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日が昇る音

 ルネッタの朝は早い。


 日が昇る前に自然に目が覚めてしまうのは、染みついた習慣である。まあ、起きようと思って起きているわけではないんだけども。

 暗闇が追いやられる時間になると、魔導力が肌を撫でるように、こう、身体の表面がそわそわするのだ。寝てらんないくらいに。

 光の魔力が強くなり、暗闇の魔力が弱くなる。そんな感じだろうか。もしかすると、光や闇の魔法は時間帯の影響を受けることもあるのかもしれない。試してみたい気がするけれど、朝っぱらから実験なんてしていたらきっとヴァイスに怒られるのでルネッタにしては珍しく、思うに留めている。


 ただ、少しずつ明るくなっていくのを感じるのが好きだったので。


 ルネッタは身体を起こすと、サイドテーブルの水桶に手を伸ばした。

 寝る前にメイドが用意してくれたそれに、同じくメイドが置いてくれていた真っ白の布を浸す。ぎゅう、と絞って顔を拭うとさっぱりするから不思議だ。

 魔法で身体の汚れをなかったことにするくらい、ルネッタは朝飯前だ。文字通り。

 でも、この城じゃそれをやるとみんな悲しそうな顔をするので、ルネッタは自分にそれを禁じている。侍女やメイドの悲しい顔を見ると、ルネッタの心はぎゅうと、絞られた布みたいになるんだもの。あれ、嫌な感じなんだ。


 顔を拭いた後、布を桶に入れてルネッタは床に足を下ろす。

 もふん、と素足が埋まる毛足の長いカーペットの感触が、ルネッタは好きだ。草のチクチクとする青さも、じゃりじゃりとした地面も、温かみのある木の床も、好きだけど。

 ルネッタは裸足で歩くのが好きなのだ。怒られるから人がいるところでは、やんないけど。いつか謁見の間の赤いカーペットも裸足で歩いてみたいなあと思っているのも、内緒だ。絶対、怒られる。んでも、ヴァイスは笑ってくれそうな気もするんだよなあ。

 やっぱりいつか言ってみようかな、とルネッタはサイドテーブルに用意されているポットの紅茶を、カップに注いだ。あんまり入れると零しちゃうから、「はんぶん、はんぶん」と慎重に。


「できた」


 良い感じに揺れる綺麗な琥珀色に「むふん」と満足のため息をつき、ティーカップを持ってルネッタは歩く。もっふもっふとカーペットの感触を楽しみながら。

 気持ちが良くて、朝だなってわくわくする感触に、心が跳ねる。


 窓の外を見ると、右側の空はまだ暗く、左側の空がうっすらと明るくなり始めていた。

 こんなふうに、夜と朝が混じり合う空がルネッタは好きだ。

 もちろん、夜だか朝だかわかんない曇り空も、雨の日の水滴が延々と落ちてくる空も好きだけど。つまり、そう。なんでもいいのだ。

 ただ空が好きなだけ。

 日中はやることがいっぱいで忙しいので、空を眺める時間は朝くらいしかない。夜は遅くまで起きているのが見つかると、いろんな人にしかられてしまうので。


「今日はお天気」


 窓辺に座り、日差しが強くなっていくのを眺めながら、ぬるい紅茶をすする。美味しい。そんで、眩しい。すっごく眩しいのが、ルネッタは楽しい。鼻歌なんか歌ってみちゃったり。ふふん。へったくそなのはわかっているし、自分でも何を歌っているのかわかっちゃいないので、これもルネッタが一人きりの時だけのお遊びだ。

 楽しい時には歌うんだって教えてくれたのは、ヴァイスの側近のフェルで、彼はとっても歌が上手かった。身体が思わず揺れちゃうのが魔法みたいでおもしろかった、とルネッタは思い出すだけでわくわくする。


