僕らはみんな他人同士
本日二回目の投稿です。読み飛ばしにご注意ください。
「これが転移の魔法陣!」
始めて見た! と声を上げるトゥレラージュに、ルネッタはふんすと胸を張った。
転移魔法専用の広間いっぱいに書いた巨大な魔法陣と、床に埋め込んだ四十八個の魔法石は、ルネッタと魔法開発部の自信作である。
「はい。私が生まれた国、魔法使いの国で開発されたものに、みんなで手を加えました。まだ改良中ですけど」
あちこちにいる魔道士たちが、ながーい羊皮紙とペンを持ってうんうんと頷いている。
必ずやりとげる、という魔法を愛する者同士の誓い、もとい好奇心を確かめあったルネッタの前に、こつりと一人の導師が歩み出た。
「みんなで、などと。恐れ多いですよ」
「シャオユン」
顎のあたりで切り添えた水色が交じる黒い髪を耳にかけ、シャオユンは静かに微笑んだ。
黒地に銀色の刺繍が美しい袖が揺れると、ふわりと甘い香りが鼻を掠める。そばにいるとたまに感じる香は、ルネッタがシャオユンを素敵だなと思っていることの一つだ。
「ご機嫌よう、陛下、ルナティエッタ様」
「よう。朝から悪いな」
「とんでもないことでございます」
どうぞ、と魔法陣の中央に促すシャオユンに、トゥレラージュは「それで?」と声をかけた。
「恐れ多いっていうのは」
「ああ、トゥレラージュ殿。無事のお戻りなによりでございます。ルナティエッタ様の兄御になられたとか。おめでとうございます」
「わー、相変わらず会話になんねぇこいつ」
「ルナティエッタ様の騎士に就任なされたそうで。まこと、めでたい」
淡々と話すシャオユンの言葉には「おめでたい」という響きはすこっしも感じられないし、ちらりとトゥレラージュを見たきり視線は魔法陣一直線。ルネッタだってそれが失礼ってことはわかるんだけど、トゥレラージュもヴァイスも気にした様子はない。
「まあ可愛い妹ができて本当にめでたいけどね! 聞けよシャオユン、ルネッタがさ」
「それで、この魔法陣ですが」
「あっはっは、ほんと公用語覚えてくんねぇなあこの東人は!」
公用語がわからんてぇより、トゥレラージュの声が聞こえていないかのように、シャオユンは顔色一つ変えない。
ルネッタがシャオユンのことをすごいな、と思うところの一つは、こういう周りをまっっったく気にしないところだ。
例えば、実験中に部屋の温度が急上昇して、みんなで「暑すぎる」と汗をかいている時に、「腹が減った」と突然、姿を消すのがシャオユンという男だ。朝食を食べたばかりの時間帯だったが、腹が減ったならまあ仕方がない。うん。思わずシャオユンの背中を眺めてしまった一同であったが、気を取り直して実験に戻る。
その日は、気温を一定に保つ魔法を常時発動できる装置を開発しているところで、作物が育ちにくい地域に、魔導士がいなくても魔法の温室を作れないかと実験しているところだった。
この国は魔導士がとても少ないので、魔導士を育てることと魔導士がいなくても機能する魔法道具の開発は急務であった。
どちらもうまくいけば国民が喜び、国が豊かになる。良いことだ。
この城の魔道士たちは、次々とルネッタにおもしろい話を持ってくる上に、そのどれもが誰かのためになることであったから、ルネッタは夢中になって実験に参加した。時には夢中になりすぎてしかられたりもするけれど。
さて、そんなルネッタでさえも、シャオユンがぐつぐつと煮えた赤いスープを持って戻ってきたときは手を止めて固まった。驚きに驚いた。暑いのに。熱いスープ。しかもめちゃくちゃ辛い赤いスープ。え? なんで? なんで? ご親切にも人数分用意されたそれに、誰もが思ったが口にできなかった。シャオユンが汗だくになりながら、満足そうに平らげていくので。
ただただ食べたかったんだなあ。
誰もがシャオユンの食欲に同意できなかったが、誰もがヒーヒーと涙を浮かべてスープを口に運んだ。熱いし暑い。辛い。でも、美味い……!
