魔女を嫌いな国9
語られた少女の存在に、ヴァイスは怒り心頭であった。
虫も花も「何見てんだ」って因縁つけてこの世から狩り尽くす勢い。
「生まれたときから幽閉? んなふざけた話があるか!」
家に魔法がかかっていてよかった。本当なら外まで丸聞こえだろうなって大声に、テレーゼは怯えたように声を震わせた。
「む、むかし、金の髪と金の目しか生まれないはずの、この国で、黒い髪と目を持った王女が、国を滅ぼしかけたのです。以来、その王女と同じ色を持つ王女は、『魔女』として、地下の部屋に『封印』されました。生まれ落ちた魔女たちは皆、その部屋でひっそりと死んでいくのです」
「何が封印だ!」
「待ってください。髪と目の色が違うからってだけで? 王女なのに?」
んな馬鹿な。先進国ですって顔しといて、未開の地に住まうお猿さんではないか。
あんまりな所業を聞いて目を剥くフェルに、テレーゼは首を振った。
「王女だからこそと彼女たちはそうして育てられます」
「洗脳じゃねえか!」
「仕方がないのです!」
仕方がないのです、とテレーゼは両手で顔を覆う。
「彼女たちが死ぬと国も死ぬのだから!!」
涙で揺れる声で、テレーゼは叫んだ。
「魔女が死ぬと、雨が……雨が、降るのです」
「はあ?」
わからない、とばかりに声を上げるヴァイスを、テレーゼは見上げる。涙でぐちゃぐちゃの瞳は、恐怖に濡れていた。
「ただの雨ではありません。ほんの一時すら止まない、恐ろしい量の雨が、延々と延々と振り続けるのです。するとどうなるか、わかりますか。あちこちで川が反乱し、土砂崩れが起き、人も作物も死ぬ。病が、飢えが、死が、蔓延するのです。それが、王女の、呪いなのです!!」
「……そんな話、知りません」
フェルはヴァイスに出会う以前、世界中を旅していた。なのに、魔法使いの国でそんな大災害が起きているなんて話を聞いたことがない。
納得がいかないフェルに、テレーゼは「言ったでしょう、昔の話なのです」と涙を零した。
「外の国の力は借りぬと、王が城の魔道士を総動員して解決にあたったのだそうです。元々、外と繋がりのない国ですから。情報統制はさして苦労しないでしょう。民も死ぬ気で魔法を使った。……この国が魔法使いだけの国でなければ、とうに滅びていました」
そんなことがありえるだろうか。いや、ありえているからこそ、テレーゼは怯えているのだ。
少なくともフェルは、テレーゼのように瞬きの間で部屋を外部から隔絶する魔道士を知らない。テレーゼにとって当たり前の魔法がフェルには理解できないものであることこそが、テレーゼの話の証明のようなものだった。
「王や、王宮の魔法使いは、何代もにわたり魔女の呪いを封印しようと研究を続けました。そうして、どうにか、あの部屋で死を閉じ込める封印に辿り着いたのです。だから」
「だから王女を地下で飼い殺すのか」
「っ」
胸を刺されたように顔を伏せるテレーゼを前に、フェルは「なるほどなあ」と声には出さずに笑った。ことに、気付き慌てて口元を隠す。随分と意地の悪い顔で笑っていただろうと思ったからだ。
テレーゼは悔いている。
赤ん坊を魔女と呼んで地下に押し込め、生を死を閉じ込めるその陰鬱さを。醜悪さを。
「貴女は城にいたのですね」
「……っ」
己の罪深さを。
「……ルナティエッタ様の、乳母でした」
わたくしは、とテレーゼはぐしゃりと髪を握った。
「わたくしは、耐えられなかった。自分のしていることの恐ろしさに、気づいてしまった。それで、それで」
ああ、とすり潰すような声でテレーゼは泣いた。
「一人で逃げたのです」
だから外の国の人間に縋っている。
彼女は未だ、逃げ続けているのだ。
──さて。
テレーゼの話に怒り心頭の王様は、一人でお城の地下に偵察に行くと言いだした。
うんうん、フェルくんわかってた。こいつなら言うだろなって。
そりゃもちろん、ここでの最適解は王を止めることだ。
現在地はいわば敵陣。そのど真ん中に王様一人で放り込むだなんて、他の臣下たちに知られたらフェルの身こそが危うい。
と、フェルは己の身を案じる余裕があった。
身軽なヴァイス一人の方が良かろうな、と判断したわけだ。
ヴァイスの隠密行動のレベルの高さといったら、起ち上げた諜報部がその姿を見失うほどである。どこで身につけたのだと全員に詰め寄られたヴァイスは「知らん」と笑った。野生のものらしい。ヤだ野蛮人。
「くれぐれも慎重にお願いしますよ」
「お前もな」
叩かれる背中の痛みの心地良さったら。ホント嫌んなっちゃう。
俺ってばマゾだったっけな。
なんて。笑う暇なくフェルは走り回った。
公式的な王の訪問は来週なので、それまでにフェルはやることがたんまりできたわけだ。文書作成とか根回しとか情報共有とか。
穏便に済めば良いなあと抱いた期待はまあ、んなわきゃねぇだろなってお得意の予見でもある。
ので。もしもの場合に王女を連れて逃げるルートも考えておかにゃならんのであった。
だから優秀なフェルは、別人のように着飾ったヴァイスが、王を怒らせても狼狽えたりはしないのだ。