「フェルの歌も好き」


 こつん、とルネッタの額が窓にぶつかった。ちょっと痛い。

 ルネッタの寝室にはカーテンがない。ルネッタは朝が来るのを眺めることが好きだと知ったヴァイスが、取り外させたのだ。だから隔たるものなく思う存分外を眺められる。

 本当はガラスも邪魔だなとルネッタは思っているんだけど、窓を開けた事がバレると大層しかられるので我慢している。いつだったか、びゅうびゅうと風が吹くのがおもしろくて寒いのを我慢していたのがまずかった。もう同じことはしないと言っても、ヴァイスは信じてくれない。


『じゃあ雨が降っていたら? 雪が降っていたら? お前、我慢できんのかよ』


 と言われて、ルネッタが目を逸らしたからだ。あれはまずかったな。なんで嘘がつけないんだろなあ。ヴァイスがルネッタの考えている事をなんでも読めちゃうから今更、っていうより、ルネッタはなんでかヴァイスに嘘がつけないのだ。


 夜更かししただろ。

 その山のような本を今日中に読むつもりじゃねぇよな。

 おい、お前今後ろになんか隠したな。

 一人で木に登るなと言ったはずだが、まさか登ってねぇよな。


 答えがわかってますよという顔で問うヴァイスに、ルネッタは一度も嘘をつけたことがない。

 表情が読めないと評判のルネッタは、ヴァイス以外なら首を振るだけで誤魔化せるのに、ヴァイスを前にすると身体が動かなくなる。なんぞ魔法でも使ってんじゃなかろうか。って、んなわきゃないか。あの王様は魔力を扱えないからな。


「朝が来た」


 すっかり眩しくなった空が、「おはよう」と笑うのでルネッタは「おはよう」と目を細めた。今日も大満足だ。




「おはようございますルネッタ様」


 小鳥の囀り、兵士の掛け声、挨拶を交わすメイドの笑い声、蹄の音。少しずつ音が増える頃になると、侍女とメイドが部屋にやって来る。


「おはようございます」


 ベッド横の桶と手ぬぐいが片付けられ、ベッドを整えられ、そして着替えの準備が進められる。

 簡単なドレスであればいくらルネッタでも一人で着替えられるのだけれど、城に来たばかりの頃、着替えが済んだルネッタを見た彼女たちに悲しそうにされたので、それ以来大人しくしているのだ。

 この城の人たちは、ルネッタの思いもよらないことで肩を落とすので、ルネッタは慎重に動かねばならんので大変なんである。まあ、そのすべてがルネッタを思いやってのことだとわかっているので、なんというか、嬉しい気持ちもあるんだけども。


「今日はどれにいたしましょうか」

「こちらのドレスは? 大きなリボンが可愛くてきっとお似合いになるわ!」

「待って、こっちのドレスだってあえてのクラシカルなデザインがきっとお可愛いわ!!」

「恐れながらこちらのドレスもお可愛いかと! 紺色の刺しゅうですよ!!!」

「ルナティエッタ様!」


 真剣な顔でドレスを睨んでいた、侍女のルイラとアーリアやメイドたちが一斉にこちらを向くので、ルネッタは思わずびくりと跳ねた。ちょっと怖い。


「本日のご予定は?!」

「えっと」


 ルネッタは薬草園に行ったり魔法開発部の魔導士とああだこうだとやったりと、草に土に薬品にまみれてしまいがちなので、自分の行動とドレスが無関係でないことを一応知っている。ので、大人しく予定を告げると、侍女とメイドがぎしりと固まった。


「……それはつまり」

「いつも以上に気合を入れるわよ!!!」

「イエスマム!!!!」


 元気よく叫ぶレディたちに、ルネッタは首を傾げた。何その掛け声。






「わー! かわいいねルネッタ! ふわふわのツインテールだねえ」


 鏡の前で綺麗な手にこねこねと捏ねられ、ドレスを着せられ髪を結われたルネッタが食堂に向かおうと廊下に出ると、トゥレラージュがにっぱりと笑った。

 橙色の瞳は今日もきらきらしい。


「ツインテール?」


 髪型を褒められているらしいと気付いたルネッタが首を傾げると、耳の横で結われた髪が頬を撫でる。くるくるとうねるように形を変えられた髪が視界の隅で揺れるのはちょっと鬱陶しいけど、さすがのルネッタも口に出さない。それが失礼だってことはわかるようになったのである。顔を振ると髪が揺れるのも楽しいし。


