魔女を嫌いな国12
目が眩むほどの光が消えると、ルネッタの行く手を阻んでいた木も跡形もなく消えていた。
そしてそこにいたのは、「ルナティエッタ」と名を呼び、言葉を教え、文字を教え、王女の何たるかを説いた人。
ルナティエッタのかつての乳母だ。
「──テレーゼ……?」
ぽかん、と呟いたルネッタを、テレーゼは見開いた目で見ている。
よほど驚いたのだろう、はっとしたように両手で口を押さえている。いやだがしかし、ルネッタはそれどころではない。強烈な神の気配に、これはまずいと急いで杖を振る。
『眠りの海底 新緑のゆりかご 涙々の焔 怨嗟の墓場』
ルネッタは魔法を使うとき、身体の奥の奥で魔力を練り上げている。
可能な限り身体から放出される魔力を抑え、目の前に存在している魔導力を操作するのだ。
何代目かの「国殺しの魔女」から始まった魔法の使い方で、それが少々特殊なのだということをルネッタは部屋から出て知った。同時に、魔女の魔法としては珍しいものではないと知ったのも、古今東西のあらゆる魔導書を手に入れられるようになってからであるがまあ、んなことはどうでもいい。
肝心なのは、これは国殺しの魔女たちにとって幸いであった、ということだ。
この魔法は、どれだけ自分の深い場所で濃く強く丁寧に魔力を練られるかにかかっている。
『殺せよ産声 私は居ない』
始まりの魔女サーネットから受け継がれた魔力、魂に結界を施すのだから。
『シーズアローズ!』
ぐ、と杖を握る手と、胸に当てた手に力を入れる。
身体の内側で渦を巻く魔力のうねりを堪えれば、維持し続けている魔法がより強固になったことがわかった。これでようやく落ち着ける。
ふう、とルネッタはその場に座った。
楽な魔法ではない。
なにせ、自分の魂を封じるような魔法だ。そんなものを重ねて施せば無理も生じる。
軽いめまいを覚えて目を閉じると、慌てたような足音がルネッタに近づいた。
「ルナティエッタ様!」
顔を上げると、真っ青な顔をしたテレーゼが、膝をついてルネッタを見下ろしている。
あの部屋ではけっして自分と目を合わせようとしなかったテレーゼが、脱げたフードに構う様子すらない。一体どういうこった。
「大丈夫ですか!」
「え、あ、はい」
間抜けな返事を返すルネッタの全身に目を走らせ、テレーゼは深い溜め息をついた。よそよそしい態度を崩さなかったテレーゼらしくない。ルネッタはパチパチと瞬いた。ルネッタはこんなテレーゼを知らない。
とはいえ。
テレーゼとはもう何年も会っていなかったのだ。おまけに、一緒にいたときだって必要以上の会話をしていない。そんなテレーゼの何をルネッタが知っているというのだろう。違和感なんて、あって当然だわな。
「テレーゼ、ですよね」
というか、本当にテレーゼなのだろうか。
テレーゼって、こんな顔だっけかな。最後に会ったのがいつかさえ、ルネッタは覚えちゃいない。ある日突然、テレーゼは姿を見せなくなったんだもの。
自分の記憶が心配になって問うと、テレーゼは目を震わせた。え、嘘待って泣くの? え、ルネッタのせい??
「わたくしのことを……覚えておいでなのですね……」
「まあ、はい」
自分を育てた乳母の存在を忘れるほど阿呆だと思われてんだろうか。失礼だな。ルネッタはちょっとむっとしたが、大人しく頷いた。空気は読むものなのだと最近覚えたのである。えっへん。などと得意げになっている場合ではない。
「まだ幼かった貴女を置いて逃げたわたくしのことを、さぞ恨んでおいででしょう」
ぐ、と唇を噛むテレーゼは全身が痛くてしかたがない、という顔をするのだ。みんなしてルネッタの前でなんて顔をするんだろう。勘弁してくれ。ルネッタは人を慰めたり励ましたり、そんなハイレベルなことできないんですけども!
「恨む? なぜ?」
とりあえず意味がわからず首を傾げると、ひい! テレーゼは顔を覆ってしまった! ルネッタのせいかなこれ!
