第二十話 菜乃花の場合〜シンデレラの義姉〜
女は自分の事を本当はお姫様と思っているものが多いらしい。だから「本当の自分」「目覚める」といったキャッチフレーズに弱く、女性向けの商品を売る場合は、そういったものを意識した方がいい。
菜乃花は前職で化粧品メーカーでマーケティングをやっていた。大きな会社ではなかったが、そこで得た知恵は今の仕事でも生きていた。
菜乃花は今はラノベ作家をやっていた。趣味で書いていた異世界転生ものがトントン拍子に売れ、人気漫画家にコミカライズしてもらう幸運にも恵まれた。専業になるのは不安もあったは、投資やネットでの副業もそこそこ成功していたし、前職もうっかり辞めてしまった。今は結婚もして地方都市でミニマムに暮らしている。子供はまだいなかった。仕事もプライベートもそこそこ順調のはずだったが。少なくとも同世代のアラサー女よりは恵まれていると思っていた。
「はあ、困ったね」
仕事部屋でパソコンを睨みながら呟く。先程担当編集者から連絡があり、新刊の売れ行きが悪く打ち切りが決定した。新刊発売から三日後の事だ。今は本も売れない時代なので打ち切りもスピーディーに決まる。特にライトノベルはよっぽどにヒット作でない限り長く売れない。とにかく新刊を数多く打ち、当たれば御の字。そういったビジネスモデルなので仕方ない。今の出版業界の数字を色々と見てみたが、ライトノベルは完全に頭打ち状態で、一部のヒット作が売り上げを占める格差社会。規模としては前職の化粧品メーカーぐらいのものかもしれない。
新刊は女性向けにシンデレラストーリーを書いた。長らく日本経済も低迷中なので、不幸な女が見そめられ、王子様に幸せにして貰うという手垢塗がついたストーリーも一定数支持を集めていた。
菜乃花も前職で得た知識を応用しながら「虐げられている没落令嬢だったが、実はあやかしを魅力する力をもつお姫様の末裔で、世界一イケメン龍神に見そめられ、結婚して幸せになる」という話を書いた。
女は皆自分の事はお姫様だと思っている。そんな欲望を刺激するような話を書いた。本来なら女にも自立しろとか、男は少女漫画のヒーローではないという現実を伝える「必要」があるが、プロ作家は読者の「需要」を満たす方が優先される。だからこんな「需要」に合致した話を書いたわけだが、世に中には似たようなエンタメは山のようにある。菜乃花の新作はたくさんのエンタメに埋もれてしまい、数字を出す事ができなかったのだ。
「はあ、困ったね」
厳しい現実にぶち当たる。実際、書店を見ても菜乃花と似たような「需要」を満たすエンタメが沢山ある。この中で頭角を表すのは、想像以上に大変だと思わされた。
さらに菜乃花に追い討ちをかけたのが、同じレーベルでの新人作家の事だった。江田麻子という新人作家だったが、なんと本業は美人女医。子供も旦那もハイスペで何でも持っているような女だった。デビュー作も美容整形外科を舞台にした新鮮味とリアリティーがある作品で、売り上げも良かった。
そんな恵まれた人がいるなんて。
菜乃花はついつい嫉妬してしまう。上を見たらキリがない世界だが、美人、本業は医者、子供も夫もハイスペという事実に菜乃花の劣等感が刺激された。麻子と比べて自はスペックが低いと思わされ、整形にも手を出してみたくなるぐらいだった。
こんな嫉妬している時は、何もかも上手くいかないものだ。
道を歩いていたら、ヒールが折れた。新しく買った靴だったが、最悪だ。盛大にこけた菜乃花に誰も声かけず、するーされた。
世の中こんなもんだ。
今の時代はルッキズム。美人には税金、ブスには福祉の時代だったが、おかげで世にある格差がくっきりしてしまった。菜乃花のような普通顔でもそれで満足できない。ちょっと上をみたい。こんな格差社会の世に中の愛はさめ、道でこけたアラサー女はスルーされるのが現実だった。
もちろんイケメンにもスルーだ。シンデレラストーリーを書いた菜乃花だったが、イケメンは調子に乗っているものも多く、話がつまらないものも多い。オタクの方が誠実で話が楽しかったりする。実際、菜乃花も夫はオタクを選んだが。