「尻尾が二つでしょ」

「しっぽ。なんのでしょう」

「え、なんだろ。馬?」

「それは良いですね」

「あ、良いんだ」


 時々二つに結われる髪型は「ツインテール」というらしい。ははあ、なるほど。高いところから落ちる髪のシルエットや、揺れる姿は馬の尻尾に似ているかもしれない。

 ヴァイスの愛馬、カタフが真っ赤な毛並みの尻尾を揺らす美しい姿を思い出し、ルネッタは「良いです。とっても」と頷いた。


 うはは、と笑うトゥレラージュはルネッタと初めて会った時と違う服を着ている。いつもヴァイスの隣に立っているフェルと同じ、他の兵士より豪華な服はルネッタの護衛の証らしい。

 トゥレラージュは、こうして毎朝ルネッタを迎えに来て、「おやすみルネッタ」とルネッタを部屋まで送るのだ。さすがに夜の警護は他の兵士と代わるらしいが、いいのかな、とルネッタは首をひねる。


「飽きませんか」

「え、何が?!」

「私と毎日一緒にいて、飽きませんか」


 何それ、と笑うトゥレラージュに、ルネッタはほっとする。この新しい兄は、なんだかいつも楽しそうで、ルネッタの心配事をこうして笑って吹き飛ばすのだ。


「可愛い妹と毎日一緒で、お兄ちゃんは楽しいよ」

「変わっていますね」

「えー? 妹が可愛いのは常識だよ」


 ふうん? とルネッタは首を傾げた。んな常識は聞いた事がない。

 だとしたらこの世の妹はみいんな兄や姉と仲良しってことになっちまわないか。そんな馬鹿な。


「そんなことを言うのは、お兄ちゃんだけです」

「ねー、常識知らずが多くて困っちゃうよね」


 私の兄も常識を知らんのですよ、とトゥレラージュは首を振った。それはつまりやっぱり、そんな「常識」を語るのはトゥレラージュだけなのではと思ったルネッタであったが、「おや」とトゥレラージュが瞬いたので視線を動かす。


「へーか」

「おう」

「おはようございます陛下」

「ああ」


 いつものラフな格好ではなく、全身真っ黒の「よそ行き」の格好をしたヴァイスは、ルネッタを見て「へえ」と笑った。


「また今日はずいぶんと可愛らしいじゃねぇか」

「!」


 か、かわいい……?

 ルネッタはちょっと驚いてヴァイスをまじまじと見上げた。

 この文脈だと「髪型が」とか「ドレスが」とかではなく、「ルネッタが」可愛いってことになるんだが、いいんだろうか。大丈夫かなこのひと。


「なんだよ」

「かわいいっていうのは、ふわふわで、きらきらです」

「あ?」

 

 首を傾げたヴァイスは、ひょいとルネッタの髪をすくった。

 大きな手。

 長い指。

 大きくて力強い手に絡みつくようにして、するりとルネッタの髪が落ちていく。


「ふわふわで、キラキラだろ」


 ふ、と目を細めるヴァイスの顔にはいつもの意地悪さはどこにも無くて、ルネッタの喉で「ふわふわなのはルイラがつくってくれた髪型で私ではないです」と言う言葉がもにょもにょと転がっていく。


「飯食ったら行くぞ」


 どうしてかしら。ぽん、と後ろ頭を撫でるように置かれた手の平がやたら熱く感じて、ルネッタは頷くしかできんかった。



 今日は、ルネッタが生まれた国に行こうって日なのに。

 こんなんで大丈夫かなあって不安すら、熱が曖昧に溶かしてく。

 


 



更新再開!ということでこの後もう一話更新します。

よろしくお願いします。


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