みんな揃って青空の下
口が大きい。
が、と。大きく切り分けたステーキが、たった一口で消えていく。
なのに、もくもくと静かに咀嚼して、飲み込んで、ソースが跳ねることも垂れることもない。ばく、ばく、と瞬く間に食べ物が消えていくのに、物音を立てず、所作は綺麗なんだから、ふっしぎ。
その不思議な食事を見るのは、ルネッタの楽しみの一つだ。
「今日の予定は?」
ふと目が合ったヴァイスが言うので、ルネッタはパンを飲み込んだ。ごっくん。
「温室を見に行きます」
「薬草園じゃなくて? 珍しいな」
器用に片方の眉を上げたヴァイスに、ルネッタはこくりと頷いた。
城の魔導士が丁寧に管理していた場所に、ルネッタの希望する薬草がどんどこ増えている薬草園は、ルネッタのダントツ一位のお気に入りポインツではあったが、今日のメインは違う。
「温室のお花が、見ごろなんだそうです」
「そうか」
ヴァイスは、くしゃりと眉を寄せて笑った。
眉間に皺を入れて笑うのはこの男の癖なのだ。いっつも眉間に力を入れて疲れないのか、ちょっぴり不思議なルネッタである。ルネッタは、なんとなく、自分の眉間に触れてみた。
いつも通り平坦だった。つるん。
「何してんだ」
「……いえ。へーか、なんで、笑ったのかなって」
「あ?」
笑ってたか? とヴァイスは口元に触れ、ふ、と唇の端を持ち上げた。意地が悪そうなその笑みもまた、いつものことなのでルネッタは気にしない。
「お前が花に興味を持つなんざ、良い傾向だと思ってな」
「お花、好きですが」
ルネッタが首を傾げると、さらりと自身の黒い髪が腕を撫でる。侍女のアーリアが今朝も丁寧に梳いて、それぞれの耳の横で束ねてくれたのだ。頭を動かすたびに髪の毛が揺れて、いつもと違う感覚がちょっと楽しい。頭の位置を戻すと、さら、と黒髪がまた揺れた。
「お前が好きなのは、魔法に使える薬草の花だろ」
うむ。
その通りだったのでルネッタが頷くと、ヴァイスはパンを手に取る。ルネッタの片手くらいあるパンを、綺麗に半分にしながら、ヴァイスは笑った。
「花が綺麗だからって鑑賞するのは、良い事だよ」
「いいこと」
ああ、と頷いたヴァイスは、ばくん、と半分にしたパンを一口で放り込んだ。
綺麗なお花を見るのは良い事。
ヴァイスがそれになんでご機嫌なのか、ルネッタにはわからんかったが、ヴァイスが喜んでくれるならルネッタも嬉しい。
それよりと、もくもくと動く口元を見ながら、ルネッタは目の前の皿に視線を戻した。
ヴァイスの皿よりも小さくて数が少ないそれは、ルネッタの事を考えて、ルネッタのためだけに並べられたものだ。
残すとヴァイスの説教が始まるので、ルネッタも食事をしなくてはいけない。ヴァイスの食事を眺めたって、自分の皿は空かないのだ。んなのは当たり前なので、ルネッタはサラダも、魚のソテーも、豆をクリームで煮たやつも、食べなくちゃあならん。
なんかすでにお腹いっぱいな気がするんだけど、怒られるのは嫌なので。ルネッタはナイフとフォークを手に取る。
ヴァイスがそれを満足そうに見ているので、ルネッタはやっぱりお腹いっぱいな気がした。
「薬草園に寄ってもいいですか」
ぽかぽか良い陽気。