「もう一度言ってみよ。下賤な王、貴様なんと言った?」
「は! なんて言い草だ。和平のための親睦の会ではなかったのか?」
やーもうどっちもどっちですよね、とフェルは声に出さずに笑う。
具体的な話は明日であったはずなのに。
魔法使いの国の貴族も集まるこの夜会にて、最初に不遜な発言をしたのはヴァイスだ。あっためておいた「買ったろうじゃねえかこの喧嘩」という怒りを高価格で提示しやがった。まあ、フェルに異論はないので放っておいたのも事実だけれど。
「結構。もう一度言おう。和平の証に、アンタが地下に閉じ込めている第二王女を貰い受けたい」
あらあらあら。フェルの耳には、先程はもうちょっと穏便な言い回しだったように聞こえたんだけれど。空耳だったかしら。オブラート突き破ってトゲしか残ってねぇんだけど。
「聞いたか皆よ! かわいそうに、オブドラエルの王は心を病んでおられるようだ! 私に娘は一人しかおらぬのになあ」
薄ら笑いを浮かべる王の言葉に、思わず拍手しちまいそうになったフェルは太腿あたりをぎゅっと抓った。いたい。
いやあ、しかししかし。ヴァイスよりも下品な王様というのは、なかなかお目にかかれるものではないぞ。ただ、嫌ぁな笑い声を上げている貴族ってのはどこも一緒なんだなあとフェルは一人頷いた。頷いて、一歩前に出る。
「フェル」
「はい陛下」
名前を呼ばれることがわかっていたからだ。
フェルは、昔、旅の途中で手に入れた「何でも入るポーチ」から、ずるりと書類を引っ張り出す。
「今から16年前、王妃様は死産されたと報じられておりますが、事実でしょうか」
「な!」
「なんて無礼な!!」
言葉を失う王妃と激昂する王の姿は正しい。フェルだってこんな最低な台詞言いたかないし、言う日が来ると思っていなかった。できれば二度と口にしたくない。
「事実ですか」
「答える必要はない!」
「では、嘘の発表であるとお認めになりますか」
「嘘ではないわ!!」
金切り声の王妃は、ばらんばらんと涙をこぼした。
「あの日、ルナティエッタは死んだの。わたくしの娘は、この子一人よ……!」
「お母様!」
あっ……ぶない。
フェルはぎゅいと唇を噛む。
眩いほどに美しい二人が抱き合って涙するのを前に、「へーあっそ」とか言いそうになっちゃった。てへっ。
「なるほど。では次にいきましょう」
「え」
どっかから聞こえた声を無視して、フェルは書類をめくる。
「エルトー、デルウェル、ストロイール、グスタ、ベロニカ、ハルスト。いずれも城勤めをしており、没落寸前か没落した貴族の子女たちで、通常の二倍ほどの給金が支払われているとか」
「重要な任務に就いているのだ」
「へえ。日に二度、地下に食事を運ぶ仕事が?」
「!」
この王、受け答え下手くそだな、とフェルは感心した。
よくもまあこれで国を転がせるもんだ。他国と関わりがないから上手くいくんかね。なんとも羨ましいこと。
ま、フェルはたとえ金貨を積まれたってこんな国に暮らすなんてお断りだけど。
「ちなみに、運んでいる食事は一人分で、粗末なパンとスープのみだそうですね。我が国の刑務所でも、三食もう少しまともな物を出しますよ」
「た、大罪人を収容しているのだ!」
「たった一人だけ??」
「っ」
ざわつく観衆を前に、フェルは走り出しそうになった。みなさーん! この王様、超馬鹿じゃないですかー!! って。どれだけ呑気に玉座に座っているのだ。それほどまでに、呪いを抑え込む王家の名は堅牢なのか。ああそうですか。
ふつふつと沸き起こる怒りをあらわに、フェルは書類をめくる。
「ああ、食事を運ぶだけではなく魔法石を運ぶ仕事もされていますね。空っぽの魔法石が、それは見事な状態で運び出されて、かなりの高額で商人に渡っている。11年前から高騰している魔法石の売値はこの国の収入の大半を担っているようですが……」
ふふ、とフェルは怒りのままに微笑んだ。
「地下には一体、どんな妖精が住んでいるのでしょうね?」
「アレが妖精などであってたまるか!!!!」
大広間が揺れるような大声だった。
おまけに怒りの満ちた魔力が滲んでいる。よほど、腹に据えかねているらしい。とことん王に向いていない男だと、フェルは自身の王を見やった。
「陛下、食事を運ぶ仕事は約16年前から始まり、地下からの魔法石の運搬は11年ほど前からです。私には、16年前に生まれた王女殿下が地下に閉じ込められ、5歳から『魔法石を作る』という仕事をさせられているように思えるのですが、こじつけでしょうか?」
クソだなー。クソ。どんなツラして子どもにそんな事してんだ。ああこんなツラですね。って。口には出さずにフェルは微笑んだ。
ヴァイスは「妄想がすぎるぞフェル」と、眉間に皺を入れたお得意の魔王スマイルを浮かべた。
「たとえ、兵士が地下にいる娘を『ルナティエッタ』と呼んでいてもだ」
「そんなわけがない! アレの名前は誰にも教えていないのだから!!!!」
うっっそだろ!!!!
