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魔女を嫌いな国15

 愛。

 愛? 愛とな???? え、愛? 愛ってなんだっけ。ぽかーんとしてしまったルネッタの頭にどばーんと現れたのは、ルネッタの大好きなお姫様と、お姫様を大好きな騎士の二人だ。


 ヴァイスにくっついて出席した隣国の夜会で出会ったお姫様、もとい王太子の婚約者ソフィーリアは、その夜「クソッタレ馬鹿王子」に愛想を尽かし夜会を飛び出した。

 騎士はそれを追っかけたらしく、その後ルネッタが再会したときには、二人揃って「ソフィ」と「リヴィオ」という名でにっこにこしていた。もう、にっこにこの、にっこにこ。全身でお互いが大好きー! 叫び合っていた。ヴァイスは二人を「バカップル」とややうんざりしたように称していたが、見守る視線があったかかったので二人を気に入っていることは間違いないだろう。


 愛、と聞けばルネッタは真っ先にあの二人が思い浮かぶわけだが、いやこれは違うだろうとルネッタは首を傾げる。

 テレーゼは、眉を下げて笑った。


「今更何をと思われるでしょう。貴女を愛おしく思えば思うほどに耐えられず、乳母という仕事から逃げたわたくしが何をと」

「やめろ。過ぎた自虐はルネッタの為にならん」


 どさ、とヴァイスは大きな音を立ててルネッタの隣に座り込んだ。


「何も調べずに仕事を任せたと思ってんのか」

「へーか?」


 ヴァイスは、ルネッタを真っ直ぐに見ている。見飽きることのない瞳は、なぜだろう。ルネッタの知らない顔をしている。心が、じりじりする。


「へーか」

「すまん」

「!」


 ルネッタがなんだろうと探る間もなく、二つの瞳が見えなくなった。

 ヴァイスは、がばりと頭を下げたのだ。

 王の突然の謝罪に驚いたのは、ルネッタだけではない。

 テレーゼもトゥレラージュもシャオユンも、この場にいる誰もを慌てさせているのに、当の本人は頭を上げる気配がない。なになにどういうこと。


「へ、へーか!」


 ルネッタが、あわわと肩に触れようと手を伸ばすと、ヴァイスは「悪かった」とまた詫びを口にした。


「テレーゼが落ち着くまでお前と会わせるべきか、判断を迷っていた。だがもっと早く、お前に伝えてやるべきだった」

「……なにを?」


 ゆっくりと顔を上げたヴァイスの瞳の優しさに、ルネッタは息を止めそうになった。


 いつも、この瞳に見られていた。

 ルネッタを叱るときも、からかうときも、ルネッタが笑っているときも、泣いているときも、いつも、この瞳がルネッタを見ていた。

 おひさまみたいに温かで、ふかふかのクッションみたいに柔らかな、深く深い紺色の瞳。


「ルネッタを大切に思う人間はちゃんといたんだってことを」

「あ」


 ルネッタは、テレーゼを振り返る。

 ぼろ、とテレーゼの瞳からまた涙が溢れていった。


「あんたは逃げたんじゃない。もう乳母は必要ないからと、ある日突然、城から追い出されたんだろ。ルネッタが言ったとおりだ。あんたはルネッタを真っ当に育てようとした。周囲から良くは思われていなかったはずだ」


 ルネッタが覚えているテレーゼの最後の姿は、小さな背中だけ。お別れの挨拶もなかった。ある日からぱったりと姿が見えなくなって、でも仕方がないと思っていたのに、違ったのか。


「いいえ」


 テレーゼは、力なく首をふる。


「あの時、わたくしは、ほっとしたのです」


 そろりと両手を持ち上げたテレーゼは、何かを抱くように指を広げた。


「……貴女を抱いた時、恐ろしく思いました」

「魔女だから?」


 ふふ、とテレーゼは零すように笑った。


「否定はできません。けれどそれ以上に、あんまりにお小さくて、熱くて、わたくしは命を育てるのだと、恐ろしくなったのです。この年になるまで、子どもを育てた経験などありませんでした。聞いた話や本を参考にするしかないのに、本当にわたくしに育てられるのかと……おかしいですよね。その時はたしかに、『死ねば呪いが発動する』からではなく、ただただ目の前の小さな命が消えてしまうことが恐ろしくて……毎日必死でした」


 お可愛らしかった、とテレーゼは涙を落とした。


「とても、お可愛らしかったのです。目を閉じれば次の瞬間には息をしていないのではないかと怖いのに、泣き止んでくださらないと苛立って、食事を喉に詰まらせるのではと恐ろしいのに、食べずに吐き出されると悲しくて……毎日、牢の中は息苦しくて辛くて、けれど」


