第十五話 桐子の場合〜狼の警告〜
蛇のように賢く、鳩のように素直に。
聖書の言葉だった。別にクリスチャンでも何でも無いが桐子だが「蛇のような賢さ」は全人類に必要な言葉だと思ったりする。
「さっさと貼って! 遅い!」
桐子はブス障害者の作業所で働いていた。もちろん、利用者としてではなく、福祉職員としてだ。
ここでは利用者達がクッキーの袋詰め、ボールペンの組み立てなどの軽作業をやっていた。時給は百円から二百円。福祉作業所の仕事は労働ではなく、訓練扱いになるので最低賃金以下で働かせても全く問題ない。
今はブスも障害の一部となった時代だ。こういった施設の需要はあるが、「景観が悪くなる」「性格悪い奴が多そうで迷惑」といったクレームが近隣住民からあがり、なかなか市街地に作る事ができない。故に桐子が働く施設も市街地ではなく、工場が集まる地域にポツンとあった。
桐子もそんな偏見が無くはなかった。障害者=厄介者という差別意識も消せないまま福祉大学で実習を受けていた。ちなみに福祉大学に行った理由は、将来食いっぱぐれが無さそうだからだ。日本の景気の悪さを常に感じていた桐子は、福祉業界へ行くのが手堅いと考えた。もちろん、利用者を救いたいという希望も夢も無い。はっきり言ってクズだが、周りの同級生も似たようなものだった。ラノベや漫画を描きたいが為に副業感覚で来ているものもいる。福祉=聖人がやっているのは大間違いだと桐子は思う。
そんな桐子は差別意識を消せないまま福祉施設に実習に向かったが、意外な事に利用者は大人しい。むしろ従順で大人し過ぎるものも多かった。確かにブス障害者は景観は悪いが、性格は概ね大人しい。おそらく差別、偏見、いじめなどで大人しくならざるおえない状況なのだろう。
そこで桐子は考えた。ブス障害者達を食い物にしよう、と。
まるで赤ずきんをカモにする狼だが、世の中は弱肉強食。それなりに賢くないとね?
こうして福祉士として作業所で働き始めた桐子だが、快適すぎる。
理由者のブス達は案の定大人しく、頑張って低賃金の仕事をやってくれる。失敗したら怒鳴ってストレス解消もできた。
特に罪悪感もない。先輩や上司達もそうやっていたし、利用者の保護者や家族からもクレームもこない。むしろ家族の厄介者を預かってくれてありがたいという。だから弁当代や交通費を払ってでも、無理矢理にでもここに通わせているという現実があるようだった。
「さっさと働け。手を止めるな」
桐子はそう怒鳴りながら、鶏小屋のような作業所を歩き、利用者達に「指導」を施していた。
こんなパワハラみたいな事をしても大きな問題にならないし、利用者達は赤ずきんちゃんのように従順だ。
さらに桐子は調子に乗り、利用者達に手をあげる事もあったが、問題にはならなかった。
こんな毎日が楽しいかと問われたら、肯定できない。
それにAIには「中途半端なブス」という判定も受け不安も募る。一歩間違えて利用者のようになってしまったら?
夜も眠れなくなり、ついに美容整形外科の門を叩いていた。これだけメンタルも悪化していると、自分がした事が返ってきていると思わされた。
美容整形外科といっても今の時代はトラブルも多発している。即整形は出来ず、カウンセリングルームに行かされた。美容整形外科でもカウンセラーがいる事が普通になっていた。
「よろしくお願いします。井崎京子です」
カウンセラーはアラフォーぐらいの女性だった。白衣を着ていて賢そう。笑顔は優しそうだが、自分と同じものを持っている女だと思った。
「正直ね、私はこんな所に来るクライアントは馬鹿にしてるのよ。内心は馬鹿だなぁと思いながらね」
京子は賢く優しそうだが、そんな事も語っていた。ますます自分と似ていると思わされた。桐子も利用者を馬鹿にして見下している。
「賢いですね。でも、聖書にも蛇のように賢く、鳩のように素直にって書いてるでしょ。別にいいんじゃないですか?」
「あはは」
何がおかしいのか京子は笑い始めた。
「聖書には隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはないという言葉もあるわ。だから私は時々こんな風に本性を語ってるの。あなたは? 大丈夫? 隠している事ある?」
京子はさらに維持が悪そうに笑い続けていた。
針に刺されたように罪悪感が刺激されていた。作業所は利用者への暴言やパワハラだけでなく、セクハラや横領もあった。
桐子は見て見ぬフリをしていたが、京子の笑顔を見ていたら、自己嫌悪でいっぱいになってしまった。
当然、美容整形する気も失せてきた。その代わり警察に自首してしまった。
桐子が自首した事により作業所の犯罪はすべて明るみになり、ネットニュースにもなった。他のスタッフや施設長も逮捕され、他にも色々と余罪があるという。作業所も閉鎖され、取り壊された。
一見良い事のように思ったが、作業所がなくなり、居場所がなくなった利用者が家族を襲ったという知らせも聞いた。
桐子の行動が本当に良い結果だったのかはわからない。
従順さも素直さも賢さが無いと狼達に食い尽くされてしまうのかもしれない。
狼だった桐子は思う。
赤ずきんちゃん達、どうか逃げて。この世の中は狼のように悪い大人ばっかりだよ。間違っても悪い大人に従順さや素直さを発揮しちゃダメ。善い人こそ食い物にされるから。どうか賢くなって逃げて。カモにされていると気づいたらさっさと逃げなさい。
こんな桐子の警告は届くかわからない。赤ずきん達の未来を祈る他なかった。