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第十六話 百合の場合〜お菓子の家〜

 子供の頃、ヘンゼルとグレーテルの絵本が好きだった。


 勧善懲悪、ハッピーエンドだが、お菓子の家にワクワクさせられた。ヘンゼルもグレーテル魔女と仲良くしながら永遠にお菓子の家で暮らせないものかと願ったものだ。百合の子供らしい夢だった。


「え、百合ー? サークルの飲み会参加できないの?」

「うん、明日はやいんだ。妹を福祉作業所まで連れて行かなきゃいけないの」

「そうなんだ」


 友達にそう言うと、百合は笑いそうになるのを堪えていた。


「百合、いわゆるヤングケアラーってやつじゃない? きょうだいじっていうの? 何かあったらウチらに頼ってね」

「うん、ありがとう」


 百合は障害者である妹の世話をしていたが、こうして同情される事も少なくはなかった。周囲のこうした言葉を貰っていると、心の奥底にある何かが刺激されて笑いそうになった。


 妹の有栖は子供の頃から「扱いにくい子」だった。幽霊や天使、悪魔が見えるなどと奇抜な言動も多く、両親を手こずらせていた。


 数々の精神科に有栖を見せ、発達障害とか統合失調症と言われ、長らく入院していた。家族は有栖の世話に追われ、百合は家事やアルバイトをしながら支えていた。


 その度に同情されていた。


 同情されている内は、なぜか心の奥にあるものが刺激されていた。その何かはよくわからなかったが。


「ただいま、有栖」


 大学から帰ると、リビングで有栖はクッキーやポテトチップスを食べているのが見える。


 今は薬で症状が抑えられているので有栖は大人しいものだった。引きこもり状態とはいえ、一時期に比べればだいぶマシになった。


 困ったのは退院した後の事だ。精神障害者や発達障害者の福祉作業所や職業訓練施設に通わせたが、どこでも有栖はなじめず、傷ついて帰ってくる事が多かった。


 幸い、今はブスも障害者として福祉が受けられる。今度こそと期待をかけブス障害者達が集まる作業所に通う事になった。


 有栖は残念ながら容姿は良くない。いや、容姿も良くないというべきか。こちらの方面でも手帳が発行され、年金が出ていたが、とても自立できる金額ではない。故に家族が面倒を見る必要があったが、二十四時間ずっと監視していくわけにはいかない。こういった作業所に通ってくれるのは、家族にとっては蜘蛛の糸そのものだった。身内にこういった者がいる苦労は綺麗事では語れない。


 作業所では稼げない。最低賃金以下で奴隷のように働かされる。逆に弁当代やコーヒー代を払う事になるが、家族にとっては作業所という場所が必要だった。利用者の為の場所ではなく、本当は家族の為の場所である事は、重々承知していた。


「お姉ちゃん、なんか魔女の声が聞こえる」


 有栖はクッキーを噛み砕きながら呟く。クッキーの甘い香りが鼻をくすぐったが、なぜか食欲は落ちていた。


「そう、そっか。これから夕飯作るね!」

「お姉ちゃん、ごめんね」

「何が?」

「せっかく大学入ったのに、私のせいでこんな家事ばっかりやって……」


 有栖は目を潤ませていた。百合は再び笑いそうになったが、どうにか堪えた。


 可哀想なヤングケアラー。不憫なきょうだいじ。私はこんなに不幸なの。だから誰か悲劇なヒロインの私を見てね?


 そんな事を思いながらせっせと料理を作っていた。こんな状況下にいる百合だったが、実は大きな不満もない。その証拠にこの家から逃げるという選択肢を見て見ぬフリをしていた。いくらでも逃げるチャンスはあるのに、そうはしていない。


 ここは魔女のお菓子の家?


 有栖の言うように本当に魔女がいるのかもしれないが、こうして楽しく暮らせばいい?