なんだか奇妙な熱気が満ちる実験室で、汗に濡れた髪をかきあげたシャオユンは「ひどい有り様だ」とやたら楽しそうだった。いや、誰のせいだよ。誰かが鼻水混じりに言ったが、シャオユンは気にしない。自分のやりたいことをやるだけなのだ。
──こういうところ、ちょっとへーかに似てます。
冷たくてピリッと辛いスープが揺れる自分用の小さな器にスプーンを入れながらルネッタは思ったのだった。
それはともかく。
「彼の国の魔法陣はルナティエッタ様が改良しても尚、書くだけでも相当量の魔力が必要なくせに、使い切りで、数人を運ぶのがやっとでした。しかも、発動するための魔力の消費も大きい。これでは国を行き来するのに不便です。そこで俺達は三つの目標を立てました。半永久的に使えること、大人数で転移ができること、そして術者の魔力の消費量を抑えることです」
つらつらと語られるシャオユンの説明に、ヴァイスがこちらを見るのでルネッタは頷いた。
「保存魔法の『魔導力の状態を保存し変化させない』効果があっても、せいぜい一か月程度しか持ちませんでした。魔力の消費量に耐えきれずに、魔法陣そのものが持つ魔力はすり減って消えていったんです。結果的に、発動のためにより大きな魔力を求められ非効率でした」
「しかも、魔法陣を一ヶ月も持たせることができるのなんて、ルナティエッタ様だけです。俺じゃ札を使っても一週間てとこですね」
ちなみにシャオユン以外だと、魔法陣は数回使用しただけで消えてしまった。魔力量が多く、かつ魔導力の扱いが上手いシャオユンだからできたのだ。「誰もが便利に使える魔法陣」としては、保存魔法は愚策であった。悔しい、と眉を寄せたルネッタは、ならばと魔法陣を書き換え魔法石を埋め込むことを提案した。
「魔法陣に込める魔力量を増やし、かつ補助の魔法石を埋め込むことで、発動に使う魔力の使用量を可能な限り抑えることにしました」
「ほうほう」
トゥレラージュは、しゃがみこんで魔法陣に手をかざす。
おやとルネッタは瞬いた。
「魔法陣が読めるのですか」
「少しだけだけど……ずいぶんと複雑な魔法式だなあ! 初めて見た!!」
そうでしょう、とルネッタは大きく頷いた。
「魔法開発部の皆さんは、国も種族もバラバラですから」
「ああ、なるほど」
黙って話を聞いていたヴァイスが、にやりと顎を撫でる。
心底意地が悪そうな笑みだが、これは心底楽しそうな笑みだ、ということをルネッタは知っているので、ふふんともう一度頷く。
「我が城には多種多様な知識が集まる。これはまさに、その結晶ということだな」
「です!」
両手を上げて元気いっぱいにお返事をするルネッタに「ですね」と笑うシャオユンは、東のとある国で魔道士は「導師」と呼ばれ、杖ではなく「札」という紙を使うことを教えてくれた。
他にも、「奏者」「エクソシスト」「シャーマン」など、魔力や精霊、神と深い繋がりを持ち様々な魔法を使う者がこの城には集まっている。お互いに知らないことばかりで、情報交換から実験が始まるのが魔法開発部の日常であった。そんなんもうワクワクじゃんね。ルネッタなんか魔法開発部に訪れた初日に興奮しすぎて熱を出したくらいなんだから。
ヴァイスは「おもしろい」と思った者をどんどん引き込み、ヴァイスを「おもしろい」と思った者が彼の城で新しいことをどんどん試していく。そうやって、オブドラエルという国は急成長を遂げている。
「あのへんの術式はヤハトゥが考えてくたもので、あっちはデイミアン、この辺からあの辺まではシャオユンで、魔法石の埋め込みはハルビオートが考えてくれて、それで」
