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声を乗せる

 ところでルネッタは手紙の書き出しを考えることが苦手だ。

 いや、だってさ。元気ですか? って聞いて元気じゃなかったらどうするんだ。

 過ごしやすい気温になりましたねって、そりゃルネッタの話であって向こうもそう思っているとは限らないじゃないか。

 しかも、聞いといて本題にいきなり話題が移るのって、どうなんだろうね? ルネッタはいっつも「人の話を聞け」ってヴァイスに怒られているのに。どういうこった。

 と。まあこんな具合に、いろいろ考え始めてしまい手が止まっちまうのである。


 国王の婚約者たるもの上品ですんばらしいお手紙の十枚や二十枚書けずとなんとする。王の代わりにお返事をしたためることだってあるんだぞ。ってそれはルネッタだってわかっている。わかっているから、そういう授業も受けているし、身近な人たちにお手紙を書いて練習もしている。


 でもね。ほら。手紙を書く練習をしたからといって、ルネッタの考え込む性格が変わるわけではないので。結局、なんにも書いていない便箋の前で硬直するのがお決まりなのである。

 いきなり本題に入っちゃいけないって決めた人は誰だ。出てこい。ルネッタがこんなに「うぬぬぬ」と唸っている姿を見てもその大切さを説くというのならば、ルネッタだって聞いてやらぬことはないぞ。多分。


「ルナティエッタ様」


 ルネッタの授業の進捗を知っているルイラは、小さく笑う。


「お友だち同士ですもの。形式は忘れて良いと思いますよ? あまり悩まれていてはまた寝るのが遅くなってしまいます」

「……でも、ソフィのお手紙はすごかったんです」


 ソフィの手紙。そう、それはまさに、お手本と呼ぶべき手紙だった。

 クセのない読みやすい字は、ルネッタが知らない言葉を使った挨拶から始まり、簡潔でわかりやすいのに、ソフィのあったかい人柄が伝わるような華麗なる文章を綴っていたのだ。ルネッタは震えた。

 これがお姫様の手紙……!!!!


 ちなみにソフィは、元王子様の婚約者で元貴族であるが、王族ではなかったので正式には「姫」ではないのだけれど、んなことルネッタの知ったこっちゃない。夜会で出会ったソフィは本に登場する「お姫様」そのものだったのだ。ピンと伸びた背筋はもちろん、指先の運びすら美しかった。ルネッタにとって「お姫様」はソフィなのである。


「ルナティエッタ様はソフィ様に憧れていらっしゃるのですね」


 ふふ、と丸いものが転がっていくみたいな可愛らしい声で笑ったルイラに、ルネッタは「むふん」と頷いた。


「ソフィはすごいんです」


 ルネッタの言葉のストックでは、何がどう凄いのかをうまく説明できないことがもどかしい。

 ルイラはそんなルネッタを馬鹿にすることなく「大丈夫ですよ」と微笑んだ。


「ソフィ様の凄さがわかるのは、ルナティエッタ様がきちんと学ばれている証ですわ。ソフィ様と文通をしていればきっと、ソフィ様のようなお手紙を書けるようになりますとも。ほら、わたくしは魔法の知識がありませんから、申し訳ないことにルナティエッタ様がいくら『すごいことだ』とご説明くださってもわからない事がよくあるでしょう? お手紙も同じですわ。知識が身についてきたからこそ、ルナティエッタ様はソフィ様の凄さがおわかりになるのです」

「……なるほど?」


 わかるような。わからないような。

 首を傾げるルネッタに、ルイラがまあるい声で続ける。


「ルナティエッタ様が魔法を使いこなすために長い時間をかけて学ばれたように、ソフィ様も『すごいお手紙』を書くために、たくさん学ばれたのではないでしょうか」

「……あ」


 そうだ。そうだった。

 ソフィは「王子様の婚約者」という存在でいるために人生のほとんどを費やしたのだという。ひたすら勉強してひたすら仕事をしていたらしい。何それ怖い。

 魔法に興味を持つことも許されず、こっそり魔導書で勉強したっていうから驚きだ。そりゃルネッタだって魔女が残した本で魔法を学んだ魔女だけれど、テレーゼの助力が全く無かったってわけじゃない。

 ソフィが綺麗なのは自分でつくった努力の靴を履いて立っているからだと、ルネッタにもわかる。


「わたくしがいきなりルナティエッタ様のように魔法を使えないように、高い技術を持つ方に追いつくことはそう簡単ではありません。まずは、聞いてほしい事を文字にすることから始めてみてはいかがでしょうか?」


 ルネッタが今、ソフィに聞いてほしいと思っていることを、自分の気持ちを、言葉にすること。

 それがルネッタにとって簡単でないことを、ルイラはちゃんと知っている。だからこそ、ルネッタの心に在るモヤを形にすることを勧めている。

 ルネッタはこくんと頷いた。


「がんばります」


 ペンを手に取ると、ルイラは「はい」と柔らかく微笑んだ。





 そうして、どうにかこうにか書き上げた手紙を、ルネッタは目の前に持ち上げる。

『ソフィへ。いきなりごめんなさい。相談に乗ってほしくてお手紙を書きました。気持ちがモヤモヤしているのですが、理由がわかりません。ソフィだったらどうしますか?』


「……」

 

 我ながら酷い出来であった。

 なんだこれ。手紙? 手紙なのかこれは?? どうしますかって。何それ!

