第三十二話 珠紀の場合〜玉手箱の中身〜
昔から「浦島太郎」の物語に疑問があった。亀を助けた浦島太郎は良い人のはずなのに、あんな結末になるのは納得できない。
乙姫の行動も謎だ。なぜ玉手箱なんてあげたんだろう。あのままずっと竜宮城で浦島太郎と暮らせたらハッピーエンドじゃないか。
「シンデレラ」や「白雪姫」は実際は暗黒面も強いと聞くが、キラキラした童話にアレンジすることも可能だ。一方、浦島太郎は全く救いようがない結末でキラキラさせるのは、難しいだろう。
教訓もよくわからない。強いて言えば「遊んでばっかりいると、いつの間にか時間がたち、取り返しのつかない事になる」という事だろうか、果たして子供に読ませる物語だろうか。アルコール中毒、ギャンブル中毒、薬物中毒者へ向けたら、ピッタリの物語かも知れないが。
そんな事を考える珠紀だったが、彼女ももういい歳だった。昨日誕生日があり、アラフォーと呼ばれる世代に入ってしまった。
つい先日まで大学生のような気がしたが、時の流れは残酷だ。
そんな珠紀だが、ずっと非正規を転々としながら生活し、今は失業中。誕生日でも全く嬉しくはない。
自分の年齢を思うと、浦島太郎のような気分だ。思えば現実から目を背け、楽な方に流れ、仕事も恋愛もパッとしない。
それでも今はサブスクなどで娯楽も安く楽しめる。SNSでもAIを使って芸能人やアニメキャラになりきり、架空の自分を演じる事もできた。現代はより楽な方へ流されるツールがとても多いものだ。現実逃避も善とされる時代だった。
このまま楽して生きていくか。それとも現実を見て厳しい道を生きていくか。
今はそんな分岐点にいるよう。浦島太郎の物語も他人事ではないと感じていた。珠紀もある意味、お酒や薬物、ギャンブルに現実逃避と似たような状況だと思わされた。
そんな折、大学時代の友達から連絡があった。井崎京子というカウンセラーをやっている友達だった。
何故か京子からは「命の恩人」と呼ばれていた。
大学生の時、京子は進路にとても悩んでいた。資格をとるか、大手企業にいくかと。京子は頭も良く、ちょっと小賢しいタイプだったので、意外だった。
「なんか将来はテクノロジーがとても進化する気がするよ。もしかしたら人にしかできない仕事の方が価値があがるかも知れない。例えばカウンセラーなんてどう?」
何気なく言ったアドバイスだったが、京子は海外の大学まで行き、カウンセラーになった。最初は全く稼げないと聞いていた。無責任にアドバイスをしてしまった事を後悔したが、AIの進歩が早く、さまざまな仕事が消え、人間にしかできないカウンセラーの仕事も重宝されるようになった。
「本当に珠紀は、命の恩人よ。事務職とか、資格で生きていこうとしていたら、今頃人生詰んでいたわ」
京子はそう言い、ローズヒップティーをすすった。
京子おすすめのオーガニックカフェに来ていたが、店内は配膳ロボットが動き回り、完全無人化しているカフェだった。お茶も食事もAIが搭載されたロボットが作っているという。
そのせいか、店内の雰囲気もなんとなく無機質に見えてきたが、ナチュラルなインテリアで統一され、一見はリラックスできる場だった。ハーブティーの匂いもよく、周りの客も大人しい。このカフェは小型監視カメラも設置されているので、マナーの悪い客がいたら警報がなり、すぐに追い出されるというシステムもあった。入店も顔認証が必要だ。店内の掃除もロボットが遠隔でやっているという。
今の時代はルッキズム。美人には税金、ブスには福祉という時代だったが、単なる容姿だけではない「綺麗さ」「優等生さ」が求められるように感じる。ちょっとでもSNSで問題発言でもしたら、炎上。誹謗中傷で芸能人の自殺も多い。
キレイキレイなルッキズム。AIと似たような綺麗で優等生的なものが好かれる時代。昭和時代の泥臭さ、平成時代の痛さも限りなく排除されつつあった。均一的というか、平均的、個性が無い事が善とされるような世界。そのうち全部AIに代替されたとしても違和感はない。実際、このカフェも人がいないが、普通に運営されていた。
「そんな私は命の恩人じゃないよ。適当にアドバイスしただけだから」
「そう?」
「うん。それに私は今も非正規だし、実家で子供部屋暮らしだしね。これってピータンパン症候群っていうのかね。京子のSNSでも色んな症候群について書いてあったけど」
自分はSNSではAIを使って仮想空間を楽しんでいるような女。京子にそう言われると度に居心地悪くなり、ローズヒップティーをすする。
「そうか。まあ、今日はプライベートだし、心理学用語は控えるわ。で、そんな珠紀に誕生日プレゼントがあるの」
「誕生日プレゼント?」
「これよ。玉手箱」
京子はニコニコ笑いながら、小さな箱を取り出してみせた。綺麗にラッピングされた箱ではあったが、玉手箱?
