第十九話 夢乃の場合〜灰を払う〜
日曜出勤後、夢乃は灰のようになっていた。休日も働いたわけだが、代休もなく、翌日からも普通に仕事だった。
いわゆるブラック企業勤め。労働時間は長いが給料は低い。その上、夢乃の性格はおとなしく、良いように使われていた。
この会社は家族経営の古臭いところだった。女子は一般職として採用されやすいが、三十歳前、いわゆる結婚適齢期の前に肩を叩かれる。酷い場合は社内ニート化させたり、海外転勤を匂わせて退職に持ち込むらしい。
そんな中でも夢乃はいいように使われ、肩たたきには合っていない。夢乃は三十三歳だったが、結婚のけの字もなかった。
こんな会社で虐げられているが、いつか自分を救ってくれる王子様が来てくれると期待していた。
そんな事は決して口に出来ないが、子供の頃からディズニーアニメや少女漫画を読み耽り、自分もお姫様になれると信じて疑っていないところがあった。家には今もそんな女性向けエンタメでいっぱいだった。
女は深層心理では「自分はお姫様」と思っているものも多いらしい。だから女性向けマーケティングでは「本当の自分に出会う」などというキャッチフレーズも使われる。女性向けエンタメでも「虐げられているヒロインも本当はお姫様で愛される価値があるんですよ」といったメッセージのシンデレラストーリーが受けるのも頷ける。夢乃もシンデレラストーリーが好きだし、令和になってからは余計にシンデレラストーリーが人気。
日本経済が低迷し、女性も保守的な趣向になっているからだろう。夢乃のようなブラック企業社員や結婚しても夫の事情で働かないといけない女性も多い。働いている女がキラキラしているのはエンタメの世界だけ。実際は灰を被りながら働いている女が多いだろう。夢乃はシンデレラストーリーが流行る理由を一番良くわかっていた。
いつか王子様。きっと私をこんな虐げられている生活から救ってくれるのに違いない。
夢乃が信じて疑っていない事だった。
そんな夢乃は、人からの要求に断るのが苦手だった。日曜出勤で疲れていたはずなのに、美容整形外科の営業に捕まってしまい、断りきれない。
今の時代はルッキズム。美人は税金、ブスは福祉の時代だが、夢乃は普通顔。美醜の基準はAIで決められるが、夢乃はAIにも普通顔だと診断されていた。そこにあまり不満もなく、整形にも興味が無かったのだが。
夢乃はまず美容整形外科のカウンセリングを受ける事になった。今の時代はこういったカウンセリングをしないと整形できないらしい。
カウンセリングルームは、落ち着いた雰囲気で照明も明る過ぎずに良い感じだ。薄らとラベンダーのアロマオイルの香りもして、リラックスしてきた。
「どうぞ、おかけになって」
カウンセラーに言われ、椅子に座る。ふかふかな座り心地で、緊張感は消えていた。
カウンセラーは井崎京子という名前らしい。年齢はアラフォーぐらいだが、自分と似たような普通顔で少し親近感をもつ。ただ目は鋭く、夢乃と違って知的。おそらくキャリアウーマンというものだろう。白衣も着ているが、よく似合っていた。
「ではお話を伺いましょう」
夢乃は美容整形の相談なんてしない。興味がないからだ。
「整形に興味がないの? 本当?」
何故ここに来たんだと言いたげだ。思わず夢乃は下を向く。自分が着ていたパンツスーツを見てしまう。なぜか色褪せてみえる。本当に灰を被っているみたい。
ふと、シンデレラの中では魔法使いで綺麗になるシーンがあった事を思い出す。今が魔法をかける時?
「まあ、整形はね、魔法では無いです」
「え?」
「知ってると思うけど、整形失敗の事例もお見せしましょう」
京子はなぜか薄らと笑いながら、ノートパソコンを見せてくれた。そこには整形失敗し、顔がぐちゃぐちゃになっ人のネットニュースが出ていた。これは夢乃にも見覚えがある。
「結局遺伝子なんですよね。残念ながら整形しても綺麗になれないケースもあります。シンデレラの魔法なんて無いわけ」
現実を突きつけられていた。
「もっと現実的な事言っていい? 多くの男性は、利己的で言い訳も好きよ。少女漫画やディズニーみたいな完璧な王子様はいないの」
そんな事は知っていたが、京子のようなタイプに言われると、夢乃は余計にショックだ。
「奥さんが癌になると捨てる男性が多いって知ってる? あと障害児が生まれると逃げる男性も多いわよね。本当に女性の需要を心から満たす王子様っているかしらね?」
現実的だ。耳が痛い。
確かに大学生の頃に付き合った元カレ、父親や兄の顔を思い出すと、彼らはどこか自己中的で言い訳が好きな部分があった。女の気持ちを察する事などできない。優しくない。余計なアドバイスもしてくる。エンタメにいるヒーローとは、何もかもが違う。
「まあ、夢を見るのはいいと思いますが。それに耐え忍ぶ女より、現実はシンデレラの偽姉タイプ、性格が悪いタイプのが幸せになれますよ」
「え、そうですか……?」
「私だって性格悪いですが、こうして仕事もできて幸せ。我慢して耐えているだけの女に何の魅力があるのよ。童話のシンデレラだって自分で舞踏会に行くことを決めたでしょ?」
そう語る京子は魔女のように見えた。それでも何故か幸せそう。
「そう、現実のシンデレラは幸せになれないのよ。いいように都合の良い女になるだけ。被せられた灰ぐらいは、自分で払った方がいいよ。シンデレラストーリーなんて、夢だから。本当に」
耳が痛い話だったが、京子からは励まされているような気がしてきた。なぜかわからないが、元気も出てきた。シンデレラストーリーを読んでも得られなかった元気が。
「頑張ってね。自力で幸せになれば、もっと自分が幸せにしてやろうっていう人が周りに集まるから」
そう語る京子を見ながら、もう下を向きたくなくなった。
自分の事を性格が悪いと言っていた京子だが、そうは見えなかった。むしろ自分に本当に必要な言葉を教えてくれているようだった。
この事がきっかけに夢乃は、納得できない上司の要求も断るようになっていた。
「それ、生産性悪くないですか? 単なるやってる感より、もう少し効率を考えたら……」
自分の気持ちもちゃんと話していたら、だんだんと周りの雰囲気も変わっていった。断るだけでなく、困った時は頼る事も出来るようになっていた。我慢して耐えていても、誰も助けてくれないと知ったからだ。
だからと言って夢乃の前に王子様は現れ無い。それでも大丈夫だと思い、家にある女性向けのエンタメも全部処分してしまった。
被せられた灰ぐらいは、自分で払おう。一人でもちゃんと生きていけたら、もう怯える事は何もない。