 ごつん。

 ルネッタは思わず額を机に打ち付けた。ルネッタ史上類を見ないひっどい手紙なんだもの。送るの? ほんとに? これを??

 

 ルイラはすでに個人の部屋に帰ってもらっている。

 したがってルネッタは一人で思う存分落ち込むことができるが、だからって落ち込み続けていてはいつまで経っても手紙を送れない。


「……どうせ、これよりいい手紙は書けないですね」


 ならばやるしかない。

 思い切ったルネッタは、手紙専用のケースを開ける

 ソフィの魔力を込めた魔法石を埋め込んだ、銀製のケースだ。このケースに手紙をしまい魔力を込めれば……あら簡単!

 ケースの中からあっという間に手紙が消え、ルネッタの魔力を込めた魔法石を持つソフィのお手紙ケースに転移が完了する。失敗しないことを知っている。間違いは起きない。何度も実験をしたのだから。


 けれど、心臓がドキドキと音を立てる。

 こんなにも魔法を使ってドキドキすることはルネッタにとって初めての体験だ。正しくは、手紙が届くかどうか、ではなく手紙を受け取ったソフィがどう思うか、だけれど。


「……寝ましょう」


 ソフィがいつ手紙に気付くかわからないし、気付いたとてすぐに返信があるわけではないだろう。ソフィだって夜は寝るのだから、待てば返信があるというわけでもない。

 ベッドに入ろう、と立ち上がったルネッタは、けれど琥珀色の魔法石が光を放ったのを見て、目を見開いた。すぐさまケースを開ける。


「わあ……!」


 そこには、小さな花が描かれた薄いピンク色の封筒が綺麗に収まっていた。

 前回の手紙で「ルネッタみたいだと思ったの」と教えてくれた、可愛い封筒はソフィのもので間違いない。ルネッタは慌てて、だけども破かないように慎重に、封筒を開ける。


「え」


 相変わらず綺麗な文字が並ぶ便箋を見て、ルネッタはもう一度目を見開いた。

 そこに並ぶ文字が、流々とした挨拶を忘れているからではない。


『お手紙有難う、ルネッタ。とても嬉しいわ。もしよければ、同封した魔法石を使ってみてくれないかしら。顔を見ながらお話ができるものらしいの』


 声を飛ばす魔法石や映像を残す魔法石ではなく、顔を見ながら会話ができる魔法石、ということだろうか。離れた場所にいる人と会話をする必要性を考えたことがなかったルネッタにとってこれは、どえらい衝撃だった。そんな魔法があるなんて!

 なぜ思いつかなかったのだろう。これがあれば手紙というまどろっこしいものに囚われる必要がないではないか。なんて革新的で天才的な発明だろう。

 考えた人に心からの賛辞を捧げたい気持ちで、ルネッタは魔法石を机に置いた。


 親指の先ほどしかない小さな魔法石に、ルネッタは魔力を流す。

 一瞬だけルネッタの魔力に感応するように赤く光った魔法石は、次いで白い光を放った。

 すると、その光の中で、女の子が微笑んでいる。


 紅茶色の瞳に、艶々の葉っぱみたいな緑色の髪、優しく弧を描く唇。

 見間違えるはずもない、ルネッタの友は「まあ!」と両手を合わせた。


「すごいわルネッタ! 本当に会えた!! お元気? わたくしの声はちゃんと届いているかしら!」


 飛び跳ねるような声に、ルネッタの口元がふやふやと緩んでいく。

 ソフィと同じように綺麗に笑えていたら良いな、とルネッタは目を細めた。


「聞こえますよ。私は元気です。……ソフィも、元気そうで嬉しいです。すごく」


 ああそうか、とルネッタは少しだけ理解する。

 礼儀だ形式だの前に、もっと単純に、この嬉しさのために、本題の前の挨拶をしたいと考えた人たちがいたのかもしれない。

 なーるほどね。まったくもう。いきなり本題に入っちゃいけないって決めた人は誰だ。出てこい。

 褒めてあげても良い。


「わたくしも嬉しいわ、ルネッタ」


 だって、なんだかいい気分なんだもの。



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