フェルは思わず叫びそうになった。カマをかけて相手の失言を待つのはヴァイスのやり口だが、それにしたって、こんなわっかりやすいカマかけに一国の王がひっかかるもんかね?! これこそ何かの罠ではとフェルは思わず辺りを見渡す。
呆気にとられている貴族の顔が並んでいた。どういう感情だそれ。
「王妃、我が子を抱くことなく失う辛さはいかほどだろうか。我が臣下の非礼を詫びたいのだが……ところで、貴女が失ったという王女の名を今一度、教えていただけないだろうか」
あーあー。こういう時だけ。こういう時だけ、にっこりと毒気のない笑顔を浮かべるのだ。ヴァロイスというフェルの王は。
さて、魔法使いの国の権力者たちはいかがだろう?
視線を戻したその矢先。王は、自慢げに握っていた杖を振り上げた。
「蛮族があ!!!!!」
ブツブツと詠唱を初めた王の周りで、とんでもない濃度の魔力が膨れ上がる。いくらなんでもそりゃないだろ! とツッコミたいのを我慢して、フェルはポーチから剣を取り出した。
「煽りすぎですよ!」
「お前も大概だろ」
反論できないフェルであるが、いやそれにしたってここまでブチ切れるとは思わないじゃん。牢にぶち込まれるかなあ、いやまさか一応こちとら国賓だしな。とは考えたけれど。とっ捕まってもジェイコスが盛大な国際問題にブチ上げてくれるだろうとか安易に考えちゃったけれど。
いくらなんでも実力行使とは思わないよ!
フェルは、ヴァイスに剣を投げながら、やれやれと自分の分も取り出す。魔法石を埋め込んだ、杖の代わりにもなるので重宝している愛刀だ。
「陛下! 怒りを鎮めてください!」
「陛下は本気か! あれほどの魔法を撃てば巻き添えをくらうではないか!」
「防御魔法を撃て! 逃げても無駄だ!!」
贅を尽くしたご立派な大広間は、そらあもう見事な惨状であった。
喚き立てる者、不安を叫ぶ者、身を守ろうとす者、と怒号や詠唱で大賑わい。どれが誰の声だかわからん中で、ヴァイスは剣を振る。
詠唱が終わる前にやっちまおう! ってのは魔道士と戦う上での定番であるからして、フェルとて異論はない。魔法が使えないヴァイスに代わって魔力を練り、防御魔法を展開するがさて、どこまで耐えられるか。
「防御壁か!」
ギン! と鋼を叩くような音で、ヴァイスの剣が弾かれる。
強大な魔法を練り上げながら同時に別軸の魔法をすでに完了しているとは、さすがは魔法使いの国の王だ。
魔法使いたちの頂点に立つ、その名は伊達ではないらしい。
「フェル様!」
手配しておいた、客に紛れていた自国の魔道士たちがフェルの名を呼ぶ。防御魔法を張り終えたらしいその声に、フェルは叫んだ。
「俺達の背にあるのは王の命だ! 耐えろよ!!」
「はい!」
「死ぬなよお前ら!」
「当たり前でしょう陛下!!」
力強いその声に、フェルも腹をくくる。死ぬかもしれない、などと弱気なことを考えるわけがない。
生きて生きて生きてやる。
王を選んだ自分の決意が、子を選ぶ愚か者に負けてなるものか。
そう、歯を食いしばったその時だった。
すぽん。
間抜けな音と共に、全身真っ黒の少女が、鈴の転がるような音で呟いた。
「へーか?」