エピローグ
連続投稿中です。読み飛ばしにご注意ください。
小さな背中が彼女なりの全速力で走り去っていくのを見届けたフェルは、ちらりと己の主であり旧友であるヴァイスを見やった。
ヴァイスはモテる。
男も女も問わず、あっちこっちで誑し込まれた被害者が後を絶たない。本人は色恋に興味はないようだが、それがまた百戦錬磨の美男美女の狩人精神に火を点けるわ、警戒心の高い者がそっと下ろした盾で囲い込もうとするわ、気づけば向こうが勝手に泥沼状態になっている、なあんて事態はまあザラであった。
粗暴で野蛮な男だが、よく見ると端正な顔つきをしているし、意外と所作も美しい。隠しきれないお育ちの良さと、粗雑な物言いがこう、なんとも言えないギャップを醸しているのだ。とフェルに語ったのはどこぞの変態船長である。
そう言えばあの変態もヴァイスを泣かせたいとかなんとか言っていた。
ヴァイスを泣かせたいと思うその心理はフェルにはすこっしもわからんが、ツラに貼り付けた余裕の仮面を崩してみたい、と思う気持ちはわからんでもなかった。
そんなわけで、純度百パーセントの興味本位で、フェルはヴァイスの顔を覗き込む。
「うわ」
「あ?」
無表情であった。
「なに、それ、どういう顔……?」
思わず臣下である立場を忘れてしまうフェルに、「さて」とヴァイスは顎を撫でた。
「俺もよくわからんな」
「え」
なに。なんて? なんて言った? わからない。わからないだって? いつも余裕をツラに貼り付けてニヒルな笑みを称えて世を闊歩する簒奪王様が。己のことがわからぬと!
これは一大事である。
顔がニヤけそうなのを唇をあむりと噛んで耐えるフェルに気づかないまま、ヴァイスはルネッタが走り去った方を見つめている。
「アレは一目会った時から、俺を驚かせてばかりだ」
びっっっっくりした。一目会ったときから俺の心を捉えて離さない、とか続きそうな文脈だったのでフェルは腰が抜けるかと思った。
ヴァイスがルネッタを保護対象としか見ていないことはフェルにもわかっていたし、ルネッタ自身もわかっていただろう。故にルネッタは走り出したわけで。にもかかわらず、んなドッキリ発言かまされた日にゃ、フェルは思わずヴァイスの臀部が粉々に割れるほど蹴り上げていたかもしれん。
「……お前さ、ルネッタ様のこと、けっこう気に入ってるよな?」
「そりゃな。可愛いだろ、あいつ」
うっっえぇ。
変な声が出そうになって、フェルは必死に息を止めた。
待て待て待て待て。可愛いつったかコイツ。真顔で。照れもせず。あっさりと。げんなりだ。萎え萎えだ。そりゃあフェルだって、ルネッタを見て可愛いなあと思う。なんでも驚いて喜んで一生懸命で、子どもみたいに無邪気な姿はフェルの癒やしであった。子どもらしい真っ直ぐさと、子どもらしからぬ達観さにフェルは泣かされてばかりだった。我らがこのお方を幸せにするのだ、とフェルは固く誓っている。
それはつまり、大人として一人の不幸な少女に向けたものであり、家臣として主の婚約者に向けたものである。当たり前だ。
だがヴァイスは婚約者当人である。フェルと同じ目線で、仮にも自分を好きだと言った女性に向かってそれはないんじゃないか。
「あんた、乙女心をなんだと思ってんだ……」
「は?」
わかってなさそうなきょとん顔にフェルはうんざりした。可愛くねぇわ。
けれども、こういうところが数多の男女を沼に落としてきた、たらしたる由縁だわな。ルネッタもその被害者の一人だってんだから、これを悲劇と言わずしてなんと言おうや。ルネッタは年齢だけ見れば立派なレディであるけれど、心を育てている最中の、いわば真っ白なキャンパスだぞ。思春期の少女には劇薬だろうよ。
「……まあな」
はあ、とフェルは盛大なため息をついた。
「お前の気持ちも、わからんではないんだよなあ」
訝しげに視線をよこすヴァイスに、フェルは目を細める。だって、ねぇ。
「ルネッタ様はこれから美しくなられる一方だけど、俺らおっさんは年取るだけだろ。五年、十年先、若くて健康な青年に目移りしたっておかしくないわけだ。年いってからの失恋は即死だ」
「そういう話じゃねぇがな」
「いやいや無理すんな」
俺なら立ち直れん、とフェルは己の身体を抱いた。怖い。怖すぎる。想像しただけで心臓が寒い。
今まさに、大事に大事に見守ってきたルネッタが走り去っていく姿を見たばかりだ。立場や責任にずっぷりと身体を埋めた今のフェルなんかにゃ真似できない、若さの象徴ともいえる後ろ姿は強烈であった。
「ルネッタ様、どこ行ったんだろ。この国は嫌な視線がいっぱいだからな……」
「まずは国境だろな。たしか、トゥレラージュが隠れ家を持っていたはずだ」
「は」
その言葉に、フェルは瞬く。
「このまま旅に出ちゃったってこと?!」
「いくらルネッタでも、あれだけ啖呵切って戻ってこねぇだろ」
「そんな!」
あんまりだ。あんまりだ! 何も家出までしなくても良いではないか。この男の鼻を明かしてやるというのなら、フェルだって喜んでお手伝いをしたのに! ピュアで幼いルネッタのお供がたった一人だけだなんて、フェルは心配でたまらない。世の中には善意と同じくらい悪意が満ちているのに!
