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「ご気分が優れませんか? ルナティエッタ様」


 髪を梳く手を止めたルイラに、ルネッタは首を傾げた。

 ご気分?


「元気です」

「そうですか……?」


 納得がいかないらしいルイラに、ルネッタは瞬く。

 なんぞおかしなところがあるかしらと鏡に映る自分を見ても、そこにいるのは無表情なルネッタと眉を下げるルイラがいるだけだ。無機質な顔をしたこの女のどこに気分なんてものがあるのかルネッタは不思議でならんが、ルイラの表情は晴れない。


「やっぱり、テレーゼ様がいらっしゃらなくて残念ですよね」

「……」


 いやそんなに。と、言っていいものか。

 わが身に降りかかる不幸のごとく悲しそうなルイラにゃ悪いが、ルネッタはヴァイスの提案を断ったテレーゼのことは気にしちゃおらん。

 むしろ、湖の調査をしたいからと、城(建設中)の近くに建てられている屋敷への滞在を希望したルネッタのお世話のために、オブドラエルからわざわざ来てくれたルイラに申し訳無さを感じていたくらいだ。言われるまでテレーゼのことは忘れていた。薄情かな。薄情かもしれない。


 いや、でもだって。

 屋敷には政治や城の建設に関わっているオブドラエル国の者が多く住んでいるとはいえ、他国だ。気軽に来れる場所ではないだろう。

 というのも、転移装置を使えば行き来に時間はかからないが、いつでも使えるわけではないのだ。まだまだ改良中の魔法なので、「仕事をしに行きたい」と言われても、魔導士が術式を書き替えている真っ最中、なんてザラである。だって城の魔導士たちは、みんな魔法がだあいすき。思いついた事は即試したい中毒者ばかりなんだもの。朝も昼も夜も、閃いたらじっとしちゃいられない。ほとんど装置の部屋に住み込んでいる状態になっている魔導士も少なくない。

 予め「この時間は使えるようにしておけ」とお達しを受けていないと、永遠に「完成」しないだろう。

 さすがに、国王陛下が国に戻る明日の時間は確保しているが、魔法に詳しくないルイラにとっては転移装置を使うだけでも簡単なことではなかっただろうに。


「ルイラがいるから、大丈夫です」


 だから嘘では無い言葉を口にすると、ルイラは「まあ」と頬を緩めた。


「お寂しくありませんか?」

「いろいろ話せたし……この国を出られないと言うテレーゼの気持ちはわからないけど、わかりますから」


 テレーゼは、「侍女になるか」とヴァイスに問われ、驚いたように目を見開いていた。

 けれども、転げ落ちていきそうな金色の瞳は、ゆっくりと伏せられる。


「行けません」

「どうして?」


 思わず口をはさんだルネッタに、テレーゼは眉尻を下げた。


「わたくしは、この国以外を知りません。他国で生きていくには、年を取り過ぎてしまいました」


 国が違えばルールが違う。慣習が違う。

 ルネッタにとっての当たり前が、誰かにとって驚きになることを、ルネッタは城で学んだ。同じ魔法でも術式が全く異なるように、時には言葉さえ違う。

 ルネッタはそんな日常を楽しんでいるけれど、ルネッタにとっての「楽しい」が、テレーゼにとっても「楽しい」とは限らない。それどころか「苦痛」になってしまうかもしれない。生まれた環境が違えば生まれる感情すら違うことを、人の中で生きる複雑さを、一笑できるほどルネッタは無謀ではない。


「……わかりました」


 渋々頷いたルネッタに、テレーゼは小さく笑った。


「お側にいられなくとも、残りの人生をルナティエッタ様のために使えるのですから。過分な幸せを嚙みしめて、余生を過ごさせていただきますわ」

「私のためだけじゃなくて、楽しいこともたくさんしてくださいね」

「ルナティエッタ様……」


 ルネッタはなーんにも気にしちゃいないのに、ルネッタに申し訳ないと生きていかれる方が、それこそ寂しいじゃないか。ちょっとムッときちゃったルネッタの頭に、「その通りだ」とヴァイスは大きな手を乗っけた。