気持ちの良い太陽の暖かさを感じながら、ルネッタは侍女と共に城内を歩いている。
んで、ルネッタが見上げると、侍女のアーリアはふわりと笑った。
「勿論でございます」
甘くて美味しいミルクティーみたいな優しい色の髪をした侍女は、ルネッタが何をしても何を言っても、いつもにこにことしている。
後ろを歩かれるのが落ち着かなくて、隣を歩いてほしいとお願いした時も、今のように笑っていた。
「ルナティエッタ様、わたくしに問わずとも、お好きな場所にお好きなように行かれてくださいな。ただし、木登りは駄目ですよ」
め、と人差し指を立てるアーリアに、ルネッタはこくりと頷いた。
危ない事はしない。
ルネッタは、ヴァイスと交わした固い約束、というか契約書を書かされた、いやあな記憶を忘れていない。っていうか、忘れられない。いろんな意味で。
ふと、ルネッタは、空を見上げる。
真っ青で、雲が浮いていて、広い。
あの部屋にいた時は、空なんて見えなかった。
空が本当に青いんだってことも、雲が本当にふわふわで白いんだってことも、ぜーんぶ、ルネッタは本でしか知らなかった。
風が流れて、雲が流れて、天気が移り変わる。
知識としては知っているし、この世の全てを構成する魔導力の流れを感じることで、その仕組みは知っていたけれど。ぜんぶぜんぶ、想像でしかなかった。
──ルネッタはもう、一人ではない。
側には必ず侍女がいて、何かあれば兵士がすっとんでくる。
ルネッタの身体に何かあれば、みんながその責任を問われてしまう。自分なんかのせいで、誰かが怒られるのは嫌だ。
それをきちんと理解したルネッタが「大丈夫」と言うと、アーリアはにっこりと笑ってくれた。
胸のあたりが、ほわん、とあったかくなるような笑顔を見ながら、ヴァイスの言葉を思い出す。
『お前が心配だからだ』
真っ直ぐに、真っ直ぐに。
胸を突き刺すような、真っ直ぐな瞳と言葉。
『わかったか』
困ったように笑う、その顔。
思い出すだけで、きゅうと胸が鳴いて、息苦しくて、でも、嫌じゃない、へんてこな気持ちが、ルネッタの心をあっためる。
ルネッタは、アーリアの顔を眺めた。
丸いブルーの瞳と長い睫毛、ピンク色のほっぺと唇が綺麗な、ルネッタに「かわいい」を教えてくれた侍女は、首を傾げた。
「アーリアも、心配、して、くれるんですか?」
馬鹿みたいな質問だ、とルネッタは思う。
優しいアーリアは「そんなわけない」と鼻で笑ったりしないだろう。わかりきっていることを、一々確認するのは、なんて無駄なんだろうか。
大体、突然こんな事を聞かれてはアーリアはびっくりしてしまうに決まっている。
なんだか恥ずかしくなって、取り消そうとルネッタが口を開くと、
「ルナティエッタ様!!!!」
後ろから大きな声がかかって、ルネッタはびくりと肩を跳ねさせた。
どきん! と心臓が大きな音を立てて、どくどくどくどく、と太鼓を叩き続ける。思わず胸を押さえて振り返ると、花びらみたいに綺麗なピンク色の髪をした、妖精みたいに綺麗な顔が、くしゃりと歪められた。
「ルイラ」
「……っ! はい! ルイラです! ルイラーニャですよ!! ああルナティエッタ様! どうか不敬をお許しくださいっ!」
不敬?
