魔女を嫌いな国11
構成としちゃ、シンプルな魔法だ。
広がっていく濃い魔力を、極限まで圧縮させて消滅させるだけ。
とはいえ、だ。魔力自体を圧縮するのは簡単にはいかないだろうなという規模だったので、ルナティエッタは見えない箱を用意する。箱の中の空間はルナティエッタが「空間」とはっきり認識できないほど広いものにして、それに魔力を吸い込ませるのだ。
そんでもって、ルナティエッタが「小さな箱」と認識しているものに、圧縮の魔法をかける。中身については「吸い込まれたもの」として認識しない。ルナティエッタはただ「小さな箱」に圧力をかけ、潰して、消すのだ。
全てはルナティエッタのイメージの細かさと精密さ、とどのつまり「思い込みの力」にかかっている。
仕上げはそりゃあ御覧じろ!
すぽん、となんだか可愛らしい音を立てて、魔力は綺麗に消え失せた! むふん!
やり遂げた充実感を感じながらルナティエッタの身体は、あれれ。落下していく。何をどうしたのか、自分でもわからぬが、部屋からここまで飛ばされたルナティエッタの身体は宙に浮いていた。
身体を空中に留める魔法を、っていや待てそりゃどんなイメージをすれば良いのだ。ルナティエッタは空を飛ぶものを見たことがない。が、本を浮かせたことはある。あ、つまりはあの要領でやれば良いわけだな。と、気付いた時には。
ぽすりと着地していた。あれ?
「軽すぎだろお前」
「え」
声のした方に顔を上げれば、濃紺の瞳がふたっつ。
やけに楽しそうにルナティエッタを見下ろしていた。
「しかしさすがは俺の魔女だな。見事だ」
「ありがとうございます?」
俺の魔女。
自分はそんな呼称だったかと「?」を飛ばすルナティエッタに、誰かが叫んだ。
「く、国殺しの魔女だ!!!!」
あ、そうそうソレ。ソレがルナティエッタたちの二つ名だ。
国殺し。国を何度も殺しかけた厄災の名。
男に告げることができなかった、ルナティエッタの正体。
ルナティエッタは、そろりと男を見上げる。
「我が国に相応しい仰々しい名だな」
ニヤリと笑う顔の、まあ悪そうなこと!
何やら叫んでいる王がやたらちっぽけに見えて、ルナティエッタは瞬いた。
ぱちぱち。瞬きするルナティエッタから、男は目を逸らすことなく笑う。
「魔女、名前は?」
誰かに名乗るのは初めてだと、ルナティエッタの心がぴょんと跳ねた。なぜ今この場で聞かれているのかなんて、飛び跳ねるルナティエッタの心は考えない。
「ルナティエッタです」
素直に答えると、「ひい!!」と周りの人々が一斉に叫んだ。
いっつも怖い顔をしていた王まで真っ青なので、ルナティエッタは首を傾げる。
「そうかそうか。なあルナティエッタ、この城にお前以外のルナティエッタはいるだろうか」
おかしな質問ですね、とルナティエッタは思ったが、やっぱり素直に答える。
「いいえ。ルナティエッタは、『月の光を映す者』という古い言葉です。月の光、すなわち王家の栄光を民に授ける者を意味しますから、その名を使えるのは王族だけのはずです」
ルナティエッタという名は、ルナティエッタが生まれる前に考えられていたものらしいから、他に「ルナティエッタ」がいたならば、王妃はこの名を使おうと思わなかったはずだ。紛らわしいもんね。だからご先祖様を除外すれば、ルナティエッタが生まれるよりも前に、「ルナティエッタ」は存在しない。
そしてルナティエッタという名は、ルナティエッタが生まれたすぐ後に、忌み名として王家の記録に載せられているらしい。呪いの魔女の名前なんぞ使えるものか、というわけだ。ならば、ルナティエッタが生まれて以降にも、「ルナティエッタ」は存在していないだろう。
「つまり、私だけかと」
「そうか」
男は、にい、と唇の端を釣り上げた。
「ああ、挨拶が遅れたな。俺はヴァロイス・エルサート・アスキロス。隣国で王をしている」
なるほどだから、とルナティエッタは目を見開いた。
「へーか」
「そう」
男は──ヴァロイスは愉快そうに頷いた。
「本物だ!!!」
「やはりあの黒い魔女は王女なのだ!!」
騒ぎ出す大人たちに、何を今更とルナティエッタがびっくりする横で、「動くな!」と銀色の髪の男が叫んだ。
ふわふわと揺れる長い髪をリボンで縛った男が手を挙げると、数人の魔道士たちが示し合わせたように防御魔法を展開する。術式はなんだかやけに混み合っているが、スピードが早い。おお、とルナティエッタが凝視する前で広がった魔法は、広間一帯を覆った。
「勝手に広間から出ないでいただきたい!」
魔法石みたいな強い緑の光で叫んだ銀髪の男が言うと、王が叫んだ。
「何を勝手な真似を!」
「先に手を出したのはそちらでしょう。ルナティエッタ王女殿下がいらっしゃらなければ、この場は一体どうなっていたのでしょうね? 果たして横暴はどちらなのやら」
目を細めてにっこりと笑う顔はルナティエッタが見たことのない表情。ルナティエッタは「こわい」とちょっと思った。ぎゅ、と手を握る。
「ふ」
軽い音が落ちてきたので、はてと顔を上げるとヴァロイスが眉を寄せて笑っている。なんだろうとルナティエッタが首を傾げていると、「王女殿下」と銀髪の男が近づいてきた。
「おうじょ」
呼ばれ慣れなさすぎて呟くと、「はい」と男は目元を緩ませた。ついさっきと別人のような柔らかい表情に、ルナティエッタはまたびっくりする。
「おや陛下、すっかり仲良しですね」
「なんだ羨ましいのか」
「それはもう」
ふふ、と男は笑いながらルナティエッタの手元を見ている。その視線を追いかけると、またまたびっくり。ルナティエッタの手はヴァロイスの服を握っているではないか!
