場は以前テレシア女王を暗殺し損ねた同じ場所。女王の部屋の場所は知っている。だから自分で行くと言ったのかどうかは、もう考える必要もない。
「目に焼き付けておきたいからな」
「……作用ですか。でしたら、上着をお貸しいたします」
「ありがとう。助かる」
さすがにセルジオの紋章を見せつけていたら周りの気分を害する。
俺は上着を着るだけでテレシア女王の弟クロノスという役を付けた。祝い衣装として勲章や宝石まで付いた文句の付け所がない衣服だった。
衣装はたぶん女王が用意したんだろう。ここでも余計なことをしてくる。なんて思いつつ、俺はパーティー会場の重たい扉を開けた。
音楽と光が押し寄せた。アスタリカとの未来を思い描くようにも、今回はいつもよりふんだんに豪華さを盛っているようにも思える。
貴族たちは王族を祝ったあとを交流会とし、新しい事業の話や、令嬢令息の結婚話に忙しい。食事好きや踊り好きは好きに楽しんでいたり、ソファーやベランダではそっと休んでいたり。
それぞれがそれぞれの夜を過ごす中、俺は真っ先に女王の姿を見つけた。
踊るでも、食べるでもない。しかし前のようにつまらなそうに椅子に座ったままじゃなかった。来賓の貴族と楽しく会話をしているようだ。手に持っているシャンパンも時々口の中に流しているし。
そこには『未亡人』という肩書きは存在していなかった。
『最後の女王』と呼ばれる理由も払拭されていた。
明るく振る舞う女王は、まさしくニューリアン王国の女王であり、これからの未来を担っていくんだと思わせている。特に、アスタリカとの溝も埋めていくんだろうという希望だって与えていそうだ。
俺は……。
俺は、足を進めながら迷った。
誰も彼女の死を望んでいない。望んでいるのは近しい未来の平和だけ。勘違いを起こして女王の命を狙う奴のことは、根こそぎ殺していけば平和になるんじゃないか。
女王が死んだ後、セルジオ王国がこの土地を手に入れた後。ニューリアンの国民は何を思うだろうか。
絶望して全員亡命しても良いと俺ははなから思っていたが、それよりも女王を生かしておく方がこの国は前に進めるんじゃないか。
「浮かない顔ですわね」
「そうですか?」
考えがまとまらないまま俺は女王と接触していた。女王の方も歩いてくる俺に気付いたようだ。人の輪から抜けて来た。
「婚姻おめでとうございます……」
「まあ、心にも無いことを」
うふふ、と女王が笑う。こんな風に笑っているだけでも、俺の中の別人が掻き乱される思いがする。
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