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ルッキズム狂想曲〜哀しき女達の場合〜  作者: 地野千塩


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第三十話 翔子の場合〜眠り姫の目覚め〜

 今の世の中ルッキズム。美人には税金、ブスには福祉の時代だった。翔子はそんな時代を感じながら、複雑だった。


 ここは精神・発達障害向けのNPO法人が運営する就労移行。就職準備する為の福祉施設。といっても僻地にあるわけでもなく、駅前にある綺麗なビルの一角にあった。ビルには他にビジネススクールや貸し会議室などが入っていて、特に近隣からのクレームは無いという。


 翔子はそんな就労移行に通っていた。一応学歴もあり、比較的名の知れた広告代理店に入ったが上司からパワハラに遭遇し、鬱と適応障害と診断された。


 服薬しながら何とか仕事を続けていたが、ついに自殺未遂事件も起こしてしまい、退職。障害者手帳もとり、こういった福祉を使いながら転職活動をする事になった。気づけばアラサーという年代になっていたが、今はもう全てを諦めきって生きていた。


 世に中のルッキズムには、もう何の興味もない。翔子もAIに「やや美人」と診断されていたが、別に嬉しくも何ともない。かえって税金がかかるので、精神疾患を理由に免除してもらっているところだった。各種手続きも複雑で面倒。手帳をとっても翔子のケースだと年金も出ないらしく、実に中途半端な立場だった。福祉を利用するのも頭の良さが必要なのではないかと思わされる。


 今日は就労移行で「精神疾患への自己理解」というテーマで外部講師からのセミナーを受けていたが、眠い。最近医者からもらった薬の副作用が強く、何だかずっと眠たかった。周りの利用者達もチラりと見るが、みんな眠そう。ここでは姿勢の悪いものも多く、なんとなく元気にない者が多い。そしてブスも多かった。ブスにも福祉の時代だが、何か嫌な社会の格差を感じてしまい、翔子は複雑だった。


 ここでは一応、簿記やパソコンの授業といったものもやるが、レベルが低くてとても眠い。翔子のように高学歴で大企業で仕事をしていた利用者もほかにいたが、明らかにこの状況に持て余していた。子供の頃からずっと福祉を使っていた発達障害者の利用者はなんだかここにも順応しているように見えたが、仕事でメンタルやられてここを使っている人とは、差を感じてしまうところだった。こういった障害もさまざま。病名でザックリと纏めてしまう事は、翔子は違和感を持っていたが、ここにいる福祉士達はニコニコと笑顔を見せるだけで、特に改善へ向かうような事はなかった。


「鬱は心の風邪です。大丈夫ですよ。みんななる病気なんですから」


 外部講師が語っている内容は、砂糖に包まれているように甘い。そんな甘い言葉を味わっていた。


 翔子はこんな状況ではあったが、実は自分で望んでいた結果だったのかもしれない。


 もう仕事なんてしたくない。責任も取りたくない。自分を傷つけた上司に復讐をしたい。


 実は鬱や適応障害になっている自分を心の底から愛していた。治そうなんて思ってはいない。何も変えたくない。病院に通って薬を飲むだけだ。


 病院からもらう眠り薬。


 それを飲み込む度に永遠に眠っていたいと望んでいた。心の底から。


 世に中は鬱への理解も進んでいた。「鬱は風邪」という。福祉士も就労移行も医者も看護師もみんな優しい。だったらずっとこのまま眠っていたい。被害者のままで。悲劇のヒロインもままで。


 そんなある日。


 就労移行に外部講師としてカウンセラーがやってきた。普段は美容整形外科でカウンセラーをやっているそうだが、自分との容姿の付き合い方、世に中のルッキズムとの付き合い方について話をしていた。


 たぶんアラフォーぐらいの女だ。見かけは優しそう。就労移行の小さなセミナールームとはいえ、堂々と前で話していた。かなり肝が据わった女に見えた。一見優しそうだったが、どうも気が強そう。性格も悪そう。就労移行にはいないタイプだ。むしろ昔の上司を思い出し、嫌な気分になってきた。名前は井崎京子という。


「私は現実主義者です。例え需要がなくても皆さんに必要な言葉を語りたいなって思います。だって嫌でしょ? 『お前らこういうのが好きだろ?』って媚びてるみたいなマーケティング商品を見せられたりするのも。そういうのって顧客を馬鹿にしていると思うんです」


 セミナーの終盤、なぜか京子は話題を変えてきた。


「鬱は風邪じゃないです。鬱は風邪っていうのはね、製薬会社が新薬を売る為のキャッチフレーズだったんですよ。ええ、医療ではなく、ビジネスです。製薬会社もマーケティングやってるわけ。新規顧客開発ね」