 幼い頃に読んだヘンゼルとグレーテルの絵本を思い出していた。


 そうして翌日。


 有栖と一緒に作業所へ向かった。家から遠い。こういった施設は近隣住人のクレームが多いので、工場地帯にあった。チャリティドラマに感動し涙を流すものも多いらしいが、実際近くに弱者がいるのはお断りなのだろう。「施設コンフリクト」という言葉もあり、日本では特にその傾向が強いという。


「じゃあ、よろしくお願いします」


 桐子という福祉士に挨拶し、百合はすぐに帰るつもりだった。桐子は優しそうな若い女。ここだったら有栖も大丈夫そうだと少しホッとはしたが。


「あれ、ポーチ置いてきちゃった?」


 忘れ物があった事に気づき、作業所の休憩室に戻った。


 この作業所ではクッキーの袋詰めもやっているのでバターの余ったるい香りがする。そんな香りが鼻につく。特にバターの重い匂いがしつこく、何だか気持ち悪くなってきた。


「さっさとやれ! 手を止めるなよ、無能!」


 そんな声も聞こえてきた。さっきの桐子の声だ。


 そっと作業所の方を見ると、利用者達がぎゅうぎゅうに押し込められ、まさに奴隷のように働かされていた。福祉士達はヤクザもののように暴言を吐き、時には暴力も振るっている。桐子が優しそうと思ったのは、勘違いだったのかもしれない。


 有栖もターゲットにされていた。桐子に蹴られ、床にクッキーがバラバラと散らばる。


 止めないと!


 頭ではそう思っていたはずだが、どうにも手が動かなかった。むしろこんな状況を望んでいたのでは無いかと気づいてしまう。


 可哀想なヤングケアラー。不憫なきょうだいじ。


 その立場をぎゅっと握りしめていた。こんな甘くて美味しい地位は手放したくない。


 こういうの何て言うんだっけ? 代理ミュンヒハンゼン症候群だっけ? 周囲の注目や同情を集めるために家族、特に子供を傷つけ、わざわざ病人に仕立て上げる精神疾患がある。


 大学の心理学の授業中、そんな話も聞いた事があったが、百合はこの状況を見て見ぬフリをすることにした。本音では妹の有栖が元気になったり、自立する事は一切望んじゃいない。


 ずっと弱くて不幸のままでいてね?


 百合の心の底にある願いに気づいてしまった。だから有栖が作業所で虐待されたり、福祉士に不倫を強要されていた事を知っても見て見ぬフリ。


 そんなある日。


 有栖が通っている作業所が閉鎖された。職員達が虐待や横領をしていた事が明るみに出たからだ。意外な事にあの桐子という職員が自首したらしい。


 この事で居場所がなくなった有栖は塞ぎこみ、引きこもり状態になった。毎日お菓子を食べながらジワジワと廃人になっていたが、百合は相変わらず甲斐甲斐しく面倒を見ていた。皮肉な事に有栖も作業所での奴隷生活に染まり前より酷くなっていて、父も母もお手上げ状態だった。


「有栖はそのままでいいのよ。ありのままでいいのよ」


 有栖を励ます。有栖の身体から甘ったるいクッキーの香りを吸い込みながら、こんな結末を一番望んでいた。


「そう、ありのままで、あなたは何も変わらなくていいのよ?」


 しかし、有栖は頷かない。代わりに百合の腹に包丁を突き刺してきた。


 床は血で染まり、お菓子の家などどこにも無い。最初からお菓子の家なんて無かったのかもしれない。魔女だけがいた。百合の心の中に。


「あはは!」


 カウンセラーの井崎京子は、有栖の起こした事件の報道を見ていた。美容整形外科でカウンセラーとして働いていた京子は、見逃せないニュースで、ついつい時間も忘れて報道を追う。所詮、他人事なのでニコニコ笑いながら見てしまう。


 ニュース系のネット掲示板では「これだからブスは。殺処分した方がいいんじゃない?」というコメントに沢山のいいね!がついていた。これが国民の本音というものだろう。いくらポリコレ、差別は良くないと言ったところで何の救いもない。綺麗な言葉では誰も救えない。


 京子は笑顔を浮かべながら「人間の心には誰しも魔女が住んでいるのかもねぇ……」と呟いていた。

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