侵入者
「では、何を憂いておられるのでしょうか?」
プティングタイムを終えたルイラが、再び髪を梳きながら問う。
とぅるん、とルイラの手を逃げていく黒い髪を他人事のように眺めながら、ルネッタは唇を尖らせた。むむむう。
「憂いているつもりはありませんが」
「そう、ですか……?」
はてと首を傾げるルイラに、はてとルネッタも首を傾げる。
鏡に映る陰気な顔は相変わらず陰気なままだ。これが憂いている顔だというのならばルネッタは年がら年中憂いていることになるなあってくらい、いつもの顔。ルイラに心配をかけるようなそんな、憂いだなんてそんな御大層なモン、ありゃしない。けれど。
「申し訳ありません、わたくしなんて失礼なことを!」
渡された謝罪に後ろめたさを覚える程度には、モヤッとしたものが心にあることは事実であった。
「いえ、何も気がかりがないかといえば、そういうわけでもないような気もするので」
「あら」
例えるなら、あれだ。靴の中でくつしたがちょっと「くしゃっ」てなっているみたいな。無視して歩くことはできるけれど、地面を踏みしめるたびに、もにょりとした違和感があってちょっぴし不愉快、みたいな。こっそり靴を脱いで整えたいなあと思いながらおすまし顔でいるような、そんな小さな小さな「モヤ」がルネッタの心の端っこでくつろいでいる。居心地良さそうな顔をしてんじゃないよお前のスペースはないからなと言いたいのに立ち退きを言い渡す理由が見つからない。
正当な理由なく「もやっとさん」を追い出すわけにもいかず、じゃあまあ様子を見てみようかしらってそんなルネッタに、ルイラはなぜ気づいたのだろう。
もしや心を読む魔法?! ってわけではなくて、これはルイラたちが使う「侍女の魔法」だ。わかっちゃいるけど、どうやっているのかはさっぱりとわからんのでルネッタはやっぱり不思議なのだ。
鏡越しに目が合うと、ルイラはにっこりと笑った。
「お心を隠すのが上手なルナティエッタ様は、陛下のご婚約者様として頼もしくていらっしゃいますけれど……そんな主のお心読めてこその侍女だと思いますの!」
ルネッタは心を隠しているんじゃなくて表現できないだけ、というか自分でもよくわかっていないだけだったりするので「頼もしい」なんて過大評価にもほどがあるが、ヴァイスを含め彼の周りには所謂「腹芸」が得意な者が多い。となると、案外ルネッタのようになーんもわかってない奴がなーんもわかってない顔でつっ立ってんのは、悪かないのかも。ヴァイスが「なあルネッタ」と言った時にだけ頷いてればそれっぽい雰囲気になるらしいのだ。
実際、隣国の夜会に招かれたときはそれでどうにかなった。
魔力がたんまり込められた魔法石みたいな王様の瞳は不気味だったけれど、ヴァイスがいつも通り笑っていたのでへいちゃらだった。
まあ、王子様の婚約者だっていうお姫様が相手をしてくれたので、ルネッタが王様の目を正面から見たのは挨拶のときくらいだったんだけど。結局ルネッタの記憶に残っているのは、豪華な食事や眩しい装飾よりも、お姫様の上品な笑顔だ。
「ソフィも、私が何も言わなくてもわかってくれました。お城で働く人は、みんなそうなんですか?」
「ソフィ、様? ああ、ルナティエッタ様がお友達になられたというお嬢様ですね」
なんやかんやあって一緒に旅をしたお姫様、ソフィがヴァイスの城に滞在したのは少しの間だけだ。ルイラが城に戻ってきた頃には城を出ていたので、ルイラはソフィを知らない。
「ソフィは、赤くて辛いスープを食べるために東の国を目指すそうです」
「まあ、楽しそう」
「はい」
ふふ、と笑うルイラにルネッタはしっかりと頷いた。
名物の肉料理が食べたいからついでに隣国の夜会に出る、と言ったヴァイスとよく似たことを、まったく似ていないお顔で言うのでルネッタはびっくりしたもんだが。ソフィはとても楽しそうだった。
