魔女を嫌いな国17
重い。その言葉の、なんと重いことか。
ルネッタのか細い指なんか、折れっちまいそうなくらいに重いなあ。
足がすくみそうになるルネッタの弱さなんざ、ヴァイスにゃ見透かされているだろう。だのにヴァイスは、ルネッタの両手にそれを乗せるという。
ああ、とルネッタは悟る。
これが、背負う恐怖。
これまでルネッタが果たしてきた「王女としての責任」は、自分がただ耐えれば良かっただけだ。楽しかないし辛くもあったが、楽ではあったな。だって、ルネッタは選択に伴う迷いを知らずにすんだのだから。ほら、ルネッタに選ぶ権利はなかったからね。問答無用で国殺しの魔女としての生が決められたわけですから。
だけどもここは、せまっくるしいあの部屋ではない。
ルネッタは、選ばなければならない。
国が幸福であるための未来を。
「……」
嫌だね。もうほんと、うんざりだ。なんて人生だろう!
そもそも。そもそもだ。ルネッタは望んで魔女になることが決まっている赤ん坊として生まれ落ちたわけじゃない。言っちまえば、王女になんてなりたかなかった。もっと田舎の方で、のんびり暮らしていられたらどんなにか良かったろう。
羊を追いかけたり、田畑を耕したり、パンを焼いたりして、それで、父親に頭を撫でられて母親の腕の中で笑うのだ。姉とたまには喧嘩をして、仲直りをして、今日と明日のおやつのことで頭がいっぱいで、食卓にあがる苦手な食べ物をどうやりすごすかだけを心配したりしてさ。選ぶことっていやあ、お友達とかけっことかくれんぼどっちで遊ぼうかなって、そんくらい。
この世界のどこにでもある、誰もが持っている子供時代。当たり前だろうと笑われる日常。
ルネッタだって、そんなものがほしかった。ほしかったよ。
でも。
でも、じゃあ、そうしたら、ルネッタは魔法を知らなかったんだろうか。
ヴァイスと、出会うこともなかったんだろうか。
く、とルネッタは両手を握った。
「……今はまだ、答えられません」
「それでいいさ」
ヴァイスは静かに頷く。
その優しげな低い声は、ルネッタにいつかの言葉を思い出させた。
『具体的なサイズを言えよ。職人呼びゃ足りんのか』
降り積もる幸福を取りこぼしゃしないかと不安にかられたルネッタは箱を強請った。本気でその箱にしまおうだなんて思っちゃいない。ただ不安で。ただ安心を求めた。そんな突拍子もない言葉に、ヴァイスはこともなげに言ったのだ。
いやあ、思い出しても笑っちゃうね。職人って。どれだけデカい箱を想定してんだろ。普通は「なんで」とか「どうして」とかを聞くんじゃないかしら。
惜しむことなく、際限なく、ルネッタに与え続けるヴァイスが隣にいること。
それは、ルネッタにありもしない子供時代をたやすく捨てさせる。
なーんの躊躇いもなく、執着もなく、ぽーいと投げ捨てて振り返る気も起きない。
両手が折れそうな重さだって、抱きしめてやろうって思う。
「へーか」
「ん」
呼べば応えるこの低い声に湧き上がる想いを、なんと呼べば良いのだろう。
物を知らぬルネッタは、どくどくと心音が叫ぶ声を言葉にできず、ぎゅうとヴァイスの袖を握った。
「そう心配するな。必要なら、俺も一緒に考えてやるよ」
そんなことはルネッタもわかっているさ。わかっているから、こんなに胸が苦しいのに。
てんで見当違いなことを言うヴァイスが憎らしくて、でもやっぱり嬉しくて苦しい。ぽんぽんと後頭部を叩くように撫でる手をはたき落としてやりたいような、握りしめてやりたいような。
まるで、自分の手を離れて走り出すような心に、ルネッタはちょっとうんざりしてきた。なんか疲労感がすごいんですけども。
いや、まあ、そりゃあ疲れもするか。
神の残像に、慣れない全力疾走、そしてテレーゼとの突然の再会。身体も心もビックリし通しなんだものなあ。疲れるに決まっている。息切れもするだろう。
なるほど。元気な鼓動を聞かせる心臓は、こりゃ息切れだな。うんうんと頷いて、ルネッタはヴァイスの袖から手を離した。
動揺しすぎてちょっと気恥ずかしい。
「ありがとうございます」
とりあえず話を終わらせようとルネッタが礼を言うと、ヴァイスは「おう」となんでもないように答えた。ルネッタは頷きで返して、テレーゼに向き合う。