「なまっちょろいこと言ってんじゃねえぞ。ルネッタに仕えるなら俺の部下でもある。俺は仕事だけやってりゃいい、なんて怠慢は許さんからな」

「うちの陛下のモットーは、民が笑って生きて死ぬ国をつくること、ですからね。幸せだと仰るなら、笑ってくれないと。ね、ルネッタ」


 わしわしと頭を揺らす手のひらと、光を弾く湖よりも眩しい笑顔に、ルネッタのほっぺの筋肉がきゅってなる。ルネッタの口角が上がっていくのを見て、テレーゼは目を見開いた。


「楽しいは大事ですよ、テレーゼ」


 はい、と答えるテレーゼの声は震えていたけれど、あれは悪いものではないとルネッタにもわかる。

 だから、良いのだ。


「私がへーかといる”自由”があるように、テレーゼにも”自由”があります。私は、テレーゼがテレーゼの楽しいを見つけてくれたら、それが一番嬉しいです」

「ルナティエッタ様……!」


 叫ぶように声を上げたルイラは、両手で櫛を握り締めてプルプルと震えた。おやつのプティングみたいなルイラは、「ご立派です!!」と声を上げてルネッタの耳がキーンとなる。

 ルイラが「こう」なるのは珍しい事ではないので、ルネッタはプティングタイムが終わるのを静かに待つことにした。仕方がない。「こう」なったルイラは、ルネッタが何を言っても振動が大きくなるので、プティングタイムが伸びるだけなのだ。大人しく待つのが一番早いのだと、これも城で学んだことの一つだ。なんだっけ。急いては事を仕損じる? 多分そういうことだ。

 しっかし、どういう構造になってんだろうなあ。ふるふると振動しながら、ルイラはぎゅうと櫛を握った。


「テレーゼ様は、大変にご立派な方と伺いました。不肖、ルイラ。テレーゼ様の代わりになるとは思いませんが、これからも誠心誠意、ルナティエッタ様にお仕えいたします!!」


 ルネッタの近くで働く者に、ヴァイスは簡単にしかルネッタの事情を説明していないらしい。まあ楽しい話じゃないものなあ。ルネッタだって、あんまり知ってほしいと思わない。つまんない話なんて、おやつのお供には重すぎるんだもの。

 んなわけで、ルネッタは詳しい説明を省略し「乳母と再会した」程度の話しかルイラにはしていないのだけれど。誰かが説明を補足したのだろうな。テレーゼが「立派な方」であるのは間違いない。

 ルネッタを王女として育ててくれた、唯一の人。ルネッタのために城を追われて、それでも尚、ルネッタを想ってくれている人なんだから。

 

 だけども、それはそれ。これはこれ。


「ルイラだって、私の為に充分働いてくれています。私、ルイラにもいつも感謝してます」


 不肖、などと。とんでもない。優しく丁寧に髪を梳いてくれる手も、香り高い紅茶も、ぜんぶぜんぶルネッタにとっては魔法みたいなのに。


「私、ルイラの事も大好きです」


 だからそんな風に言わないで、とルネッタは顔を上げてはっとした。しまったやらかした。

 プティングタイム中のルイラは、ルネッタが何を言っても「お優しい」とか「お可愛らしい」とか言って震えちゃうから、ルネッタは黙っておくことにしたのに、ついうっかり! 言葉をかけてしまった!!


 案の定、鏡に映るルイラは震えすぎてもはや実体がない。怖い。え、まじでどうやってんだそれ。もう残像だ残像。


「わたくしもルナティエッタさまがだいすきですううううう」


 ついでになんか雫が飛んでいるのは涙だろうか。

 今度こそ何も言ってはいけない、とルネッタは放射状に水を飛ばす魔法を考えて目の前の現実から逃げ出す事にした。薬草園の水やりで使えそうじゃない?


 


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