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ルッキズム狂想曲〜哀しき女達の場合〜  作者: 地野千塩


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第三十五話 亜美の場合〜最後の歌姫〜

 亜美は人気歌手だった。


 平成初期にデビューし、今は六十に近いベテラン歌手だ。人気絶頂時は、平成の歌姫と呼ばれる事もあった。


 時代によって求められるものは違う事。歌手という立場上、それはよくわかっているつもりだった。


 平成初期は、まだまだネットも未発達だった。芸能人もミステリアスで憧れの存在だった。テレビに出なかったり、プロフィールなどを伏せて活動する覆面歌手も人気があった。


 その後はネットも発達し、芸能人達も気軽にファンと交流できるようになった。会いにいけるアイドルも人気になった時代。平成中期から後期はそんな時代だろう。憧れから共感の時代だ。


 そして令和。


 芸能人とファンと近すぎる距離も問題があった。誹謗中傷で自死する芸能人も相次ぎ、問題発言もしない優等生タイプが人気を得やすい時代だった。ネットで支持を受けやすい発言も、平均点というか優等生的なものに人気が行きやすい。


 現代はルッキズム。昭和のような泥臭さや根性は流行らず、クールでスマートなもの。より痛くなく、清潔で無難なものが求められやすい。キレイキレイなルッキズム。


 ルッキズムの背景はSNSの発達とは切っても切り離せないだろう。


 AIも発達し、より清潔で綺麗で無難なものが求められやすい時代になった。


 今はAI歌手のアイコちゃんも人気だ。一切失言もせず、歌もうまい。歳もとらない。


 企業もアイコちゃんをこぞって採用し、亜美の契約している企業はゼロになってしまった。


 企業からすればスキャンダルも無いアイコちゃんは、リスクもなくコスパも良いのだろう。


 今はそんな時代。


 亜美は劣化、オワコン、痛い歌手だと記事に書かれるようになり、一曲も歌えない日々が続いていた。


「歌手の需要なんて、無いのかも知れなせん」


 追い詰められた亜美は、無茶なダイエットを繰り返し、カウンセリングを受ける事になった。


 普段は美容整形外科で務めるカウンセラー。井崎京子という名前だそうだが、わざわざ楽屋に呼んでも文句一つ言わずに話を聞いてくれた。


 年齢はアラフォーぐらいだが、落ち着いた雰囲気で話やすい。美人でもブスでもなく、中立の立場というのも良かった。


「今って何でも清潔で優等生的なものばかりが好まれるよね」

「まあ、確かに昭和時代のヤンキー風の歌手とかいませんね。みんなロボットみたいな完璧さだけあるね」

「ええ。だからAIのアイコちゃんみたいのが人気なんでしょう。私のような平成の歌姫なんて需要がないの」


 そう自虐する亜美だが、確かに全盛期の面影は何もなかった。


 肌はシワ、シミ、目が落ち窪み、髪の艶も消えていた。身体も無理なダイエットで痩せてしまい、声も出ない。


 とりあえず今日はスタジオでレッスンする予定だったが、声が出ず、楽屋に引きこもっていた。マネージャーなどとも会いたくなかったが、京子だけは、なぜか話す事ができた。


「でも私は亜美さんの声が好きですよ」

「そうですか? アイコちゃんと違って劣化しますし、究極死にますけどね」


 亜美の自虐に京子は言葉を失っていたが、カバンから何か取り出した。


「何?」


 小さな瓶だ。人差し指ぐらいのサイズで、中見には濃いピンク色の液体がが入っていた。ちょうどローズヒップティーのような色合いだった。


 若い頃はローズヒップティーでも飲んでいたら肌はすぐに回復したが、今はいくらクリームや化粧水を塗っても綺麗にならない。


 記者やリスナーからは、劣化だと叩かれる。亜美だって美容をサボっているわけでもないが、年齢を重ねる事へはどうやっても逆らえない所があった。