「テレーゼは、ここで神について調べていたのですか?」
目を赤く腫らしたテレーゼは、「はい」鼻をすすった。
「城が消えたと聞きこちらに訪れた帰りに、この場所を見つけたのです。王城の森は、最初の魔女と呼ばれた王女が好んでいた場所ですから、誰も足を踏み入れません。その、お恥ずかしながら、わたくしもそうでした。けれど……」
ちら、とルネッタを見たテレーゼは眉を下げて笑った。
「王城の跡地を見た後です。なんだか、全てが馬鹿馬鹿しく思えて……そう、少し、自棄になっていたのかもしれません」
テレーゼは、ふらふらと森に足を踏み入れたそうだ。
「……当たり前ですが、森はただの森でした。わたくしは、わたくしたちは、何をしてきたのだろうと後悔していた、そのときです」
テレーゼは、不思議な魔力を感じた。
ふっと呼吸が楽になるような清々しさと、膝をつきたくなるような圧力。誰からも感じたことがない魔力の異質さは、テレーゼに恐怖を抱かせるのに十分だった。引き返そう、そう思ったテレーゼの足は、しかし動かなかった。
「どうして?」
問うたルネッタに、テレーゼは小さく笑った。
「貴女様のお顔が浮かんだのです」
「え」
テレーゼは、すいとヴァイスに視線を動かす。
「城の跡地にいた魔導士はオブドラエル国の者だと聞きました。魔導士たちに何かあれば、ルナティエッタ様のお立場が悪くなるのではないか、と」
「ルネッタを責めるやつはいねぇよ」
「ええ。この国のわたくしが心配などと失礼なほど、ルナティエッタ様は大切にされていると、今ならわかります。けれど、その時のわたくしは愚かにも存じ上げなかったのです」
悲しそうな顔をするテレーゼと眉を上げるヴァイスの間に、「まあまあ」と両手を上げたトゥレラージュはひょいと顔を出した。
「王宮ってのは大抵、悪意渦巻く場所ですからね。陛下が蛆虫を駆除しなければ、我らの王城とて例外ではなかったでしょう? テレーゼ殿のご心配ももっともではありませんか」
悪意。蛆虫。駆除。キラキラのお顔から歌うように紡がれる言葉のまあ、おっかないこと。え、お城ってそんな場所なの? ルネッタの知るお城はあったかくて優しい場所なもんで、ルネッタは小さく衝撃を受けた。
「べつに怒っちゃいない」
「いっっったい!!!」
がし、とヴァイスの大きな手がトゥレラージュの顔面を捕まえる。
「結果的に、テレーゼがうちの魔導士に情報をよこしたおかげで、神がいた場所だとわかったわけだからな」
「この場所を封印し調査をする、だからこの場所について口外しないようにとご命令を受け、そのお役目をさせてほしいと名乗りを上げたのはわたくしですが、まさか本当にお任せいただけるとは思わなかったので、驚きました」
「封印?」
「お前が暴走しないように」
「あぅ」
実際にルネッタはトゥレラージュとシャオユンを振り切って全力疾走をかましたわけであるからして、何も言えない。心当たりが多すぎて全身打撲だ。
ヴァイスはトゥレラージュの顔面から手を離すと、軽くため息をついた。
「遅かれ早かれ、お前には気づかれるだろうとは思っちゃいたがな。……テレーゼ」
「はい」
「どうする」
「どうする、とは」
ヴァイスは視線を湖に向ける。
「何が起きるかわからないからな。不用意にこの場所に近づく奴がいないように監視は必要だが……一番警戒していた奴に知られちまったからには、そこまで厳重にすることはない」
「はい」
「あんたが手伝いを申し出たのは、贖罪のつもりもあっただろう」
テレーゼは静かに笑う。図星なのだろう。
テレーゼが何を悔いているのか、わかるようでわからないルネッタは大人しく二人の会話を見守る。
「なら、どうだ。侍女としてもう一度、ルネッタを側で支えるという選択肢もあんたにはあるんだが」
「!」
テレーゼは、は、と目を見開いた。
またも久しぶりの更新となり申し訳ございません。
プライベートで起きた問題で、創作にあてる時間と気力を失っておりました……
無事落ち着きましたので、心機一転、頑張りたい所存です!
尚、過去編が終わりましたので更新は再び週1予定です。
どうぞよろしくお願いします!!