はっとして手を離すと、ヴァロイスはくつくつと笑った。
そして、静かにルナティエッタをその場におろす。
カツン、とピカピカの床の上で靴の踵が音を立てた。
「フェル」
ヴァロイスが声を掛けると、銀髪の男は「はい、二枚ご用意しています」とにっこり笑った。
「二枚?」
「ご存知ありませんでしたか陛下。私、優秀なんですよ」
にこにこ笑う男は、ルナティエッタと目が合うと胸に手を当て深く腰を折った。
「お初にお目にかかります、私はフェルアドール・ナインセアと申します」
「!」
ざわ、と周囲で声が上がる。ルナティエッタも一緒になって声を上げてしまいそうだった。
だって、初めてだ。生まれて初めて、他人から挨拶をされた!
「っ」
ルナティエッタは、震える手でドレスをつまむ。
頭は下げすぎない。
それで、ゆっくり、少しだけ、かがむのだ。
いつ使うのかわからないのに、王女なのだからと乳母に教わった、王女の礼。
ぶるぶると震える足を、揺れる身体を、フェルアドールはけれども笑わなかった。
「殿下、こちらに二枚の書状がございます。殿下はどちらがよろしいでしょうか?」
「?」
「な、どういうつもりだ!」
良かった。ちっとも展開についていけないのはルナティエッタだけではないらしい。叫ぶ王に安心する日が来ようとは。驚きの連続すぎて心臓が止まりそう。
「先ほど申し上げましたように、我々は和平の証として王女殿下にお越しいただくことを望んでいます。つきましては、殿下に二つの提案をさせていただきたく」
でしょう? とこちらを振り返る笑みに、ヴァロイスは「ムカつく顔」とフェルアドールが取り出した紙を奪い取った。
そして、ルナティエッタに差し出す。
「魔法使いの国の提案は、向こう三年、オブドラエルに魔法石や魔法道具の輸出について制限をかけることもなければ、戦をしかけない。代わりにオブドラエルも同様に、魔法使いの国に手を出さないことを約束する、というものだ。異論はねぇが……俺はこの国を信用できない」
え、それは口に出していいやつ?? 流石のルナティエッタだってなんかそういうのはわかるけども、と目を見開く。思ったのはルナティエッタだけではないだろう。「なんと無礼な!」「これだから外の国は」と、ざわざわ声が重なるのを見渡しながらヴァロイスは続けた。
「なにせ、パーティーで和平交渉の相手を自国の貴族もろとも殺害しようとする、感情表現の豊かな王でいらっしゃるからな」
ぐう、とどこからか呻くような声が聞こえた。
「馬鹿にするなよ。他国の人間を見下す王が、『外の国』に危機感を覚えて和平だと? 見え透いてんだよ。俺を抑えつけて、ついでに周辺国を手に入れちまおうとでも思ったか?」
フン、と鼻を鳴らすヴァロイスの言葉に、「まさか」「外の国などを手に入れてどうするんだ?」「そういえば当代の王は金遣いが荒いと」「馬鹿黙れ!」と色んな言葉でざわざわが盛り上がる。
何がなんだかさっぱりわからないルナティエッタは、ただぼけっとヴァロイスの顔を見ていた。
──こっちの方が良いです。
やっぱり髪と目の色は嘘だったのだ。この国に潜り込むための変装ってやつだな。
光の下で見るヴァロイスの濃紺の瞳は、いっそう綺麗だもの。
自身で発光してんじゃないかしらってぐらいに強い眼差しに、すっきりとまとめた黒い髪がよく似合っている。
金色は似合ってなかったです、と一人で頷くルナティエッタに気付いたように、ヴァロイスはこちらを見た。
「そこでだ」
「っ」
一気に全員の視線が集まり、ルナティエッタは背筋を伸ばす。何、なんだこの空気。
「王女に提案だ。長い期間を提示したとてこの国は納得しねぇだろうから、三年で構わない。その三年間、和平の証として我が国に滞在するか」
す、と両手にそれぞれ紙を持って、ヴァロイスはにやりと笑った。
「俺と結婚しろ」
「!」
「は」
「な」
「はあ?!!!」
どかん、と爆発するように大きな声が上がった。
うるせぇ、と眉を寄せるヴァロイスを、ルナティエッタはぽかんと見上げる。
「いや、まずは婚約だったな」
いやいやいやそういう問題でなく。なんて。なんて言いった。なんて?? 結婚? 婚約??? 誰が。ルナティエッタが? ルナティエッタだぞ??