 セミナールームの空気が凍りついていた。今まで眠かった翔子だが、何だか居心地がわるくなってきた。そういえば京子の声はよく通り、すっと耳に入ってくる。痛いほどに。


「昔は鬱の基準はもっと高かったんですが、今は薬を売る為にユルユルにしているのね。あはは。陰謀論じゃないわよ。こんなの精神科医もよく知ってる話。私でも知ってるもの。つまり資本主義経済社会の事情により、単なる感情の落ち込みがある人やちょっと変わった人まで鬱にされてしまった者もいるわけね。実際、長期入院させられた患者が訴えているケースもあるわ。調べてみるといい」


 利用者達の中では、京子を睨みつけたり、ヤジを飛ばすものもいたが、翔子は目が話せなくなっていた。


「ここで残酷な話ですが、薬だって神様じゃない。副作用もあるわけ。その副作用が鬱とか自殺ともある。薬害で実際に病気になってるのよ。マッチポンプね。怖いわねぇ、今だけ、金だけ、自分だけの悪い狼が考える事は。もっとも加害自害がある人は薬で眠らせる必要はあるけど、精神科医療は、都合悪い人を薬で眠らせようっていう差別、優生思想が根底にあるわわけよ。こういう現実は知っておくべきじゃない?」


 京子はニコニコ笑顔だ。睨まれてもヤジを飛ばされても全く気にしていない。


「ただ、一概に悪い狼も責められない。だってミュンヒハウゼン症候群もあるんですもの」


 このミュンヒハウゼン症候群は翔子も聞いた事がある。わざわざ病気になり、周囲の関心を引く疾病だ。だんだんとと京子の意図が見えてきた。こんな現実的な話をして、目を覚まさせようとしている? 京子は王子様ではないが、眠り姫には必要な言葉を語っていた。


「だから鬱は風邪じゃない。甘えよ。ええ、私はいくら差別主義者と言われても構いません。だって病気になっても差別なんてされたら、こんなの辞めますよねぇ?」

「ちょっと、先生! 何て事言うんですか!」

「あなた達福祉士だって悪い狼達の共犯者じゃない。本当にここにいる人を愛しているなら、必要な言葉を語るはずよね? 需要を満たせばいいっていう問題じゃないのよ」

「ちょっと黙ってくださいよ!」


 福祉士が飛んできて、慌てて京子の口を塞いでいた。


 慌ててる?


 こんなに慌てているという事は、京子の言う事は真実だったのか?


「ではみなさん、頑張ってね。障害者雇用じゃ、最低賃金、社内ニートになって悪い狼達に利用されるのが関の山だと思いますが。鬱とか芸術家っぽいイメージもあるけど、別に現実ってカッコよくないよね。こういう福祉も頭良くないとちゃんと使いこなせないもんなのよ」

「もういい加減にしてくださいよ!」


 ついに京子は福祉士に摘み出されてしまったが、翔子の目は完全に覚めてしまった。


 翔子は病気になる事で現実から逃げていた。同時に被害者になって上司に復讐しようとしていた事にも気づいてしまった。本当の病気は鬱などではなく、単なる自傷行為だった。医者には鬱は一生治らないと脅されていたが、それも嘘かもしれない。思えば毎回診察時間も一分程度。今思うと医者も病気を望んでいたようにも見える。


 それに京子に対して暴言を吐いたり、慌てている福祉士を見ていたら、現実がクッキリと見えてしまう。


「ああ、私……」


 ここにいるべきでは無いのかもしれない。今はもう甘くて優しい眠りから、目覚める時だ。


「というわけで、私は病気をやめました。不思議な事にやめようと決意すれば病気って治るんですね。確か聖書にもそんな描写があった気がする。神は奇跡も何もしていないのに、決意だけして神の服に触れた女が病気治ったという」


 数ヶ月後、京子が務める美容整形外科の門をたたき、カウンセリングを受けていた。カウンセリングというか、あの時のお礼を言っているだけだったが。


 カウンセリングルームはアロマのいい匂い。椅子もふかふかで、リラックスするが、もう眠くはならなかった。正直、眠り薬を抜くのは大変だったが、今はもう薬がなくても大丈夫だ。


「そう、病気は治ると心から信じれば治るのよ。逆に病気を望む気持ちがあったら、絶対治らないものなのね。あと患者の医療関係者が『絶対治す』という強い信念がある場合も治る。ピグマリオン効果ね。聖書の話ってこれもあった気がするわ。これは個人的見解ではあるけどキリストは病人を治す時は、一方的な奇跡なんて使ってないと思う」

「私もそう思います。病は気からって事かな。人の思いとか思考とか願いって案外強いのかも」

「ええ、頑張ってね。この世に中は酷いから。悪い大人に騙されちゃダメよ。周りは狼だらけと思っていたら、逆に気楽だから」

「ええ。もう人には何も期待しない事にします。ありがとうございます」


 翔子はそう言い、カウンセリングルームを後にした。その表情は明るいものだった。背筋もすっと張っている。


 目が覚めた。


 もう自分は眠り姫なんかではない。目を開けて、現実を見て歩いていこう。確かに少し怖いけれど、眠ったままよりはずっと良いはず。

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