「子どもに罪を背負わせ監禁するなど、なんて恐ろしい真似をしているのだと、わたくしは、自分のしていることに耐えられなくなって、なのに、あなたを、置いてっ……!!」
ついには身体を丸めて嗚咽を漏らすので、思わずルネッタは両手を挙げてしまう。なんで。わからないけど。なんか。つい。
誰か助けてほしいと切実に思うが、トゥレラージュとシャオユンを置いてきたのはルネッタだ。誰も助けちゃくれない。置いていったもの同士ですね、とふざけたことを言う場面ではないなということくらいは、ルネッタにもわかるんだけれど。
「申し訳ありません……っ!!!」
絞り出すような謝罪に、ルネッタは首を振った。
「謝らないでください」
「あ、謝っても、許されてはならないと、思っています。本当に、もうしわけ……っ」
「!」
そういう意味じゃないのに! ルネッタは万歳した両手を震わせた。どうしよう。
だって、国のために封印を施した部屋で生きて死ぬ。そう決めたのは、ルナティエッタたち自身だ。死ぬと国に災いが降りかかるんだから、それを防ぐためには仕方がない。
それをルネッタは当然だと思っていた。
いや、今も思っている。
真相を知ったからこそ、ルネッタは自分たちの判断は正しかったと思っている。
そりゃあ、吐き捨てられた言葉もあの部屋もひどいものだったと思うが、それはそれ。自分たちの行いは誇っている。だって。ね。
「お姫様に会ったんです」
え、とテレーゼは顔を上げた。
「その子は、王子様の婚約者で、王妃様になる予定でした。国のことをいっぱい考えていて、自分よりも人のことばっかり考えていました。いっぱいいっぱい努力して我慢して、でも、それはぜんぶ当たり前のことだって言ってました。良い王妃になるためには、当たり前なんだって」
蜂蜜がたっぷり入った紅茶みたいな瞳と、太陽に照らされる葉っぱみたいな緑の髪の女の子は、しゃんとした背中が綺麗で、絵本の中のお姫様みたいだった。ルネッタは、初めての友人を思い浮かべながら言葉を重ね、そして、どんどん焦る。うまく話せている気がしない。伝わるかなあこれ。
テレーゼはルネッタの真意を探るような瞳でこちらを見ている。伝われ、とルネッタは両手を握った。
「私たちも国のことを考えていただけです。王女だから」
「それは」
「あんたが言ったからじゃない」
忌まわしいほどの神気を切り裂くような声に、ルネッタは振り返った。
深い紺色の瞳。あらゆるものを跳ね除けるような眉間の皺。
怖い顔してんのに、全身から力が抜けるくらいにルネッタを安堵させる不思議な魔法を使う男は、「逃げ足が早いことを褒めてやるよ」とため息をついた。
「へーか」
「それはそれとしてお前、あとで説教だからな」
「む」
ぽん、とルネッタの頭に手のひらを乗っけたヴァイスは、テレーゼを見やる。
「言っただろう。こいつらは、自分たちの意思で国を守り続けているんだ。あんたが悔いるべきは、ルネッタを王女として育てたことじゃない。あんな城で育てたことだ」
「でも、それも、難しいです」
あ? と見下ろす瞳をルネッタは見返す。
「あの部屋は、私が出られないだけではなくて、私の魔力が漏れ出ないように結界を張っていました。あの部屋を出ても平気なのは、私が成長して、自分の魂にかけた結界が強化されたからです。テレーゼがいなくなった頃は多分、まだ無理です」
ルネッタは、テレーゼの向こうでキラキラと光る湖に視線を移した。
立ち上る清浄な空気にうんざりする。あれは、ここにいたのだ。
すべての始まり。
ルネッタが腹を立てている、はた迷惑な存在。
「きっと、見つかっていたでしょう。──神に」
ギリギリの滑り込み更新で失礼しました…!
ところで皆様、今月のはじかねコミカライズはご覧いただけましたか?
更新日が変わっていますので、まだ見てない!という方はご注意くださいね。
今月はイチャイチャイチャイチャと可愛い二人が素敵…なのはもちろんですが、個人的に「先生」の顔がツボです。すごい良い顔してますな。
「紫」の意味と「刺繍」と、ここまで丁寧に張られた伏線もおしゃれ…!
プレミア版では、皆さん待ちに待った「彼」の可愛い姿が見られます!可愛いの大渋滞!!!