 テレーゼが、震える両手をこちらに伸ばす。

 ルネッタは反射的にそれを握った。


「わ、わたくしに伸ばされる小さな両手が、わたくしの腕を蹴る力強さが、わたくしを映すその真っ黒の瞳が、お可愛らしかったのです」

「っ」


 ぎゅ、とルネッタの手に力が入れば、テレーゼは目を細めた。後から後から涙が落ちていく。


「貴女が育つほどに、貴女を慈しむほどに、自分がしていることが恐ろしくてなりませんでした。その恐ろしさから逃げられると知ったあの日、わたくしはほっとしてしまったのです。なんて愚かしいのでしょう。一番恐ろしいものは、わたくし自身なのに!」

「テレーゼ」

「ごめんなさい、ごめんなさいルナティエッタ様」


 ルネッタはテレーゼを恨んでも憎んでもいない。

 一人で逃げた、だなんて。思ったこともない。

 そんなことよりも、なんと言っただろう。可愛い。可愛いだって? 金色の目を持つテレーゼが、ルネッタのこの黒い目を、可愛いだなんて。


「ルネッタ」


 驚きすぎて言葉にならないルネッタの背に、大きな手のひらが添えられる。


「お前、誰を待ってたんだ」

「……あ」


 ああ、なあんだ。そっか。

 ルネッタは思わず笑ってしまった。


「意地悪ですね。知ってたんじゃないですか」


 あの部屋にいるのが『国殺しの魔女』だってことだけじゃない。階段を降りる足音が聞こえる度に耳を澄ませていた、あの頃のルナティエッタすら知らなかったルナティエッタの気持ちも、ヴァイスにはぜーんぶお見通しだった。


「知らねぇよ」

 

 嘯く台詞は初めて会った時と変わらない。けれど、にやりと笑う顔を優しいと思うのは、ルネッタがヴァイスの優しさに触れてきたからだ。ルネッタは、その優しさを好きだと感じる心をもう知っている。


「……テレーゼ、私、貴方に会いたいって思ってました。私、テレーゼが見せてくれる『小さな木の行進』が好きでした」

「木の行進?」


 ヴァイスに頷いたルネッタは、指を振る。植物をつくる魔導力に呼びかければ、地面からにょきにょきっと木が生えてくる。そして一列に並ぶと、ルネッタの合図を待つように葉を揺らした。

 それにルネッタがもう一度指を振ると、わっさわさと左右の幹を揺らし、木が歩き出す。


「なにこれ可愛い」


 あはは、と笑うトゥレラージュに、シャオユンも「なるほど」と笑った。


「物体の生成、操作、それだけでも難しいのに、数が多ければ多いほどより困難になる。基礎の応用に、こんなに適してこんなにハイレベルな魔法はありませんね」

「しかも楽しい」


 笑うトゥレラージュに、ええ、とシャオユンが頷く。ルネッタもこくりと頷いた。


 ルネッタが覚えているテレーゼは、必要最低限のことしか話さない人だ。いつもフードを深く被っていたから、顔もろくに覚えちゃいない。

 だけどたくさんのことを教わった。思いやりを持って育てられた。

 ルネッタはそんなテレーゼを恨んでもいないし、憎んでもいない。

 だから許すとか許さないとか、そんな難しい話はさっぱりとわからん。

 ルネッタがテレーゼに言いたい言葉は、一つだけだ。


「ありがとうございました」


 乳母がテレーゼでなければ、ルネッタは違うルネッタだった。紡いできた魔法一つ一つが、今のルネッタをつくっている。

 そんで、ルネッタは自分のことがそんなに嫌いじゃない。多分ね。

 そりゃあ、自分には他者より足りていないものがたくさんあるんだってことは知っちゃいるけれど、ヴァイスは知らないことは知れば良いだけだと言うし、ルネッタもそう思う。だって知らないことを馬鹿にするんじゃ、魔法を使えない人を馬鹿にするこの国の「魔法使い」みたいじゃないか。ルネッタは誇り高き魔女だもの。

 恨みに濡れた人生なんて、お断りなのだ。

 

 そんなわけで。


「ところで、今ひとつ納得いかないんですが」


 絵本だったならば、「お話はこれで終わりですよ」と本を閉じるだろうってイイ感じの空気になったのに、眉間に皺を入れたこわあーい顔で声を上げたシャオユンに、ルネッタはぎょっとした。


「シャオユンまでへーかみたいな顔してます!」

「だからどういう意味だ」




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― 新着の感想 ―
[一言] テレーゼさんの気持ちわかってしまう。 産後初めて我が子を抱いた時怖かった。 ホニャホニャとして余りにも小さくて、当たり前に自身の全てを委ねてくる赤児。 同時期に出産した他の母親達は慈母の微笑…
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