「大丈夫ですか? 膝から血が」
諦めて自力で立ち上がった菜乃花だったが、声をかけられてハッとした。声をかけて来たのは、アラフォーぐらの女だった。普通っぽい雰囲気の女だったが、白衣を着ていた。不思議な事に白衣を着ているおかげで警戒心を解いてしまった。
怪我の手当をしてくれるというので、女のオフィスへ。
オフィスは美容整形外科のカウンセリングルームだった。
美容整形に興味を持ちかけていた菜乃花だったので、この展開には驚いた。これは整形しろと言う事だろうか。
さらに女に怪我のて手当てをして貰うと、悩みをなんでも聞いてくれるという。
女は井崎京子という名前だった。普通っぽい雰囲気の女だったが、口元は柔和で優しそう。すっかりリラックスして今の悩みを打ち明けてしまった。
カウンセリングルームは、うっすらとゼラニウムの良い香りもする。椅子もふかふか、京子も優しそうで、すっかり口が滑らかになっていた。
「そうですか。そんな恵まれた女医さんなんているんですねぇ。それは嫉妬しますよ」
京子はなぜか深く共感してくれた。カウンセラーだからだろうか。それにしても共感し過ぎてというか。菜乃花は違和感を持ったが、カウンセリングの雰囲気に飲み込まれ、それをスルーする事にした。
「童話シンデレラって知ってます?」
「もちろん」
なぜか京子は話題を童話に変えてきた。
「ディズニーでは綺麗な物語にしてますが、実際はけっこう怖いみたい」
目の前にいる京子は身を乗り出し、語り続けた。
「義姉はガラスの靴を履きたいがために踵を切り落としたんです。はは、ガラスの靴って血だらけにもなったみたい」
「ひ、ひえ……」
グロい話が苦手な菜乃花は、変な声がでる。一見は優しそうな京子の口から怖い話を聞かされていたが、不思議と違和感はなかった。
「でも私。シンデレラの義姉には尊敬します。だってそこまでする覚悟ってシンデレラにあった? あの子はただ泣いてガラスの靴落として、なんとなく幸せになっただけじゃない? 運が良かっただけよ。何の努力も覚悟もして無いじゃない。私が王子様だったらガラスの靴を血だらけにした義姉を選ぶ。そっちの方が国が良くなりそうよ?」
意外と辛辣。
しかしそう言われれば京子の言いたい事もわかる。菜乃花もシンデレラの義姉に共感してしまった。
「あなたも幸せになる為にその覚悟はある?」
「え?」
「人を踏みつけても成り上がろうっていう覚悟。実は会社社長とかサイコパスばかりです。幸せになれる人は、本当は性格悪いのかもしれませんよ?」
あはは。
京子の笑い声が響く。その姿は魔女みたいだった。普通に見える女のも心に魔女が住んでいるのかもしれない。かくいう菜乃花だってそうだ。
今はお姫様なんかになりたく無い。むしろ心の中にある魔女が刺激されていた。こんな醜い部分がある事に驚くが、人間ってそんなものなのかもしれない。
「さあ、あなたも呪いをかけてみない?」
「呪い?」
「そう」
京子はさらに身を乗り出す。
「簡単よ。人間の言葉や思考には力があるから、麻子なんて嫌いって言えばいいの。そうすればあの女医さんも呪われるでしょうねぇ」
あはは。
京子はさらに笑い続けた。
「そんな、呪いなんて……」
「血を流してもガラスの靴を履きたいんじゃない?」
京子がさらにけしかける。ついに菜乃花も折れた。
麻子なんて嫌い。大嫌い。
気づくと京子と一緒に呪いの言葉を吐いていた。
最初はそんな呪いなんて信じていなかったが、麻子が重い病気にかかっているというニュースを聞いた時は背筋が凍った。
まさか、本当に呪い?
わからないが、逆に菜乃花には新しく仕事も舞い込んだ。
本当に呪いなんてあるのか。わからないが、どんどん弱っていく麻子のSNSを見るたび、菜乃花の良心もすり減っていく。
そういえばシンデレラの義姉も結局は、目を潰される結末だった。呪いをかけている菜乃花も、いつか報いを受けるだろう。
その日までは、ほんの少しだけ幸せを味わっておこう。
今だけ、金だけ、自分だけ。
あはは。
どこからか京子の笑い声が聞こえてくる。菜乃花の心の中にある魔女は、相変わらず騒がしかった。