 老いる事はわかっていたつもりだったが、若い頃の成功体験もある。平成の歌姫だとチヤホヤされていた。それを思うと、何か諦められない気持ちも存在していた。


 思えば人間って不思議。猫や犬は年老いても、人間ほど劣化しない。若い頃とこんなに変化する生き物は、人間ぐらいしか居ないような気がする。


 そして自然の変化も劣化だと叩かれるのも人間だけだと思い、余計に不思議だ。


「で、これは何?」

「これは若返りの薬です」

「何、冗談言ってるのよ」

「ロシアの魔女から作る方を聞いたんです。どうです? 飲みたいですか?」


 ピンク色の液体は、蛍光灯の光を受け、キラリと輝いてみえた。


「実はこの薬を作るために何匹も動物を殺したんです。それでも飲みたいですか?」


 その覚悟はある?


 そう京子に問われているようだった。


「まあ、とりあえずこの薬は亜美さんに預けておきます。では!」


 京子は薬を押し付けると、颯爽といなくなってしまった。


 一人楽屋に残された亜美は、再び薬を見つめた。


「まさか、若返りの薬なんて……」


 童話だったら、こういう薬を飲んだら、泡になる運命だ。確か人形姫はそんな結末だった。


 京子が毒を盛った可能性もある。こんな薬は安易に飲めないものだが、捨てる決断もできない。


 とりあえず、薬をズボンのポケット中へ。


「若返りの薬か……」


 あれから数日たったが、飲む決断はできなかった。


 京子に相談しようと思ったが、スケジュールがいっぱいらしく、来月にならないと会えないようだ。


 今の時代はルッキズム。


 単に綺麗なだけではなく、SNSで不用意な発言をしないスマートさ、優等生さ、清潔さもルッキズムの一部だ。


 京子も単に整形で悩むクライアントの話を聞いているわけでも無いのだろう。彼女のようなカウンセラーの需要が高いにのも理解できる。


 そんな時だ。


 そんな時だ。マネージャーからファンからの手紙を受け取った。


 最近は月に数通しか来ないものだが、毎月欠かさず送ってくるファンもいた。アナログだが、亜美のファンは高齢者が多いから仕方ない。


「亜美さん、愛されてますね」


 マネージャーはそう言い残し、手紙を置いていった。


 いつもはファンレターなどろくに読まずに放置するだけだが、今は何となく中身を確認していた。


 ファンレターは想像以上に熱心に綴られていた。


「人は完璧だから愛されるのではありません。AIのアイコちゃんは完璧だけど、そこに愛はないでしょう。亜美ちゃん、どうかアイコちゃんと自分を比べたりしないでね」


 そんなファンレターを読みながら、亜美は泣きたくなってきた。


「いくら亜美ちゃんが劣化だと叩かれても愛してるよ。こういう時こそ好きでいるのがファンでしょ? 私たちファンは無条件で亜美ちゃんが好きなんだよ」


 こんな手紙を読んでいたら、自分は何か間違っていたと気づく。老いた事や時代のせいにしてたいた。歌えなくなったのも、自分の問題だったと気づいてしまった。


「こんな若返りの薬なんて要らないかも……」


 京子から貰った薬は、ゴミ箱に放り込んでいた。


 その後、亜美はレッスンを続け、数曲だったら歌えるまで回復してきた。


 まだまだステージに立てる状況ではないが、希望は戻ってきた。


 所詮、AIのアイコちゃんには美容も歌のクオリティは勝てない。アイコちゃんと違って寿命もある。


 それでも命が尽きるまで歌おう。泡になって消えたとしても最期まで歌いきりたい。


 かっこ悪くて泥臭い。痛い。もう平成の歌姫なんかじゃない。今は劣化した歌姫だが、それで良いのだ。


 そんな風に今の自分を許せたら、もう何も怖くない。


 ただ、今は歌うだけ。

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