「この国と縁切っちまえよ。俺の国の民になればいい」
「は」
「俺と来るだろ」
「っ」
もはや「来い」ですらないだと!? ルナティエッタは「行く」とは言っていないんですが?! あのとき断ったはずなのに、向けられた初めての優しさを突き放したはずなのに、なのに、なんで。
「誰かの言葉さえ呪うことなく、王女として国を守ろうとし続けたお前たちの覚悟を、俺に守らせろ」
なんで、どうして、ルナティエッタたちの声が、このひとには聞こえているんだろう。
「わ、わたし」
「この国の王は私だ!!」
叫んだ王は、ヴァロイスの後ろから手を伸ばした。
「国殺しごときが政に口を出すなど許されるものか!!!!」
「へーか!」
「っ」
首を掴まれたヴァロイスが、ぐ、と苦しげな声を上げる──のではなくて、笑った。え、とルナティエッタが驚いたその時。
「ごへぇっ!」
王の身体が後ろに吹っ飛んだでいった。
高く上がったヴァロイスの右足のまあ長いこと!
蹴り飛ばしたのだとルナティエッタが気づいた頃には、王の身体は壁際にあったし、ヴァロイスは満足そうに周囲に目を走らせた。
「正当防衛だ」
異議を認める気が全くない主張であった。
その迫力に、全員が頷く。なるほどこれが力技。
「さて、俺は二度も殺されかけた。これは本来、公に追求すべき国際問題であり、大々的に発表するところだが」
そうだなあ、とヴァロイスはふらふらと身体を起こす王に、目を細めた。
「『外の国』を馬鹿にしてきたお前らが、ついに『外の国』の人間を手にかけたとあっちゃ、『口実ができた』と喜ぶ王が世界中にいそうだなあ? 一国対世界……それでもお前らは強気でいられるのか……いやあ、見ものだな?」
「ひいいいいいい」
「や、やめろ!!!!」
会場中で悲鳴が上がる。王だけではなく、いろんな大人たちが震えているし、ぴかぴかキラキラの王妃とおそらく王女だろう二人は今にも倒れそうなほど真っ青だし。
ルナティエッタは呆気にとられてしまう。
この国の大人たちはもっと巨大な何かに見えていたのに、今ルナティエッタの目には、ヴァロイスこそが大きな存在に見える。
ぼんやり悲鳴を聞くルナティエッタに、再びヴァロイスが書面を突き出した。
「魔女じゃなくても国は滅ぼせるぜ」
そんな、さあ、自信満々に言う事だろうかね。もうなんもかんもが、そう、馬鹿らしくなってきちまって、ルナティエッタは両手を伸ばした。
「私達、誰も呪ってないです」
「そうだな」
知ってるよとばかりに、すこっしも揺るがない強い眼差し。この目に貫かれたら、もう駄目だなこりゃ。
ぎゅ、とルナティエッタは両手で紙を握りしめた。
「私と結婚してください、へーか」
三年間、と期限付きの紙は燃やして灰にすると、ヴァロイスは「婚約」の文字がある書類を手に笑った。
「では、王女を貰う対価は俺の殺害未遂を黙認すること、としよう」
「良いんですか」
「タダですんでラッキーだ」
実は戦は嫌いなんだ、と笑うヴァロイスに連れられて、そうやってルナティエッタは国を飛び出した。
そっからまあ、いろいろあった。
散々コケにされた王が報復を企み、ヴァイスを罠にかけようとしてやっぱり返り討ちにあって。
それで、ルネッタは知ってしまったのだ。
最初の魔女の、呪いの一ページを。
入りきらずにカットしたのですが…
ヴァイスが「欲しい」と思える魔道士を見つけた場合、オブドラエル側は期間中に自国で採掘される鉱石の半分を渡す予定でした。
宝石としてはもちろん、魔法道具の材料にも加工できる鉱石なので貴重なものではありましたが、それくらいでないと取引に応じないだろうと考えたからです。
軍事力ならぬ「魔法力」が足りない国のためには優秀な魔道士を借りることの方が大事であると判断したわけですが……結果的に損失が出なかったのでヴァイスは上機嫌。フェルは三年後に報復を決意。
顛末を聞いたジェイコスは悪ガキ二人の暴走にブチ切れました。