「玉手箱? 浦島太郎の? 何、冗談言ってるの?」
確かに京子は優等生タイプではない。それどころか性格は良くない。それでも無意味に冗談を言うタイプでもない。こんな事を言ってくるのは、何か考えがあるのだろう。
「私、浦島太郎の物語なんて嫌いだな。特に乙姫の行動が意味不明。あのままずっと竜宮城で浦島太郎と一緒に暮らせば良かったじゃない」
ずっと竜宮城で夢を見ていたらよかったのに。どう考えても浦島太郎の物語は納得できない。
「そうかな? 私は乙姫の行動はよくわかる。心理学的にはカリギュラ効果を狙って玉手箱をあげたっていうのは考えすぎだけど。ま、大事な人こそ、現実を見て欲しかったんじゃないのかしらね?」
「そうかなぁ……」
「私は無責任に夢だけ見てれば良いなんて思わないけど。その人のことを本当に考えれば。例えばアルコール中毒者の需要を満たしてあげたら大変な事になるでしょう? 時には需要よりも必要な事を優先すべきよ」
そう話す京子の目は、いつになく真剣だった。少し冷たそうに見える京子だが、何故か今は聖女のように見えてきた。
そっと玉手箱を手に取り、ラッピングを解いて中身を開ける。
もちろん本物の玉手箱ではない。種も仕掛けもなく、中身を開けても珠紀が老けてしまう事はなかった。
代わりに化粧品が入っていた。丸い手鏡と下地、白粉、コンシーラー。色も珠紀の肌色とピッタリ馴染むもので、ブランド品でもあった。手鏡のデザインはどこかメルヘンな雰囲気だ。白雪姫の継母が使っていそうだが、別に魔法の鏡でもない。珠紀の顔を真っ直ぐに映していた。
AIと違い芸能人やキャラクターになれるものでもない。珠紀自身だけを映す鏡。現実を映す鏡だった。
「なんだ、普通の鏡と化粧品じゃない」
「うん。いつもはすっぴんじゃない。もう少し綺麗にしてもいいと思う」
「まあ、AIにも美人判定出て税金も取られてるけどね」
「もったいない。うちの患者達が聞いたら泣いて歯軋りするわよ」
「そう?」
「ええ。珠紀はずっと命の恩人のままでいてほしいよ。これ以上私を失望させないで」
このプレゼントは京子なりの愛情だったのかもしれない。今は乙姫が玉手箱を与えた理由は、なんとなく見えてきた。きっと浦島太郎もずっと夢の中にいたら、クズ男になるだろう。
何故か年取った浦島太郎と再会する乙姫の姿が目に浮かぶ。珠紀の勝手な想像だったが、意外と「浦島太郎」という物語もキラキラさせる事も可能か。
「ね、ちゃんとメイクしてよ。スキンケアもね」
「う、うん…‥」
胸に熱くなり、泣きたくなってきた。
これからの未来はわからない。AIがもっと発達し、無くなる仕事ももっと増えるかもしれない。
それでも楽な方へ逃げるのはやめよう。目を開けて、現実を歩いていこう。
そうしたら、いつか乙姫にも再会できるかもしれない。