たった一人のお供が、その悪意の海を飄々と歩いていくトゥレラージュというのが唯一の救いだ。トゥレラージュがルネッタの騎士で良かった。……って。あれ。
「ねぇ、これ、どこまで予定通りなの」
「まあ、概ね」
肩を竦めるヴァイスは、不機嫌そうに髪をかきあげた。
「失恋どうこうはさておき、未来がある十四も年下の娘を縛り付けるつもりはハナからねぇよ。アイツに、俺の隣は不似合いだ」
とんでもねぇな、とフェルは思う。
ヴァイスが「不似合いだ」と評するのは、「十四歳も年上のおっさんの隣」ってとこだけじゃないだろうな。じっと座っているのが苦手な、存外お転婆なお嬢さんに王妃の席が不似合いだと、そう言いたいのだ。
誰よりもあの少女の幸福を願うその横顔は、フェルが見たことのない柔らかさにもかかわらず、そこには恋などありはしないというのだから。いや、とんでもねぇ。
「好奇心旺盛だからな。いずれは城を飛び出すだろうと思っていたが、ストーカーの件があってからそれがより明確になった。だからトゥレラージュを付けたんだ。『家族』という名分もあるし、何より旅慣れてんだろ。頭の回転も早くて腕も立つしな。ロベリオン家ご自慢の放蕩息子だぜ」
「ほんとに最初からなのね……」
「けど、まあ」
言葉を切ると、ヴァイスは空を見上げた。
長い前髪が、その横顔を流れていく。
「こんなに早ぇとは思わなかったがな」
ふ、とヴァイスは落とすように笑った。
その声を、風が運ぶ。前途ある若者の背を押すような、切なくなるほどに良い風だ。
「幸多からんことを」
フェルはそっと、ヴァイスに背を向けた。
小さな声は、フェルが聞くべきものではないだろう。
ヴァイスは神に祈らない。
魔法嫌いであった代々の王は信心もなく、そもそも神に祈る習慣がない国であったが、それ以前にヴァイス自身が目に見えないものに頼るようなお優しい性格ではない。ルネッタと出会い、「神」の存在を知覚してからはそれがより顕著になった。曰く、ああいうのに祈ってどうすんだと。いや、それはそう。
そんなヴァイスが、祈りを口にするなんて。
──あるいは、祈りではないのだろうか。
フェルにはその答えがわからない。けれどそれで良いのだ。
その祈りを聞くべき彼女は、広い空の向こうへ走り出したのだから。
「……案外、ほんとに泣き顔が見れちゃったりしてな」
ヴァイスの泣き顔に興味なんざありゃしないが、ルネッタが泣かすというのならそれは楽しみだと、フェルは空を見上げた。
戦い続ける魔女の旅路に相応しい、美しい青空であった。
おわり!
ここまでお付き合いくださりありがとうございました!!
ルネッタとヴァイスの出会いや、ヴァイスの元で強くなったルネッタがヴァイスの手を離すお話を書きたくてはじめた「わたしのあらし」でした。
ここでルネッタの想いを受け入れるヴァイスと、旅立つルネッタの2つのエンディングで迷っていたのですが、何度考えても頭の中でヴァイスが首を振るためルネッタぶちキレエンディグとなりました。
最後まで応援してくださったみなさま、本当にありがとうございました。
第二章は神にぶちキレてほしいなと思っています。
再開は未定ですが、またのんびりお付き合いいただけましたら幸いです。