赤いスープならシャオユンも作れるので食べさせてあげたいなあとルネッタなんかは思うわけだが、そういうことじゃないらしい。ヴァイスが言ったのだ。「アイツらにとってスープはただのスープじゃねぇってことだよ」と。ルネッタにとってシャオユンの作るスープが暖かくてとっても美味しい「ただのスープ」ではないように、「ソフィにとっての赤くて辛いスープ」があるのかもしれない。
あーあ。ヴァイスの難しい言葉のひとつひとつはルネッタにだいじなものを教えてくれるのに。
「……」
「ルナティエッタ様」
知らず視線が落ちていたことに気付いたルネッタは、名前を呼ばれて顔を上げる。
優しい眼差しのルイラが微笑んだ。
「ソフィ様にご相談してみるのはいかがでしょうか?」
「え」
「お友達と話すからこそ自分の気持ちがよく見える、ということもあるものですよ」
相談。相談、なあ。今もどこかを旅しているだろうソフィに、よくわかんない奴が心の隅っこに陣取ってるんですこいつ誰ですかね、なんて聞いていいものだろうか。ルネッタ自身が「え?」って初対面のそいつに面食らってんのに。
「ルナティエッタ様も、ソフィ様にご相談されたことがおありなのでしょう? お嫌でしたか?」
「まさか」
んなわきゃない。ソフィに手紙で魔法について教えを乞われたルネッタは、そりゃあもう張り切った。ソフィの魔力はどんなだった? ソフィが得意なスタイルは? ソフィに負担をかけない魔法は?
ルネッタ自身が使うなら、なんでも良い。心が踊るままに興味を惹かれるままに魔導力を動かすだけだ。たとえ予期せぬ反動が起きたって抑え込める自信がルネッタにはあるし、それすら楽しいのだ。いや、それ「が」楽しいと言っても良いかもしれない。難点といやあ、やりすぎてヴァイスにしこたま怒られちゃうくらいかね。
でもソフィは魔法を使うことにまだ不慣れだ。おまけにルネッタは隣にいてあげられない。これほど歯がゆき難題があろうか! ソフィの優しい笑顔が曇ることなどないような魔法を考えなくてはならなかった。
とんでもなく難しいのに、とんでもなくワクワクした。
「ソフィの力になれるって思ったら、嬉しかったです」
「ええ」
ルイラの声が柔らかく「そうでしょう?」と笑った。
「ソフィ様もきっと、そう思ってくださいますよ」
「……本当?」
腹の奥がひっかかれるみたいに、ぞわぞわする。これは不安だ。ソフィに嫌われちゃったら。迷惑だって思われたら、どうしよう。
揺れるルネッタの心を包むみたいに、ルイラはルネッタの両手をそっと握った。
「もちろんです。ルイラを、ルナティエッタ様と言葉を交わされたソフィ様のお姿をお信じください」
じんわりとあったかい手のひらに思い出すのは、ルネッタの手を握ってルネッタのために、死んでいった王女たちのために泣いてくれたソフィの姿だ。
あたたかくて、背中を押してくれるような魔力を持った、優しいお姫様。
ルネッタの、初めての友達。
「……ルイラ、ペンと便箋を用意してくれる?」
もちろんです、と笑ってくれるルイラにルネッタの心がぽっかりと暖かくなった。
先週投稿できなかったので、本日中にもう1本投稿予定です!
次回は久しぶりのあの子の登場。
さて皆様コミカライズは追いかけてくださっていますか?!
アズウェロのもふもふ、可愛いですよねーー!!!表情豊かで画面が可愛い…。
心の狭いリヴィオも最高ですが、なんといっても魔力の色について聞かされるソフィがかわいそ可愛い。
安定のヴァイスとルネッタのコンビも大変幸せです。
そんな!!コミカライズ版「はじかね」ついに3巻発売だそうです!!!!めでたい!!!!
いつも応援本当にありがとうございます!!!
このあと活動報告でもご紹介しますので、ぜひお手にとっていただけましたら嬉しいです。




