第4話『直接対決の行方は……?』
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「はあ……はあ……」
学校内のありとあらゆる場所を駆け回り、人体模型から逃げ続ける事、はや五分。
いくら走りに自信があるあたしでも、限界の時は近かった。
そうして、今日で三度目の昇降口前を通りかがかった時、待ちに待った知らせが耳に届く。
『樹希ちゃん! 準備できたよ!』
「おっけ!」
ナイスタイミング!
あたしはニヤリと笑みを零しながら直角に曲がり、昇降口を通り抜けた。
校舎内で準備を整えていた冥に近づかせないために、今までは敢えて校舎の外を逃げ回っていた訳だけど。
ここに来てあたしはようやく校舎に足を踏み入れた。
目指すは一階の、三年A組。
冥が待つその教室に向かってひた走るのみ!
もう後ろを覗き見る余力も残っていない。
けれど人体模型は相変わらずあたしを追ってきている。
その証拠に、あたしの後方で、下駄箱脇に敷かれた簀子を乱暴に踏み鳴らす音が聞こえてくる。
こっちはもうヘロヘロだってのに、スタミナおばけかよ。
いや、というか普通におばけだった。
なんて事を考えている間に、ほら!
三年A組の教室は、昇降口から向かって一番近い教室。
もう目と鼻の先。
そうしてあたしは、ついに人体模型に追いつかれる事なく、三年A組の教室の入り口を通過した。
***
――樹希から少しだけ遅れて、人体模型も教室に入って来た。
教室内には広々とした空間が作られていた。
普通であれば一面に均等に並んでいるはずの机は、冥によって片付けられていた。
さながら掃除の時間のように、黒板側の机を全て後方のロッカー側に寄せていたのだ。
そうして開けたスペースに、樹希は立っていた。
「降参。流石にもう走れないよ」
そう言って肩をすくめる樹希の前方には、先程まで樹希が持っていた《左肺》の模型が転がっていた。
そもそも人体模型が樹希を追い始めた理由は、その左肺を取り戻すため。
人体模型はゆっくりと歩みを進めると、床に転がる左肺を拾い上げ、自らの胸部に納めた。
しかし当の人体模型自身は、それだけに納まらない。
そのままの足取りで樹希へと歩み寄る。
そして拳を振り上げる。
――ちょうどその刹那だった。
パチン。
静かな夜の教室に、スイッチの音が鳴り響く。
人体模型の拳が樹希に触れる直前で、教室の照明が点いた。
同時に、樹希に殴りかかった人体模型は動きを止めた。
まるで透明な壁に阻まれるように、人体模型の拳は樹希に届かない。
――《簡易結界》。
樹希の足元には、星の模様がチョークで描かれていた。
特別な意味を持つその模様が、樹希と人体模型との間に透明な壁を形成し、中に立つ樹希を守った。
描いたのは冥。
樹希が時間を稼ぐ間に準備したものだった。
人体模型は一時的に麻痺したようで、その場から動けなくなっている。
その後ろから、控えめな声が聞こえて来た。
「私、本当に落ちこぼれで。一人じゃ何もできなくて……」
それは冥の声だった。
先程、照明のスイッチを押したのも冥。
教室の入り口付近に立つ彼女は、自らを卑下するように続ける。
「電気を点けて明るくすれば、怪異の力は弱まる。
でもそうすると、私の霊能力も一緒に弱まっちゃうから。
明るい方が力が強くなる《特異体質》の樹希ちゃんがいてくれたから、捕まえることができた。
本当に樹希ちゃんには感謝しかないよ」
「何言ってんの。あたしには《退魔の力》が無い。
結局ただの《視える人》止まりなんだから。
冥がいなきゃ何にも始まらないよ」
冥ひとりの力では、人体模型を麻痺させるほどの簡易結界は成し得なかった。
中に入ったのが、先の《特異体質》を持つ樹希だったからこそ、怪異の力を弱めると同時に結界の力を強め、人体模型を拘束できた。
逆に樹希だけでは、結界を張ることもできなければ、人体模型に対して有効打を与える事もできない。
二人だったからこそ、今の結果がある。
――冥は人体模型に向けて《銃》を構えた。
その銃は、一般的に知られる鉛の弾丸を放つモノとは違う。
冥が持つ《退魔の力》を強めて射出するための呪具。
だが、銃を構える冥は震えていた。
怪異とはいえ、さながら生物のように動く者の運命を断つのだから、それはむしろ正常な反応のように思えた。
ましてやこの人体模型は、大事な臓器を無くされた挙句、それを理由に破棄されるという、身勝手な人間達の被害者でもある。
本当にこれでよいのか。
人間側として、ある種加害者の立場に置かれているからこそ、引き金を引くという、人間都合の理不尽な決着を迎えてよいのかと、心が揺れていた。
「……正解なんて、わかんないよ」
そんな冥の迷いを察した樹希は、切なげに呟く。
「確かに、あの人体模型には同情するよ。
怪異には怪異なりの事情がある。それもわかってる。
でも、あたし達は人間で。こいつは人間を襲った」
冥を諭しながら、樹希は結界を出た。
未だ麻痺して動けない人体模型の横を通り過ぎ、ゆっくりと冥に向かって歩いてゆく。
「あたし達は聖人じゃない。
人間も怪異も平等に救済するなんて、おこがましいと思わない?
……って言っても、冥は真面目だから、背負っちゃうんだろうけどね」
そうして樹希は、銃を構えながら震えている冥の手を握った。
「だからその罪の半分は――あたしが背負うよ」
引き金に添えた冥の指に、樹希の指が重なる。
その優しい温もりに、冥の震えは治った。
「……ありがとう。樹希ちゃん」
パンッ!
響いた一発の銃声は、夜の闇に紛れて消えてゆく――。