「最近の若いやつは」と言うけれど、そんな若いコを育てたのは「最近の若いやつは」と言う世代なんで、そんな奴等を反面教師にして立派な大人になってください
少年少女を取り巻く、嫌な事件を目にすることがある。
実際に、嫌な目を見た少年少女も知っている。
周囲の人どころか、大人というものを軽蔑する少年少女もいると思う。
私は大人である。
精神年齢がどうであれ、年齢的には大人である。なんといっても、十八歳を超えているし二十歳も超えている。
社会的に見れば、立派な大人だ。
では、未成年の少年少女から見て立派な大人かと言えば、疑問が残る。
いや。疑問というより、否定しかない。私は、少年少女の力になれるような立派な大人ではない。
もっとも、世の中に「立派な」大人がどれだけいるかと聞かれれば、はっきり言って少数だ。
立派な大人は少数なのに、少年少女に偉そうに説教を垂れる大人は多くいる。
はっきり言おう。世の中の大人は、ほとんどが頼りにならないし、少年少女の道標になんてならないし、なんなら、自分のために平気で少年少女を利用するし、自分のために平気で少年少女を見捨てる。
世の中に数多くあるいじめ問題などはその最たる例であり、世の中に生息しているモンスターペアレンツなんかはその典型であり、世の中にゴキブリのように湧き出る薄汚い犯罪者は害虫のごとき大人である。
当然ながら、私にも子供だった頃がある。当時の私の周囲にも、クソみたいな大人達が多数いた。
本エッセイの主題の前提として、紹介しても問題ないレベルの事例を三つほど紹介したい。
■事例1
私は母子家庭だった。「シングルマザー」なんて言葉がまだ一般的ではなく、片親の子供の割合も、今の時代より少なかったように思う。
当時の私は市営住宅に住んでいて、近所には、仕事を退職して暇を持て余した老人が多数いた。
その老人達は、母子家庭の私について、こんなことを触れ回っていた。
「片親だからロクな大人にならない」
そんな無意味な価値観とともに、私達親子の悪評を周囲に撒き散らした。自分より小さい子をいじめていただの、公園の木に火をつけただの、万引きの常習犯だの。
自分の名誉のために言っておくが、どれもこれも事実無根である。というより、当時小学校二、三年くらいだったので、それほど悪さをする知恵もなかった。
だが、周囲の人達は、老害の話を信じた。
いつしか私には、近所に友達がいなくなった。
友達の代わりに、私をいじめる者達ができた。
ある時期から、私は、近所に住む小中学生にいじめられるようになった。
近所の公園で私がいじめられ、一方的に殴られていても、老害達は気にも止めなかった。私を殴っているのが中学生でも、だ。
同学年のいじめっ子に石を投げられたこともあった。頭に当たり、血がダラダラと流れて声も出ないほど痛かった。石を投げた奴は、痛がる私を見て笑っていた。苛立ちが痛みを上回って、投げてきた奴を追いかけ回し、馬乗りになってひたすら殴った。
私が殴る側になると、そこまでの経緯がどうであっても、老害共は私を非難した。最後には、いつもの言葉を口にした。
「これだから片親は」
◇
■事例2
小学校のとき。
私とは別のクラスで、いじめがあった。
私の記憶に間違いがなければ、確か、小学校三年か四年の頃だ。
いじめられていたのは、私が一年か二年の頃に同じクラスだった子。
近所に友達がいない私にとって、少し離れたところに住んでいる彼は、数少ない友達だった。
だが、私は、彼がいじめられている事実を知らなかった。クラスが別々になって、めっきり話す機会が減っていた。
後から聞いた話だが、いじめの内容は、小学生とは思えないほどひどかったそうだ。
いじめる側数人で彼を囲む。どこのクラスにもいる番長的な奴と、毎日戦わせる。体裁上は一対一。だが、しばしば周囲の奴からも攻撃される。
あるとき、いじめられっ子は限界を迎えた。
いつものように殴られているとき、彼は、図工の時間に使ったカッターを手にした。泣きながら、いじめる奴等に刃を向けた。
いじめる側は何を勘違いしたのか、調子に乗って言った。
「やれるもんならやってみろ」
そして彼は、言われた通りにカッターを振るった。
切られたいじめっ子は、何針が縫う怪我をしたそうだ。
結局、いじめられっ子は、転校を余儀なくされた。
事件が朝のホームルームで周知されて、私は初めて、彼がいじめられていることを知った。
子供心に、彼を元気付けたかったのだろうか。それとも、悔しかったのだろうか。もしくは、クラスが別々になって遊ぶことがなくなっても、転校すると知って寂しかったのか。今となっては理由は思い出せないが、久し振りに彼の家に行った。
久し振りに彼と話した。彼のお母さんとも話した。何を話していたかまでは覚えていない。ただ、やり切れない気持ちだったのは覚えている。
どうして、いじめられた彼が転校しなければならないのか。
どうして、いじめた奴等に罰はないのか。
先生達は――大人達は、誰も彼を守ろうとしなかったのか。
◇
■事例3
この事例に関しては、時期をはっきりと覚えている。小学校五年の頃だ。
階段の踊り場で、私は、上級生――六年生の奴等三人に絡まれた。
素行の悪い中学生の知り合いがいることで、割と有名な三人だった。下級生の私も、彼等の存在は知っていた。