ルネッタが名前を呼ぶと、魔道士たちは「えへへ」と頭をかいたり鼻をかいたりした。ヴァイスはこの国の王様でみんなの主なので、ヴァイスに功績を知ってもらうのは嬉しいことだもんな。ルネッタは俄然やる気になって、全員の名前をあげていく。
ヴァイスはその一つ一つに頷いた。
「──そうか。皆、よくやった。褒美に……そうだな。給料と予算のアップ、特別手当を約束しよう」
わあ!! と魔道士たちは声を上げた。拍手喝采! ぴゅーいと口笛まで飛んでいる。お祭り騒ぎだ。ルネッタも嬉しくなって、ちょっとだけ跳ねてみる。
「さすが我が王!」
「王様万歳!!」
「調子が良い奴らだな」
喜びの声が響く中で、シャオユンはおもむろに「大事なことが」と手を上げた。
ルネッタが首を傾げると、シャオユンは目元を優しく緩ませる。
「解釈もルールも違う俺たちの『魔法』を繋ぎ合わせたのはルナティエッタ様ですし、空気中の魔力を自動で取り込むなんて荒唐無稽な術式を組んだのもルナティエッタ様です。ルナティエッタ様がいらっしゃらなければ、この魔法陣が世に生まれることはなかったでしょう」
「そんな」
ルネッタは慌てて首をぶんぶんと振る。両側で揺れる髪の毛がばしりと顔にあたって痛いがそれどころじゃない。
「私がいなくても、みんなはできたはずです」
「転移の魔法陣が、あの国から我々の手にそう簡単に渡ると思えませんし……ルナティエッタ様がおられなければ魔法陣の進化は少なくとも後200年は遅れたでしょうね」
「言い過ぎです!」
「そうですね。400年の遅れに訂正します」
「!」
増えた! なんでか増えた!!
ぴしゃー! と雷に打たれたように震えるルネッタに、ヴァイスがくつくつと笑う。衝撃を受けたルネッタを見て笑うなんて! やっぱりヴァイスは意地悪だ。
ぷんすことルネッタが睨むと、ヴァイスは笑う顔を隠しもせず頭を撫でてくるので、ルネッタはむっとする。ご、誤魔化されたりしないぞルネッタは! 怒りが静まったりなんかしていないんだから!
「褒美、考えとけよ」
「ごほうび……!!」
ルネッタが両手を握ると、ヴァイスは「おう」と笑う。すっかりご機嫌がなおっちまったことに気づかないフリをして、ルネッタは魔法陣に手をかざした。
「では、ちゃっちゃと済ませましょう!」
「ねぇねぇシャオユン私の妹可愛くない??」
「お前より俺の方がルナティエッタ様と仲良しだ」
「シャオユンが誰かと張り合ってんの珍しいな」
よくわからない会話をバックミュージックに、ルナティエッタは魔力を流す。
「行ってらっしゃい!」
「ちゃんと戻ってきてくださいね!」
元気に手を振ってくれる魔法開発部の面々に、ルネッタは頷いた。そんなの当たり前だ。
だって、ルネッタの帰る場所は、ここだもの。
あの国では、あの部屋ではない。
──ルナティエッタが育った、あの窓のない部屋じゃない。
高く高い場所に、鉄格子のついた小さな四角い穴があるのがなんとなく見える、冷たい部屋。
あの向こうが外なんだろうなってくらいしかわからない。けれど、そこから入る日差しが少しずつ増えていくのを眺めるのが、多分ルナティエッタは好きだった。
あの部屋にいた時は「好き」という感覚が明確でなかったルネッタも、最近は「好き」がわかってきたんだから。ふふん。
「行ってきます!」
だからルネッタは、大好きな仲間たちに手を振り返した。
次回から週末更新予定です。
お付き合いいただけましたら幸いです。