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魔女を嫌いな国10

 目を開けたルナティエッタは、自分が眠っていたことに気がつき驚いた。

 僅かな時間であったが「会話」という慣れぬ行為で疲労していた身体は、珍しく朝を告げる魔導力に覚醒することはなかったらしい。


「あ」


 ところが、起きた途端に、ざわざわとした魔導力を全身で感じる。

 嵐だ。

 耳をすませば、ごうごうと風が鳴り、ざあざあと雨が城壁を叩く音がする。


 ルナティエッタは、顔を上げた。

 天井の近く、鉄格子が嵌められた四角い穴の向こうは、真っ暗で何も見えない。けれど、その闇の先に「嵐」がある。


「……見たいですね」


 ふう、とルナティエッタは本棚に向かって呟いた。

 ルナティエッタに「嵐」を教えてくれたのは、ここで過ごしてきた何人もの魔女の一人、「さわがしい魔女」だ。

 吹き荒れる風と勢いよく降る雨、雷雲が叫ぶ騒がしい天候を、擬音たっぷりに綴るそのページはルナティエッタのお気に入りなのだ。

 それでなくとも、ルナティエッタが「さわがしい魔女」と呼んでいる彼女は、なにかにつけて「ピシャー」だとか「ドバー」だとか、よくわからない言葉を使った書記を残す楽しい魔女だ。ちょっと字が汚いところもいい。


 そう。

 ルナティエッタに「魔女の魔法」を教えたのは、本棚に残された、魔女たちの書記だ。

 ルナティエッタたちを「呪い」と呼ぶ城の者たちは、恐ろしくてこれに触れられないらしい。

 ではなぜ紙とペンは支給されるのかといえば、国の発展に貢献することもまた、魔女の仕事だからだ。書いたものは都度、城の魔道士に確認される。

 そうして彼らにとって必要なものだけを抜き取られ、()()()書き換えられていたが、魔女たちは己の手を離れてしまった魔法に興味がない。それでも構わないと、魔女たちは魔法を紙に書き続けた。

 魔女たちの手から生まれる、魔法の研究が書かれた膨大な数の紙から漂う魔力さえも、城の人間は「呪い」と呼び、眉をひそめる。

 ならばとそれを製本する魔法を考えたのは、二番目の魔女だ。

 魔女は言う。


 魔女にとって、魔法を紡ぐことは生きることそのものであると。


 ルナティエッタは、魔女の言葉に深く頷いた。良い言葉だ。だって、思考を止められないんだもの。先代の書記から、日々の生活から、ルナティエッタも新しい魔法をどんどん思いついてしまう。

 そうしてまた自分も紙に魔法を記し、次代に渡す。

 魔法を紡ぎ受け渡すこと自体にいつしか魔力が宿り、次の魔女の魔力を濃くしていることに気づいたのは、「無駄嫌いの魔女」だ。効率の良さにとことんこだわる性格だったらしい彼女の魔法は、ルナティエッタの魔法と相性が良い。


 ルナティエッタは、本の背表紙を、端から端まで指で辿った。

 どれだけ時間が経っても、何度開いても、決して劣化しない、魔女の念がこもった本たち。


「私は()の魔女に、なんて呼ばれるんでしょう」


 ──いつまで、続くのだろう。

 そう、思ったその時だった。


「!」


 嵐など比ではないほどの激しい魔力に、ルナティエッタは己の身体を掻き抱いた。

 誰よりもよく知る、絡みつくような魔力。

 一体、なぜ、どこから?

 立っていられないほどの恐怖に襲われ、ルナティエッタは膝をついた。

 硬い床の衝撃など感じない。それよりも心臓が叩かれているかのように痛む。これは、なんと呼ぶのだろう。失いたくない、と強烈に感じるこの心は何?

 追いやられるままに、ルナティエッタは目を閉じ、魔力を辿った。

 部屋を封印する魔法を避け、感覚を広げる。魔力の糸を探って、辿って、それで、そこにあったのは。


「あのひと……」


 は、とルナティエッタは息を吐いた。

 王が、大きな魔法を撃とうとしている。あの、嵐のような瞳を持った不思議な人に。


「っ」


 身体が千切れるようだった。

 このままでは、あのひとは死んでしまう。ぼたりと床に倒れ、もう二度と彼が笑うことはない。ルナティエッタの前を過ぎ去るのではなく、ルナティエッタの前で朽ちていく。


「いやです」


 心が落ちた。

 嫌だ、などと。物心ついてからルナティエッタは、言ったことも思ったこともない。全てを当たり前だと享受してきた。


 でも、駄目だ。これは駄目だ。嫌だ。あのひとがこの世から失われるなど、あってはならない。

 そう叫ぶ心が、言葉になって転げていく。


「嫌、嫌だ、でも、だって」


 けれどもルナティエッタは()()を動いてはならぬ。

 死を封じるこの場所で死ぬことこそがルナティエッタたちの生きる証であり、決意だ。誰も不幸にしないと、全ての魔女が願った。誓った。

 願いが、誓いが、魂に魔力を刻みつけていることなど、きっとみんな知っていた。

 それでもやめるわけにはいかなかった。


「だって、私は、私達は、王女です」


 そうでしょう、とルナティエッタは本にもう一度触れる。

 魔力が揺れ大きな音がしたあの夜。怖くて本を開いたルナティエッタに、あれは「嵐」というもので怖がらなくて良いのだと教えてくれたように。いつだって、魔女たちはルナティエッタに「正解」を教えてくれたから。


「ここにいたいと思う私を、嘘にしないでください……!」


 ──本当は、外に出て嵐を見たいとずっと思っているのに?

 きっと、本当の本当は、みんな、「外」に出たいと思っていたはずなのに?


「っ」


 その魔力の揺れを、ルナティエッタが忘れることは生涯ないだろう。


 走れ!


 泣き叫ぶ声のような魔力が、体中を包む温かさを。

 この世から魔女の死が消えたかのような希望に包まれる歓喜を。


 ドガァン! と大きな音を立て、鉄の塊が飛んでいく。

 鉄柵を破壊したルナティエッタは、熱に浮かされるままに目を閉じ、容赦のない雷轟を想った。

 

 行かなければと強く、強く、願ったルナティエッタは、目を開ける。

 そうして、魔力を自由に操れる、()の外にある自分の身体。

 目の前にあるのは、見たことがないくらいたくさんの人、目がチカチカするような部屋。王の顔。そっくりな二つの女性の顔。

 それから、驚きに見開かれた、胸を撃ち抜くような濃紺の瞳。


「へーか?」


 誰かが叫んだそれが、男の名前だろうか。

 答えを知るには王の魔法を消さねばならないと、ルナティエッタは指を振る。

 赤く光るだろう、自分の黒い髪。黒い瞳。

 居合わせた人々が顔を歪める。恐れが、嫌悪が、広がっていく。けれど、それがなんだ。

 ルナティエッタの魔法は、男の身を守る。

 きっと男は喜んでくれる。



 ルナティエッタはその時たしかに、生まれて初めての幸福を感じたのだ。





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