三人は踊り場の角に私を追い込むと、面白おかしく私を痛めつける方法を話し始めた。トイレに連れ込むだの、放課後に近所の川に落とすだのと笑いながら言い合っていた。
話し合いは、結局、こんな結論で終わった。
『階段から落としてみるか』
当たり前だが、本当にやられたら、よほど運が良くない限り怪我をする。下手をすれば命に関わる。
三人は本気だった。本気で私を階段から落とそうとした。必死に抵抗する私を、階段の方に追い詰めていった。
階段の間際まで追い詰められたとき。
咄嗟に私は、三人のうちの一人を階段から突き落とした。体格と年齢で勝る奴を上手く落とせたのは、ある意味で奇跡だった。
落とされた六年生は、階段の下で呻いていた。どの程度の怪我をしたのかは知らないが、よほど痛かったのだろう。
残った二人は呆然としていた。人は、予想外のことが突然起こると、状況を理解するのに時間がかかる。
私は、残った二人も階段から突き落とした。やらなきゃやられる。その怖さだけは、はっきりと覚えている。
落ちた二人は、最初に落ちた奴と同じように呻いていた。
私は、その場から逃げた。奴等が起き上がり、反撃されるのを恐れていた。
次の日、職員室に呼ばれた。
呼ばれた理由は、六年生を階段から突き落としたから。どうやって先生達がその事実を知ったのかは分からないが。
正直なところ、私は、自分を被害者だと思っていた。
たまたま運良く無傷で済んだだけで、本来なら、突き落とされていたのは私なのだから。
だが、先生達の解釈は違っていた。
私は怒鳴られ、怒られた。
先に絡んできたのも、私を階段から突き落とそうとしたのも奴等だ。そんな事情を説明しても、無駄だった。
『やり過ぎだ』
『逃げればよかっただろう』
『怪我をさせる必要なんてないだろう』
『三人に謝れ』
そんなことを繰り返して、私を責め立てた。
当時は、どうしてそんなことを言われるのか分からなかった。今なら分かる。先生達は、私の謝罪をもって、この件を大事にせずに済ませたかったのだろう。
私は、同学年の中でも小柄な方だ。さらに相手は上級生。小学生の頃は、一学年の体力差は大きい。しかも、相手は三人。階段の踊り場に追い詰められて逃げられるはずがないし、怪我をさせないように気を遣って勝てるはずもない。そもそも、まともに喧嘩をしたら、やられるのは間違いなく私だ。
そんな事情を何度も何度も説明した。
意見を曲げず、謝罪の言葉も口にしない私を、どうにか丸め込みたかったのだろう。先生達は、譲歩するようにこんなことを言ってきた。
「もしやられたら、先生達に言えばいいだろう」
的外れな戯言。
私は、大人を見下すことを覚えた。
見下している相手には、思ったことをはっきりと言えた。
「じゃあ、先生達は、自分が殺されかけたときに、無抵抗で殺されてから警察に言うんですね」
先生達は、しばらくポカンとした。
最初に正気に戻った先生が、私を殴った。
「偉そうなことを言うな!」
事なかれ主義を貫き通すために、私を殴った聖職者。
顔も名前ももう覚えちゃいないが、先生の苛立った様子は、たぶんボケるまで忘れない。
無様で、滑稽で、醜かった。
◇
事例を三つほど並べたが、もちろん、こんな大人ばかりではない。
中には、尊敬に値する大人もいる。人生の道標にすべき大人もいる。
本当の意味で「恩師」と呼べる大人もいるだろう。
けれど、と言いたい。
残酷なことを言うようだが、そんな大人は少数派だ。
大半は、今日を生きるためにただただ必死なだけの大人だ。
もう一方の少数派は、クズのような大人だ。
さらに言うなら、クズのような大人の約半数は、クズのくせに立派なフリが上手い、狡猾な大人だ。
私は大人である。
大人の中でも大半を占める、少年少女にとって毒にも薬にもならない大人だ。
よく「少年A」だの「少女A」だのという表記を目にするが、それなら私は「大人A」だ。
そんな一束いくらの大人だからこそ、少年少女に対して思う。
どうか、大人になる前に、できるだけ多くのことを学んで欲しい。
といっても、ひたすら勉強しろということではない。
いや、勉強はできるだけした方がいいが。
それだけではなく、人との繋がりや人を見る目を学び、養って欲しい。
運良く手本となる大人と知り合えたなら、その人を超える人物を目指して欲しい。
運悪くクズのような大人を知ってしまったなら、どうか反面教師にしてほしい。
薄汚い大人に利用されそうになったら、上手く躱す術を身につけて欲しい。会話を録音する、可能であればやり取りを録画する。それらを持って警察へ行く。警察の対応が杜撰であったなら、それも録音や録画をして裁判所に相談する。裁判所の対応も杜撰であったなら、それも録音や録画をしてマスコミに駆け込む。もしくは、ネット上で拡散する。
嫌な大人に嫌な目に合わされたなら、若い世代にはそんな思いをさせない大人になってほしい。
いいものも悪いものも、とにかく色んなことを学び、活かして欲しい。
今の少年少女の大半が「立派な」大人になってくれたら、きっと、未来は明るいだろう。
そんな未来が訪れたら。
そのときにどうしようもない老人になっているであろう私も、助けてもらえるかも。
――そんなことを期待したりしている(※ろくでもない大人の発想)