第二十六話 紅緒の場合〜聖女の赤い靴〜
「少しお話ししてもよろしいですか?」
ここは都内にある大学のキャンパス。偏差値はFランギリギリ。文系の大学で女子も多いが、どこかパッとしない雰囲気は否定できない。
紅緒もそんな大学生の一人であった。黒髪ロングに麻のワンピース。手首や胸元には、パワーストーンのアクセサリーがあり、少しミステリアスな雰囲気のある女だが、目は大きく、ブスではない。
そんな紅緒だが、キリスト教系カルト・マリアの涙の信者だった。規模は大きくなく、世間で事件になっているものと比べて知名度は全くない。故に警戒心を持ちにくく、騙されるものもいる。紅緒の両親もそう。いわゆる宗教二世だ。世間では問題視されてはいるが、紅緒も教祖を神様のように信仰し、今日もこうして大学内で勧誘活動をしていた。
「投資などお金に困っている事はないですか? 必ず儲かるいいお話しがあるんです」
もちろん、宗教の勧誘である事は隠す。自己啓発、投資、スピリチュアル、占い、陰謀論などの仮面を被りながら、言葉巧みに勧誘。最初はおしゃれなカフェなどで取り込んでいく。
勧誘にも教団が作ったマニュアルがあった。もちろん、小賢しい人間に論破される事もあったが、こういうタイプに対してもマニュアルがある。こういうタイプは「自分は絶対騙されない」と思っているものが多く、スキがある。そのスキをちょっと突いてやればいいのだ。実は紅緒が一番勧誘しやすいタイプだったりする。一方「自分は頭が悪い」と弱さを自覚しているものの方が厄介だったりするのだ。
ブスも狙い目だ。自己肯定感高そうなブスではなく、人目を気にし、不幸そうなブス。こういうタイプにもマニュアルがあり、ちょっと褒め言葉を吐けば簡単に騙せる。
今の時代はルッキズム。美人は税金、ブスには福祉の時代であったが、より格差が広がった。ブスは余計に生きづらそうなので、そのスキを利用しない手はない。
自分でもグレーな事をしている自覚はあったが、全ては教祖のため。教団内でもランクがあり、今は上位の「聖女」の立場だが、もっと上の「聖母」や「天使」に行き、教祖の側近まで上り詰めたかった。
そんな紅緒だったが、週三回ある教団の祈祷会に参加していた。祈祷会といっても教団に都合の悪い人間に呪いの言葉をかけたり、時には動物を殺したり生贄儀式もする。今日は久々に教祖がやって来るので、紅緒も緊張しながら、施設で準備をしていたが。
「ああ、紅緒か」
教祖は中年のハゲたおじさんだ。一見、普通のおじさんだが、神の言葉を聞く事ができ、教団内では「神の代理者」と呼ばれ、ほぼ神様と同じ位だと言われていた。実際、彼の予言は外れる事はなく、紅緒はさらに心酔していたのだが。
「君はブスだねぇ。残念だが、聖女以上のランクには上がれないと思う」
「そんな……」
「もっと勧誘して、な」
教祖は紅緒の前から去っていくが「ブス」という言葉が頭から離れない。
ここで教祖に嫌われたら死ぬ事と同じぐらい酷い目にあう。それにランクだって上げたい。他の信者たちに負けたくない。
どうしたらいいのか?
そう思った紅緒は、美容整形を受けることに決めた。
今の時代は美容整形も高額だ。日々のお布施で貧乏状態の紅緒が出せる金額ではないが、せっせと立ちんぼをしてお金を稼いだ。しゃかりきに男に身体を売り続け、止められない。まるで童話赤い靴の呪いがかかったように「肉体労働」していた。
聖女というランクにいるが、実際は遊女。今までのお布施が足りない時は、こうして稼いでいた。紅緒は、全く罪悪感もなく、身体を動かし続けていた。そうすればきっと幸せになれると信じて疑っていない。紅緒がこんな事をしているのも「いつか自分も幸せになれる」と思っての事。その気持ちは意外にも純粋で、自分は良い事をしていると信ていた。
こうして金も貯まり、美容整形外科の門を叩く。
すぐには整形できず、カウンセラーの面談を受けることのなってしまった。今は美容整形のトラブルが多く、こうしたカウンセリングを受ける事が半分義務のようになっていた。めんどくさいが仕方ない。
カウンセリングルームは広々とゆったりとした雰囲気。アロマやお茶のよい匂いもし、思わずリラックスする。
「どうぞ、おかけになって」
カウンセラーは井崎京子という女だ。アラフォーぐらいの女で、冷たそうな雰囲気だ。勧誘にはまず行かないタイプ。正直なところ苦手なタイプだったが「自信を持つための整形したい」と嘘をスピーチした。
「それは嘘でしょう? 私、これでもプロのカウンセラーですよ。人がつく嘘なんて簡単にわかるわ」
そう語る京子は、おっとりとした笑顔を浮かべていた。改めて苦手なタイプだと思うが、何故か京子の姿は教祖とかぶってきた。
「さあ、私はありのまま紅緒さんを認めるわ。正直にすべて話して」
向こうもかなり口が上手い。この京子に嘘をつくのは難しいと思い、本当のことを話してしまっていた。カウンセリングルームの雰囲気に飲まれたのかもしれない。連日の「肉体労働」は、楽でもなく、自分は疲れていたと気づいてしまった。
「そう。教祖は神様みたいなのね」
意外な事に京子は論破してこなかった。逆に論破してきたら勧誘してやろうと思っていたので、気が抜けてきた。
「それで、あなたは幸せ? そんな美貌やお金を求める『神様』に仕える事を」
「え、幸せ?」
驚いて変な声は出てしまった。
「ええ。あなたが幸せだったら、私は止めませんけど。本当に幸せ? その『肉体労働』も」
京子の黒い目は、すべてを見透かしていそう。紅緒自身も気づいていない本心も京子は気づいていそうに見えた。
「幸せの青い鳥はどこにいますか?」
しゃかりきに「肉体労働」をしている紅緒の側には、青い鳥はいない。あったのは、恐怖心や義務感、嫉妬だったのかもしれない。
「幸せなんて、どんな状況下にいてもなれるものよ。自分で勝手に条件をつけているのは、もったいなくない? あなたの代わりなんていないの。その他大勢の信者として自分を貶めてないかしら」
京子は決して論破などしてこなかった。かえって紅緒は、自分に心をちゃんと見なければならないと思わされてしまった。
本当は何を求めているのか。自分にとって一体何が幸せなのか。
そろそろ考える時なのかもしれない。
赤い靴はもう脱ぐ時だ。呪いのような靴だったが、今は一人で脱げるだろう。そうしたら自分の側にも青い鳥がいる気がした。
「あなたも幸せになっていいのよ」
どこからか京子の声が聞こえてきそうだ。その声は、意外にも優しかった。本物の聖女のように。