不敬ってなんじゃろかいな。ルネッタは、がばりとルイラに抱き込まれて瞬きした。柔らかくて良い香りであったかい。なんだか、ふわふわした気持ちになるんだけども。
「不敬?」
「お仕えする侍女の身でありながら抱擁するなど、申し訳ありませんルナティエッタ様! ご無礼をお許しください!」
ぎゅうう、と抱き着かれて、なるほど、と思ったけれど。やっぱり嫌じゃなかったので、ルネッタはぎゅうぎゅうの腕の中で、ゆるく首を振った。
「やじゃないので、謝らないでください」
「ルナティエッタ様!!!」
ただ、どうしたら良いのかが、よくわからん。
こんな風に、誰かに抱きしめられるなんて、慣れていないのだ。動いて良いのか良くないのか、もうなんか色々よくわかんなくて、ルネッタは直立のままアーリアを見上げた。
目が合うと、アーリアはやわらかく笑う。
「ルイラも、わたくしも、ルナティエッタ様と彼の国の王とのお話を聞き、とても心配していたのですよ」
ルネッタは、驚いて目を見開いた。
それは、ルネッタの先の問いの答えであったし、ルイラのこの抱擁の答えでもあるらしかった。
心配。
心配かあ。そうかあ、とルネッタの心が、むずむずとする。指先がきんと冷えて固まったとき、魔法を使って指先を温めたみたいな、そんな感じ。
「おやまあ、熱烈! 女性同士は良いなあ。俺も帰還の抱擁をしていただけますか?」
はは、と軽やかに笑ったのは、ルイラが走ってきた方向からやってきた男だ。
見慣れた軍服に、太陽を弾くキラキラの波打つ銀髪を後ろで結んだ、背の高い男が、ルネッタに柔く微笑む。おてんとさんかってくらい、眩しい笑みは、城中、どころか町中の女の子の憧れらしい。
「フェル」
「はい、フェルアドール・ナインセア、及び第一部隊、無事帰還致しました」
うやうやしく頭を垂れたフェルの後ろで、男たちが右手を挙げ、礼をとる。
ルネッタよりもずっと大きくて、強くて、立派な男たちが、ずらりと並び、自分に向かって畏まるのは、何度見ても慣れない。
ぐすぐすと泣きながらルイラがルネッタから離れたので、ルネッタは前に出た。
「楽に、してください」
ルネッタが言うと、わかっていたようにフェルは顔を上げ、兵士は手を下ろした。
皆一様に、にこにこしていて、ルネッタは、きゅっとスカートを握った。
「……みなさん、私、」
つい最近、ルネッタは旅をした。
それは隣国の夜会に参加するついでに、モンスターの肉を味わうというヴァイスの旅だ。
行くか? と問われて、ルネッタはいっぱい考えて、迷って、それで、連れて行ってほしいとお願いした。
往路は、団体旅行だった。
途中で宿に泊まりながら、賑やかな街や道を行き、ルネッタは侍女と馬車で揺られる、王様らしい旅。
肝心の王様は愛馬に乗って先頭にいたから、まあ、ちゃんと王様らしい旅かって聞かれりゃあ、迷っちまうところだけども。
復路に比べりゃ、王様らしかろう。
なにせ、夜会が終わった後は、二人だけで馬に乗って出発した。
護衛についていた第一部隊は、同じ道を辿り、さも王様がいるかのような行進をして、その裏でルネッタとヴァイスは旅をする。文字通り裏道ばっかりの旅の目的は、モンスター料理と珍しい薬草、というとっても王様らしい旅だ。
ヴァイスは、自分より体の大きな相手を剣も使わず負かせる王だったし、ルネッタは魔法だけには絶対の自信をもつ魔女だ。
そもそも護衛なんざいらんのである。
なのに、腕利きの第一部隊を連れた大仰な旅をしたのは、ひとえに見栄のためだという。
『公式訪問なのに、どう見てもチンピラの王様をチンピラのまま差し出したら恥ですからね』
と、にっこり言ったのはフェルで、メイドが乗る馬車や、道中の宿を手配し、途中でヴァイスの身支度を整えさせた張本人である。
そんなフェルは帰路の旅にて、ヴァイスとルネッタを襲う計画を立てていた魔導士たちを、第一部隊を率いて一網打尽にしてみせた。
「ルナティエッタ様」
呼ばれて、ルネッタは自分が俯いていたことを知る。
はっとして顔を上げると、フェルも、その後ろの兵士たちも、みんな笑っていた。
王の護衛をしていると思い込んだ魔導士に、ルネッタの代わりにフェルたちが襲われたのは、ルネッタのせいだ。
