第2話『対・怪異特務委員会』
***
「《自分が捨てられないように、田中先生を階段から突き飛ばした可能性がある》……か」
閉ざされた高校の正門を軽やかに飛び越える、ポニーテールの似合う女の子。
彼女は私の話を復唱すると、
「それ、ありそー! てか《動く人体模型》なんてド定番じゃん!」
そう言って、ひらりと後方の私に振り向いた。
一方で当の私はと言えば、よじよじとぎこちなく正門を登っている最中だった。
何度やっても慣れないものだ。自分の壊滅的な運動神経を恨む。
――時刻は夜中の二時を回っている。所謂、丑三つ時。
佐藤先生と別れて家路についた私は、早めの就寝を済ませ、今再び学校へとやって来た。
田中先生の怪我についての話題になった瞬間に感じ取った、妙な気配。
朧げでありながら、確かにあの人体模型から放たれたもの。
それは私の中に一つの仮説を生んだ。その真偽を確かめるために私は――いや、私達は、この時間にやって来たのだ。
ようやく正門を超えた私は、服の乱れを直しながら言う。
「でも予想の範囲を超えないから。付き合わせちゃってごめん」
「いいんだよ。冥は《対怪》の会長なんだから。
どーんと構えて、あたしに指示すればいいの!」
――この高校には度々、現世の理を外れた物の怪の類が顕在化する。
そんな怪異を払うために設立された、一般的な委員会活動の枠を超えた特例的委員会――それが《対・怪異特務委員会》。
通称、《対怪》。
と言ってもその名を呼ぶのは、対怪の存在を知るごく少数の人達だけなんだけど。
元々、霊能力が強い家系に生まれた私は、入学早々に対怪の会長に抜擢されてしまった。
そして二人しかいない対怪の内のもう一人であり、故に自然と副会長の座に着いたのが、私の目の前で笑う快活少女――《朝雛樹希》ちゃんである。
クラスメートでもある彼女だが、昼間の接点はあまり無い。
スラリと背が高く、モデルのように抜群のスタイル。
顔も可愛い。
おまけにその朗らかな性格も相まって、彼女の周りにはいつも人がいる。
――地味で目立たない私の対極にいるような存在。
そんな彼女が何故私と一緒に対怪を務めているのか。
実の所、私には全くわからなかった。
ただ、それでも――。
「……樹希ちゃん。いつもありがと」
「なに、急に!? 気持ち悪っ!」
「ふふ。ごめんね」
――人気者の彼女と秘密を共有している感覚は、嫌いじゃない。
――そんな和やかな雰囲気は、一瞬の内に終わりを告げる事となる。
夜は霊能力者の力を強める。
そして敵である怪異もまた、夜はより強大な力を得る。
つまり夜の学校とは、両者が直接対決をする――《戦場》。
「ッ! 冥!」
不意に樹希ちゃんが声を荒げた。
彼女の視線は、私の上空に……。
ドシンッ!
直後、私の後方から、何か大きな物が落ちた音がした。
私は慌てて振り返る。
そこにいたのは、例の人体模型だった。
地面にしゃがみ込むような姿勢。
多分、生物準備室のある三階から飛び降りて、着地したんだと思う。
人体模型は低い姿勢のまま、まるでクラウチングスタートのように構える。
かと思えば次の瞬間、勢いよく駆け出して――私に向かって突っ込んできた。
「ひっ!?」
ただでさえ不気味な人体模型が、無機質な顔はそのままに、凄まじい速度でこちらに駆け寄ってくる。
私は思わず怯んでしまった。
私と人体模型との距離は僅か数メートル。
縮こまった私の体は思うように動かない。
逃げなきゃ! でも……!
もう指一本動かす隙すら与えてもらえそうに無いッ!
諦めて目を閉じかけたその瞬間。
私の視界の端から、ふわりと軽い身のこなしの人影が割り込んできた。
バキッ!
――人影の正体は樹希ちゃんだった。
私の後ろから飛び出して、人体模型との間に割って入り、そのまま人体模型を蹴り飛ばしたのだ。
「樹希ちゃん!」
樹希ちゃんは私の呼び掛けに答えず、蹴飛ばした人体模型の方を睨んでいる。
一方、人体模型は吹っ飛ばされた衝撃で、胸腹部に嵌め込まれた無数の臓物模型を撒き散らしてしまったらしく、慌ただしい手付きで拾い集めていた。
そんな人体模型にゆっくりと歩み寄る樹希ちゃん。
彼女は散らばった最後の臓物――《左肺》を先に拾い上げると、人体模型に向かって笑いかけた。
「そんなに大事? なら……奪い返してみな!」
わかりやすい挑発を吐き捨てると、樹希ちゃんは踵を返し、人体模型から逃げるように走り出す。
「……ギギ……ギ」
人体模型は首の継ぎ目を横にずらして樹希ちゃんを視界に捉える。
そして樹希ちゃんを追うように駆け出した。