ルネッタの生まれた国が、ルネッタを取り返そうとしたから。
だから、
「名誉をいただけませんか」
「名誉……?」
はい、とフェルは微笑む。
「我ら一同、ルナティエッタ様の御為に働けたこと、光栄に思っております。そして、貴女様がご無事であったことこそが、何よりの誉れでございます」
フェルも、やっぱり優しい人だった。
口の悪いヴァイスを飄々と交わし、木登りをするルネッタを見つけて悲鳴を上げた人で、普段は「お土産です」って、街に出るとこっそりクッキーだとか飴だとかを買ってきてくれる。そういう人。
普段はもっと、くだけた喋り方で、たまに「ルネッタ様」って呼んでくれるんだ。
だから、今、こうして、いかにも王の側近らしくルネッタに接するのは、王の婚約者として変わらずに歓迎してくれている、というメッセージに他ならない。
でなければ、フェルも、兵士たちも、ルネッタのような小娘に簡単に頭を下げて良い人たちではないのだから。
「ですから、名誉をいただきたく思います」
「……どうしたら、良いですか?」
魔法しか取り柄の無いルネッタが、愚かにもそう問うても、フェルは少しも嫌な顔をしない。
女の子たちがでろでろになっちゃう、綺麗な微笑みを浮かべて言うのだ。
「おかえりなさい、と。よくやったと、お言葉をいただきたく存じます」
ルネッタは、ぱっちんと瞬きした。
なんだ? それ? そんなんで、良いんだろうか。
そんなんが、名誉? ルネッタが、そう、声をかけるだけで??
んな、馬鹿な。
いや、じゃあ何をすれば良いんだって聞かれても、ルネッタにはちっとも思いつかんことが、情けない話であるけれども。
にしたって、そんな、そんなんで? 良いの? 本当に??
ルネッタが不安いっぱいで見つめても、フェルは微笑むばかりだし、後ろの兵士たちも、にこにことしていたり、キラキラと何かを訴えるように頷いていたり、視線を向けたアーリアもにっこりで、ルイラなんか私もとばかりにメイドと一緒に並んだ。
もっとなんか、と思いつつ、ここまで望まれている空気を出されちゃ、応えないわけにはいかん。
ルネッタは息を吸って、ぎゅっと拳を握った。
「皆さんのおかげで、私は無事この国に帰ることができました。皆さんが無事で、本当に、本当に、嬉しいです」
嬉しいのは本当。
でも、それ以上に、ごめんなさい、ってルネッタは言いたかった。私なんかのせいで、って。巻き込んでごめんなさい、って、言いたかった。かつてそうしていたように、額を地面に付けて、深く、謝りたい。
だけど、それは望まれていないのだと、フェルの言葉に気付かされたルネッタは、精一杯大きな声で言った。
「おかえりなさい」
「ただいまですルナティエッタさまあああああ」
響いたルイラの涙の絶叫に、みんなが笑いだす。
その笑い声に、ほ、とルネッタが力を抜くと、ぽん、と頭を押さえられた。
あったかくて、おっきくて、やさいい、てのひら。
「へーか」
「おう」
見上げると、予想通りヴァイスがにやりと笑った。
「出迎え、ご苦労」
たまたま偶然会っただけで、出迎えなんて大層な事をしたわけじゃあ、ないけれど。褒められているらしいことに、ルネッタは気恥しくなって、こくりと頷いた。
「ところでルネッタ様、俺も抱擁していただけます?」
「おい、誰かこのロリコンも牢にぶち込んどけ」
「それ巨大ブーメランだってわかってます?」
ルネッタが抱き着くだけで喜んでもらえるんならいくらでもするんだけどな、とルネッタなんかは思うわけで。そろ、と足を踏み出すとアーリアにがしりと手を掴まれた。
「淑女たるもの、人目のあるところでそのような事をしてはなりません!」
人目が無けりゃいんじゃろか、なんて聞いちまおうもんなら、お説教が始まりそうな顔だったのでルネッタはこくりと頷いた。
ようやくみんなが揃ったのだ。
このまま笑顔のみんなを見ていたい。
ルネッタは一人、頷いた。
旅の道中のひと悶着についてや、ルネッタの過去については、こちらでも書いていく予定ですが「更新遅いんじゃ」と気にしてくださるかたは、はじかね本編をご覧いただけましたら嬉しいです。